田舎の家は都会の人には想像出来ない程、どこの家も屋敷が広い。そして、豪雪地帯であり、防雪(今はあまり雪が降らない)の為に、防風の為に、そして家の補修・増改築の為に、ぐるりと杉の木が植えられている。真っ直ぐに伸びた杉の木は、二階建ての屋根のずっと上の方に梢がある。その、落ちた枝葉、他の落葉樹の落ち葉掃き、庭や家周りの草取り、いつもの事ながら、大変な重労働である。家の中の掃除は、今は仏間を中心に使う部屋しか掃除しない。
そして出たゴミは、危なくない屋敷の隅か、裏の畑の隅で燃やしていた。空き家になっているので、相当の量のゴミが出る。
ところが、今年から一切、燃やしてはいけなくなった。CO2・温暖化問題の為である。
隣のおばさんが言っていた。本当に困ったと。
農家では、秋にモミガラや稲藁を燃やして灰にする。その灰は大事に保管し、翌年の春に田んぼや畑に撒く。よく土と混ぜる事により、土壌が改善され作物や稲が良く育つ。完全に無駄が無く、自然の循環なのである。昔の農業には無駄なものは無かった。でも、今は、色んなものが、科学肥料や農薬や機械に変わった。ますます、農家は現金が必要になって行く。
今、ウチも含めて農業を止める人が増えている。コシヒカリの取れる豊かな農地が草茫々になっていく風景は寂しい。今、それでも何とか頑張って百姓をしている、周りの老人達が止めたら…。そんな日は直ぐそこに来ている。
隣のおばさんが、言っていた。百姓に全てをゴミとして出せといっても無理だ。分からないように、少しづつこっそりと燃やすより、しょうがない。都会と違い、ゴミ収集場所も遠い。車を運転出来ない老人が、何十袋も持っては行けない。
CO2削減は大事な事かも知れないが、もっと他に方法はないものだろうか。見渡しても緑色一色しか目に入らない、この緑豊かな農村地帯に、都会と同じ基準を押し付ける矛盾を感ずる。一番CO2削減に努力しなければならないのは、都会に住む私達ではないだろうかと、私は思う。
山一つ越えた夫の実家でも、ヤッパリ困っていた。
これも、都会と田舎の一種の格差問題かな、と思ったりして…。