ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

戦死者の遺言書

2007-08-14 20:42:57 | Weblog
13日のお盆に甥夫婦が来て仏間でお盆の準備をしていた。地震で落ちた仏間の壁をどうしようか、などと話しながら。

ふと、目を上げ神棚を見た時、黒い箱が飛び出て落ちそうになっていた。お仏壇はお祈りしたり、お灯をあげたり、何かと世話をするが神棚は普段気にもしなかった。目線よりも上にあるから。

たまに、どうして仏壇と神棚が一緒に仏間にあるのだろうと思う事はあった。でも、生まれた時からの当然の風景だった。

背の高い甥に黒い箱を下ろしてもらう。時代劇で見るような紐で結ばれた黒い立派そうな黒い箱。「何かしらね。ご先祖様の巻物かしら」と興味津々、紐を解く甥の手元を見つめる。

ふたが開いた時の私達の驚き!一番上に古い封筒があり、それに一言書いてあった。

「遺言書」

始め、去年の暮れに亡くなった父のかと、思った。でも、年期の入った封筒。

甥が広げた便せんは、ノモンハンで戦死した実家のたった一人の男子で跡取りだった母のお兄さん。父と母と妹に当てた“遺言書”だった。

姉、私、甥、甥の奥さん、声も無く読む。私も姉も、知らなかった。そして、涙がほほを濡らした。母からも父からも聞いた事が無かった。

年取った母は、亡くなった兄の話しを最近良くする。でも、遺言書の事は聞いた事が無い。母のお兄さんが戦争に行った時、母はまだ15~6才頃か。両親が忍びなくて見せず神棚の奥にしまったのだろうか。戦争に行く息子を送り出す両親の嘆きは大変なものだったそうだ。笑って送らなければ非国民と言われた時代。

母は言っていた。「電車の窓から身を乗り出し、ふじ頼むぞ、ふじ頼むぞ、達者でな、頼むぞと、それだけを繰り返していた」と

お盆の13日の父の新盆に、まだ年若き跡取りの甥により開かれた“遺言書”が何か意味あるように感じた。そして、改めて戦死者は神になり神社に祭られるのだと気が付いた。


《父へ母へ》
父上 母上 達者で居りますか。私も元気で戦線に行きます。故国を遠く離れて始めて祖国の、父母の有難さを知りました。大君の為に祖国の
為に花と散るは男子の本望です。父上母上何時までもご健康で

《妹へ》
何時も元気でいる事でせう。兄さんも元気で戦争に行きます。花と散るのも祖国の為だ。何の未練が残るものか。父上や母上を大切にしてくれ  ・・・黒沢部隊と本人の名前と印・・・


その下には、戦場から送った手紙と数々の勲章
            
コメント
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