ふみさんの日々雑感

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映画 「永遠のO」

2014-02-24 16:15:36 | 映画・ドラマ・小説・マンガ
原作に凄く感動したので、映画は見ようかどうしょうかと迷っていた。原作に感動して、映画化された時に見に行って、ガッカリする事が多かったから。

先月、娘に一緒に見に行く?と聞いたら、「いいよ」 と言うので見に行く事にしていたが、結局、見に行ったのは、都心の銀座の映画館で上映していた「さよなら、アドルフ」 という映画。

父をナチスの幹部に持つ中学3年生くらいの長女と小学6年生くらいの妹、小学生になるかならないかくらいの双子の弟、赤ちゃんの5人が遠く離れた祖母の家を目指す物語。

何不自由無く育ったきょうだいが、戦争が終わり、父は拘束され、母は 「おばあちゃんの所に行きなさい」 と言っていなくなり、そして戦犯の子として追われ、必死に900キロも離れた祖母の家を目指して歩いて行く。

途中、自分達が知らなかった戦争の実態を、ユダヤ人虐殺の事を知り、信じていた価値感が崩壊して行く心の動きや、途中、双子の一人が射殺される悲しみ、ユダヤ人の青年に助けられる事には素直にない。

泥にまみれ、ボロボロに傷ついて、灰色の世界から辿り着いた祖母の家は、戦争なんてあったの?と何の戦争の痕跡も無い緑豊かなのどかな田舎の佇まいだった。戦争の残酷も悲しみも辛さも知らない祖母は…。

でも、やっぱり、「永遠の0」 を見ようと思い行って来た。座席は、観客でほぼ埋まっていた。

本を読んだのは、まだ、姉も夫も母も生きていた。みんな元気一杯だった。まさか、姉も母も夫も亡くなってしまうなんて想像もしなかった。だから、本を読んだ時と、映画を見た時とは、心のあり方が違った。

そして、映画が始まったら、突然のように、姉と母の事が思い出され、涙が溢れて止まらなくなった。

「永遠の0」 はあまりにも母と姉に重なってしまう。

宮部久蔵の、あの妻と娘の写真は、私の母と姉の写真と一緒。姉は、娘の清子とは一つ違い。

戦後、戦争から帰って来た私の父は、その写真を見て母の元へ婿に来た。姉の父は特攻で亡くなったわけではないが…。

母の母、私の祖母は、夫を戦争で亡くし、ずっと年下の夫の弟と結婚させられた。それは、子供が女の子しかいなかったので、どうしても、跡取りの男の子が必要だったのだ。

やっと生まれた男の子。そして、もう、年だから子供が出来るとは思わなかったのに生まれたのが私の母。貧しい農家にはいらない子だったと母が言った。

でも、その大事な跡取り息子が戦争に取られ、あのノモンハンで戦死した。

後日、村の役場の人が、母の両親に土下座して謝ったそうだ。その頃、農家の跡取りには召集令状は出ないはずなのに、役場で間違えて名簿を出してしまったのだそうだ。

だから母は婿を取り、姉が生まれ、戦争は激しくなり、理由はよく分からないが、夫と別れた。

私の祖父はあまり身体が丈夫ではなかったらしい。母は、8反超の田んぼで、どうやってコメを作っていたのか、あまりにも辛くて思い出さないと言っていた。思い出したくないのではなく、思い出さないのだと、それほどの苦しい時代だったのだ。

だから、男手が欲しくて再婚したのは、よく分かる。

周りの人達は、私が映画に感動して泣いているのだろうと思っただろうな。

私は、映画を見ている間、ずっと、ひたすら、母や姉や、私が育って来た人生を辿っていた。

だから、今、あの映画をあまり思い出せない。見ていながら、私は、自分の心の底深くに、自分の思いの中に、家族の歴史の中に埋没していたのだろう。

あれだけ、母は家の為に苦労して生きて来たのに、今、私の生家は無人になっている。もう、住む人はいないのだ。それが、たまらなく悲しい。

そして、母が、再婚してくれたから、今、ここに私がいる。

あの、映画と一緒。


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