ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

ベトナム最後の日、一日市内観光

2016-05-06 19:34:34 | FC東京とサッカー
ベトナム最終日。

私は一日市内観光を申し込んでいたが、メコン川の川下りを申し込んでいた人も多かった。

ホテルでそれぞれのバスに乗り込む。

現地の、昨日と同じガイドさんが早速、
「昨日はおめでとうございました。私も中に入って応援してましたよ」
「どっちを応援してたんですか」
「もちろん、みなさんの東京ですよ」
「本当?」
「証拠です。」 とスマホの動画を見せる。私たちのゴール裏からの映像だった。

皆で昨日の試合の事で盛り上がる。

あちこちバスを止めながら説明を聞く。暑い。





そして、もう一度、統一会堂へ。中は広いので昨日、見なかった所を見る。







フランス時代の郵便局。今も営業している。







途中でベトナム料理店で昼食を食べて、中華街へ行く。

中国のお寺に。





中に入ると、両端に青と赤の服を着た仏像。皆で、どうしても青と赤に反応するね、と笑う。

 

仲間が、ACL優勝祈念のお線香をあげる。上の方の渦巻き状の線香と、下であげる大きな線香。













中国の市場に入る。市場というよりは問屋との事。まるで、迷路。一階も二階も足の踏み場もないような混沌としてカオス状態。そして、ゴミ屋敷のようにも見える。



1人がやっと通れるような通路を、奥へ右へ左へと歩き回っていたら、一緒に歩いていた人と帰り道が分からなくなった。多分、こっちかなあっちかな。

入り口というか出口があちこちにあり、広い。

近くの出口から外に出て、外から建物をグルッと回る事にした。そして、取り敢えずこっちから行こうと角を曲がったら、そこに皆が集まっていた。

「ごめんなさい。迷子になりました」 と。

バスの中の冷房にホッとする。私たちが中に入っていたときに、ザッと雨が降ったらしい。余計に蒸し暑くなった。

そして、なんといってもショックを受けたのは、“戦争証跡博物館”。

あの、ベトナム戦争の様々な写真が展示されていた。捕虜への拷問や戦争中の狂気、戦後の枯葉剤による奇形の人々、戦争の残酷さという言葉では表せないほどの人間が行った恐ろしさ。

広島、長崎の悲劇も見て来たが、なぜ、戦争になると人々は歯止めが利かなくなるほどの狂気を纏うのだろう。

そして、それでも、人々はこの世界から国と国の戦争を、あるいは民族間の争いを無くす事が出来ないでいる。

日本があの戦争から70年、とにかく平和に暮らせたことを有り難く思うと同時に、今、この世界のどこかで殺されている人々を思い、感想を口にすることも出来なかった。

あとは、バスの中からの説明を受けながら市内を見学。

最後はコーヒー&アイスのお店で休憩。そこでコーヒーとアイスを食べる。美味しい。

夕方、ホテルに着き、後は帰るだけ。

知り合いになった女性と、まだまだ時間があるからどうしょうかと。

結局、疲れたし、外は暑いし、時間まで涼しいホテルのロビーでおしゃべりして過ごすことにした。

飛行場には、東京サポーターが集まっていた。

無事に成田に着いて、「お疲れさまでした。楽しかったですね。次は湘南。絶対に勝ちましょう」 と別れる。

1人旅でのベトナムだったけど、楽しかった。

行って良かった。

次のACLアウェイは上海。どうしょうかな。






















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ベトナム2日目、決戦の日

2016-05-06 19:33:28 | FC東京とサッカー
いよいよ、試合の日。

スタジアムへの送迎バスは、ホテルに1時集合なので、午前中は近くにある統一会堂へ行く事にした。その隣に大きな公園もあるし。

地図で確認して歩き始めた。そろそろかな、と思うがそれらしい公園も見当たらない。

そして、フッと見ると、「あ、あれはもしかしてベンダイン市場?」 そう、思っている方向とは少し違った。

でも、そこに入り少しウロウロ。







外へ出て、こっちかなと地図を見ていたら、なんと、東京サポーターが歩いて来るではないか。確かに、ウロウロしていると東京グッズを身に付けた人によく会う。お互いにニコッと挨拶する。

その、東京サポーターに聞いてみると、同じ所に行くというので一緒に着いて行った。歩き出してから、思っている方向とちょっと違ったかなと思った。

入り口で30000ドン払って中に入り、彼らと「では、スタジアムで」 と別れる。

















公園にも行こうと思ったが、また迷うといけないので帰る事にした。

ホテルには、ツアーで来た人ではない人も集まって来た。スタジアムまで遠いので、送迎バスだけ申し込んだ人達。

H.I.S.で出たバスは3台。後で聞いたら他のツアーも入れて10台以上は出ただろうと言っていた。人数は700人くらいだろうと。

スタジアムへの入り口の階段の下に社長がいて、ペットボトルとポテトチップスを配っていた。「ペットボトルはスタジアムに持ち込めません」 と言っていた。確かに階段を上ってスタジアムに入る所で、「ペットボトルだめ。飲んでから入って」 と厳しく言っている。



ところが、荷物検査は無し。だから、皆、バックに隠して持ち込んだ。出入りが自由で下で水を売っていても、この暑いのに水は持ち込みたいでしょ。

スタジアムは屋根が無いので日差しが暑いが、有り難い事に私たちの所には日陰がある。日陰の席に荷物を置いて外に出てスタジアムを一周する事にした。何か、グッズでも売っていないかと。







選手バスがあった。


ところが何も無い。スタジアムの一階の所であちこちで洗濯物が干してあるので、開け放してあるドアを覗くと、子供達がいて部室みたいだ。彼らの洗濯物か。



一周して入り口に戻って来たら、ビン・ズオンのサポーター達がバイクの周りで話している。東京サポーターは彼らを見ながら三々五々、日陰に座り込んでいる。



私は、外国に行くとチャンスがあれば相手のサポーターと一緒に写真を撮る事にしている。北京も広州も午前中に地下鉄に乗ってスタジアムに行き、そこにいた相手のサポーターと写真を撮って来た。

だから、たまたま知り合いがいたので、「彼らと一緒に写真を撮りたいのでカメラお願いできるかしら」 とカメラを渡した。「え、大丈夫?」 「大丈夫。ついて来て」 と。

彼らに手振り身振りで一緒に写真を撮ろうと言うと、ニッコリ。

知り合いも一緒に入って、その辺に立っていたベトナムの人にカメラを渡して撮ってもらう。その人も、自分のカメラを誰かに渡してカメラに収まった。

知り合いと別れて歩き始めたら、またまた知り合いに声をかけられ、話していたら、さっきのビン・ズオンのサポーター達と東京のサポーターの人達との交流が始まっていた。



皆、一緒に写真を撮りたいのに、切っ掛けが欲しいのだ。良かった良かった。

席に着いて水を飲み、ウォーミングアップの選手たちが引き上げ、さあ、始まるぞと、思っていたら、吉本が出て来た。

吉本は私たちの所に来て、両手を振り上げて応援をあおる。私たちの吉本コールと東京コール。

ユルネバが暑いスタジアムに流れた。もしかしたら、ビン・ズオンのサポーターよりも人数が多いのではないかと思われる私たち東京サポーター。遠いベトナムまでよく集まったものだなと思う。



そして、持ち込まれた中華鍋をカンカンと打ち鳴らす音も。

日陰で応援しているのに、本当に暑い。ガイドさんが35度あると言っていたが、日陰でも多分変わらないと思う。

その暑さの中、選手たちは攻撃に守備に走っていた。

前田のゴールが決まった時のサポーターがどれだけ喜んだことか。もう、周り中がお祭り騒ぎ。

そして、ピッチ上の選手たちは、今まで見たことも無いほど、声を出し、腕を振り回し、あっちこっち指差しお互いに力を合わせていた。





試合の前半も後半も給水タイムがあり、選手たちは話し合っていた。



終わり近くには相手選手も足をつっていた。「ベトナムの選手もこの暑さは大変なんだ」 と私達。

そして、相手にPKを与えてしまったが、審判は、東京のスライディングタックルで相手が倒れると頻繁に東京のファールを取っていた。だから、相手の選手が向こうへドリブルで駆け上がるのを東京選手がスライディングタックルを仕掛けた時、私はやったと思ってしまった。

ヒデトの闘志は、私たちにビンビン響いて来た。何回、ゴール裏からヒデトコールが出た事か。私達もヒートアップ。

そして、終了の笛と共に倒れる東京の選手達。この暑さの中を必死に勝利のために走り切った選手達に胸が熱くなった。

挨拶に来た選手達に、惜しみない熱い熱い拍手と歓声。前田のシャー。



選手も引き上げ、それでも私達は歌っていたら、突然照明が半分消えた。

「さあ、帰ろう」 と出口に向かったら、突然、すべての照明が消えて真っ暗になった。悲鳴も上がる。本当に真っ暗になったのだ。

真っ暗で階段が見えない。

誰かが、「子供がいるぞ。危ないから皆バックライトを点けろ」 と。それで、一斉にライトが付いた。

階段を降りるとバスがズラッと並んでいた。

私のバスは?暗くて分からない。○○観光の紙を掲げているが暗くて傍に行かないと分からない。

同じバスで来た人について行った。やっとたどり着き、クーラーの利いたバスに乗り生き返った気持ちになった。

帰りのバスの中では、皆で勝利に沸き返った。

ふっと窓の外を見たら、ワゴン車の窓に東京のマフラーが。よく見ると東京ユニを着た東京サポーターが乗っている。慣れたサポーター達はいろいろな方法で応援に来る。

私は1人で来たので、ホテルで一人で勝利の余韻に浸った。

本当に、来て良かった。本当に楽しかった。


スタジアム




電光掲示板では、時間が分からない。時計はあるが8時半で止まっている。デジタル時計はあるが表示されていない。だから、自分の時計であと何分と見るよりしょうがない。だから、ロスタイムも分からない。





ビン・ズオンのサポーターは二手に分かれての応援。ゴール裏のサポーターが面白かった。肩を組んで右へ左へ、マフラーを上げたり降ろしたり、旗を一斉に振ったり倒したり。













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ベトナムへの2泊4日の旅、一日目

2016-05-06 16:10:21 | FC東京とサッカー
3日の早朝、家を出て電車で多摩川を渡る時、低い位置に真っ赤な大きな太陽が浮かんでいた。随分と大きな太陽だなと思った。真っ赤な太陽は良い事の表れなのか。

空港には、たくさんの東京サポが集まっていた。

搭乗を待っていると、前回のACLの広州に行った時に知り合った人がいて、「また一緒になりましたね。」と挨拶する。。

そして、ベトナムに着いてツアーの集合場所に行ったら、またまた前回のACLで知り合った人が何人もいた。その中に村林さんご夫婦も。

同じホテルだったので、夜までの時間を一緒に街歩きを、と誘われたけど私は1人でウロウロする事にした。

ドンコイ地区に向かって歩いて行った。

人々は、道端に座り込んで食べたり飲んだり物を売っていたり話していたり。

空港からホテルに向かう時に、現地のガイドさんが、「今は終戦記念日でお休みだから道はちょっと空いている。平日は、バイクは洪水のように流れる」 と言っていた。

それでも、バイクは多い。道を渡るのは最初、ちょっと怖かった。

たまに信号はあるが、赤でも平気でバイクは突っ込んで来るので油断ならないし、一方通行を平気で逆走してくるし、歩道も関係なくバイクは走る。

信号も小さくてよく分からない所もある。車やバイクが止まっているから、歩行者は青かなと渡ろうかどうしょうかと思っていたら、向こうの方でおじさんが「早くおいで」 と手招きしているので、慌てて渡り、おじさんにありがとうとニッコリ。

そのうちに、バイクがビュンビュン通る道路の渡り方のコツを覚えた。渡り始めたら、途中で止まったり走ったりしてはダメ、同じリズムで渡って行くと、向こうの方が上手に避けてくれる。しかし、クラクションを鳴らしながら迫ってくると、アッと思った事もあるが、でも彼らの運転技術は上手い。

夕方になって来て疲れて来たのでホテルに戻ろうと思って、ふと、自分がどこにいるのだろうと地図を見るが、よく分からない。

どの通りも似ていてバイクがいっぱい止まっていて、人々は地面にたむろして座っている。





行く時に、太陽を左に見て歩いて行ったから、今度は太陽を右に見て、多分、こっちの方だろうとホテルを目指した。

歩いても歩いても見たことのあるようなないような、同じような通り。

さあ、迷ったみたい。ホテルの傍に大きな公園があったからと、ウロウロと歩いたが家々の屋根の上を見上げても高い木は見えない。

しょうがない、道でバイクに寄りかかっていたおじさんに、地図を見せてホテルを指さして聞く。地図の道路名だけは現地語で書いてあるので、おじさんは指で道路をたどり、ずっと先の信号を指さし、そこを渡って右手の方向と教えてくれた。

礼を言って信号の方に歩いて行きながら、「あらあら、ちょっと違う方向に歩いて来たみたい」 と。

信号を渡ったら、右手の方向に見覚えの公園があり、その向こうにホテルが見えた。公園の中は、ウソのように涼しいのでしばらくベンチで水を飲みながら休憩。



ホテルに帰り一日目は終わる。
















バイクの有料駐車場。びっちりぎゅうぎゅうに止めてあるけど、奥の方のバイクはどうやって出すのだろう。
















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