今年、初めて友達を誘った。去年の悔しい思いがあるから、絶対に今日は強い心で勝利するだろうと思った。
鈴木大地さんの聖火の点火式もあり、東京オリンピックに向けてのアピールもあり、東京の日になるはずだった。
でも、いつもと雰囲気が違った。東京オリンピックのアピールの為だとはおもうが、スタジアムをずらっと囲むダンマクがなかった。ゴール裏にいつものベロ旗がなかった。東京にとって大事な“ユルネバ”がまだ終わらないのにゴール裏は太鼓をたたき出して別バージョンに誘導した。でも、バックスタンドも、ゴール裏の一部も最後まで、しっかりと“ユルネバ”を歌った。青赤のニョロニョロ人形が途中で、青が倒れた。周りで悲鳴が上がる。
私は、そんなこんなが気になっていた。ナオくんの最後まであきらめないプレーにゴールに感動したが、どうしても、他の選手の軽いプレーが気になった。コーナーキックになっても、どうしてもチャンスと思えない。
後半の千葉のどうしても負けたくないという気迫に、去年の最終戦が重なって怖かった。中途半端なクリアーやディフェンスが怖かった。
一点しか取れない呪縛にかかったように、二点目が取れない。一番の問題は二点以上が取れない事だと思う。ユースケを見ていても、得点するだろうという気配も感じられないのはどうしてだろう。
なにか、袋小路に紛れ込んだような東京の選手達。原点に返って、基本に戻って、だた練習を繰り返すしかないのだろう。選手達も、私達も、どんなに辛くても、一週間後には、試合がある。立ち止まってはいられない。
それでも私は、次の大分までサポートに行く。飛行機に乗りホテルに泊まり、誰に頼まれたわけも無く、お金を使って応援に行く。そのためにも、パートを始めた私。
だって、東京が好きだもの。負けても、負けても、東京を応援するのが私の生活の一部になっているもの。東京バカだもの。
東京の選手達、下を向かないで。前を向いて、未来を見つめてボールを蹴ろう。私達が、いつも付いているから。
番外…ドロンパのサインにはしっぽがあった。よその子供が服にサインを書いてもらっているのを見ていたら、立派なサインにしっぽがあり、思わず笑った。
鈴木大地さんの聖火の点火式もあり、東京オリンピックに向けてのアピールもあり、東京の日になるはずだった。
でも、いつもと雰囲気が違った。東京オリンピックのアピールの為だとはおもうが、スタジアムをずらっと囲むダンマクがなかった。ゴール裏にいつものベロ旗がなかった。東京にとって大事な“ユルネバ”がまだ終わらないのにゴール裏は太鼓をたたき出して別バージョンに誘導した。でも、バックスタンドも、ゴール裏の一部も最後まで、しっかりと“ユルネバ”を歌った。青赤のニョロニョロ人形が途中で、青が倒れた。周りで悲鳴が上がる。
私は、そんなこんなが気になっていた。ナオくんの最後まであきらめないプレーにゴールに感動したが、どうしても、他の選手の軽いプレーが気になった。コーナーキックになっても、どうしてもチャンスと思えない。
後半の千葉のどうしても負けたくないという気迫に、去年の最終戦が重なって怖かった。中途半端なクリアーやディフェンスが怖かった。
一点しか取れない呪縛にかかったように、二点目が取れない。一番の問題は二点以上が取れない事だと思う。ユースケを見ていても、得点するだろうという気配も感じられないのはどうしてだろう。
なにか、袋小路に紛れ込んだような東京の選手達。原点に返って、基本に戻って、だた練習を繰り返すしかないのだろう。選手達も、私達も、どんなに辛くても、一週間後には、試合がある。立ち止まってはいられない。
それでも私は、次の大分までサポートに行く。飛行機に乗りホテルに泊まり、誰に頼まれたわけも無く、お金を使って応援に行く。そのためにも、パートを始めた私。
だって、東京が好きだもの。負けても、負けても、東京を応援するのが私の生活の一部になっているもの。東京バカだもの。
東京の選手達、下を向かないで。前を向いて、未来を見つめてボールを蹴ろう。私達が、いつも付いているから。
番外…ドロンパのサインにはしっぽがあった。よその子供が服にサインを書いてもらっているのを見ていたら、立派なサインにしっぽがあり、思わず笑った。