知り合いの大学の教授(女性)と色んな話をした。
その時に、学生がボランティアで東北によく行く話が出た。
見渡す限りのガレキとヘドロの山が続いている所があるそうだ。全然手が付けられていなくて、その臭いがたまらないそうだ。
そこが復興して、津波にも耐える町の青写真が、様々な人達で出来上がってはいるそうだが。
でも、その、ガレキ等をどう片付けるのだろう。どう処分するのだろう。どこの自治体も引き受けたがらないし。
その教授が、学生達に「どうしたらいい?」 と聞いたら、ある学生が 「大きい声では言えないけど、船で貧しい国にお金を払って引き受けてもらう」 と言ったそうだ。
皆で考えても、その膨大な量を何とかする方法が、どうしても浮かばないという。片付けなくては復興もままならない。
その、場所がどのくらいの広さなのかは私には分からない。
そこで、私の考えを話した。実現する事は難しいだろうけど。
どうすることも出来ないその場所は、もう、復興するとは考えなくて、そのまま、その上に沢山の日本の草木の種をまく。セスナで、これでもかと種をまく。
そして、100年、200年とそのまま自然に任せる。そして、どのように変わって行くのかを学生達が、それぞれの学部で観察と調査をして行く。いつかは、林になり森になって行くだろう。そして、そこに含まれいるだろう有害物質や塩害が、どのように浄化されて行くかも研究して行く。
100年後に、200年後に人々が、そこをどうするかを考えればいいと思う。
もしかしたら、少子化で、もう町を作る必要は無くなっているかもしれない。もしかしたら、観光者が訪れたくなるような、素晴らしい景色になっているかも知れない。
人類の歴史なんて、地震や洪水や火山爆発や様々な災厄で町や文明が埋もれ、その上にまた新しい町が出来ての繰り返しだったんだから。
もし、あのガレキとヘドロを綺麗にするとしたら、どの位のお金と年月がかかるのだろう。そして、そこに出現する町は、頭のいい人が机上の空想で考えた町が、人々にとって幸せと使い勝手のいい町になるのだろうか。
復興で大儲けをしようと考えている人達には反対だろうが、そのお金で被災者の人達の生活の場を作り、無くした財産を担保する。
そして、大事な事は、なんといっても政治家。すべての国民の目を見つめて心に話しかけるような豊かな言葉が必要だろう。
そんな話をしたら、その教授は、「そういう発想の仕方もあるのね。思いも付かなかった。ただただ、復興するにはどうするかとしか考えなかった。今度、ゼミで学生達に話してみるわ。こんな方法もあるよと」と。
こういうように考えるようになったのは、昔TVでみたアメリカの実験の森の話が頭にあったからだ。
アメリカは、本当に山火事の多いところだそうだ。
ある時、人里から遠く離れた山が、山火事で燃えたしまった。それで、そこを立ち入り禁止にして、森がどのように再生するかを観察する事にしたそうだ。
元の森に再生するのに100年はかかるだろうと思われたが、そんなにかからなく立派な森になったそうだ。そして、驚く事には、前の森よりもはるかに豊かな森になったそうだ。
ただ、震災で完膚なきまでに破壊され、何もかもがグチャグチャになった所には、やっぱり様々な種をまかないといけないだろう。それも、日本産の植物の種を。
二人で、あそこに、動物や鳥達が戯れる緑豊かな素晴らしい林が森が出来たらいいね、私達は、もうこの世にはいないけどね、と笑った。
空想は豊かに翼を広げて大空に舞い上がる。
その時に、学生がボランティアで東北によく行く話が出た。
見渡す限りのガレキとヘドロの山が続いている所があるそうだ。全然手が付けられていなくて、その臭いがたまらないそうだ。
そこが復興して、津波にも耐える町の青写真が、様々な人達で出来上がってはいるそうだが。
でも、その、ガレキ等をどう片付けるのだろう。どう処分するのだろう。どこの自治体も引き受けたがらないし。
その教授が、学生達に「どうしたらいい?」 と聞いたら、ある学生が 「大きい声では言えないけど、船で貧しい国にお金を払って引き受けてもらう」 と言ったそうだ。
皆で考えても、その膨大な量を何とかする方法が、どうしても浮かばないという。片付けなくては復興もままならない。
その、場所がどのくらいの広さなのかは私には分からない。
そこで、私の考えを話した。実現する事は難しいだろうけど。
どうすることも出来ないその場所は、もう、復興するとは考えなくて、そのまま、その上に沢山の日本の草木の種をまく。セスナで、これでもかと種をまく。
そして、100年、200年とそのまま自然に任せる。そして、どのように変わって行くのかを学生達が、それぞれの学部で観察と調査をして行く。いつかは、林になり森になって行くだろう。そして、そこに含まれいるだろう有害物質や塩害が、どのように浄化されて行くかも研究して行く。
100年後に、200年後に人々が、そこをどうするかを考えればいいと思う。
もしかしたら、少子化で、もう町を作る必要は無くなっているかもしれない。もしかしたら、観光者が訪れたくなるような、素晴らしい景色になっているかも知れない。
人類の歴史なんて、地震や洪水や火山爆発や様々な災厄で町や文明が埋もれ、その上にまた新しい町が出来ての繰り返しだったんだから。
もし、あのガレキとヘドロを綺麗にするとしたら、どの位のお金と年月がかかるのだろう。そして、そこに出現する町は、頭のいい人が机上の空想で考えた町が、人々にとって幸せと使い勝手のいい町になるのだろうか。
復興で大儲けをしようと考えている人達には反対だろうが、そのお金で被災者の人達の生活の場を作り、無くした財産を担保する。
そして、大事な事は、なんといっても政治家。すべての国民の目を見つめて心に話しかけるような豊かな言葉が必要だろう。
そんな話をしたら、その教授は、「そういう発想の仕方もあるのね。思いも付かなかった。ただただ、復興するにはどうするかとしか考えなかった。今度、ゼミで学生達に話してみるわ。こんな方法もあるよと」と。
こういうように考えるようになったのは、昔TVでみたアメリカの実験の森の話が頭にあったからだ。
アメリカは、本当に山火事の多いところだそうだ。
ある時、人里から遠く離れた山が、山火事で燃えたしまった。それで、そこを立ち入り禁止にして、森がどのように再生するかを観察する事にしたそうだ。
元の森に再生するのに100年はかかるだろうと思われたが、そんなにかからなく立派な森になったそうだ。そして、驚く事には、前の森よりもはるかに豊かな森になったそうだ。
ただ、震災で完膚なきまでに破壊され、何もかもがグチャグチャになった所には、やっぱり様々な種をまかないといけないだろう。それも、日本産の植物の種を。
二人で、あそこに、動物や鳥達が戯れる緑豊かな素晴らしい林が森が出来たらいいね、私達は、もうこの世にはいないけどね、と笑った。
空想は豊かに翼を広げて大空に舞い上がる。