ふみさんの日々雑感

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家族の誕生会

2017-03-01 09:09:11 | 家族
天気の良い日曜日に、私と娘の合同の誕生会を新宿のレストランで行った。

いつ頃からかしら、都心のレストランでそれぞれの誕生会を開くようになったのは。

多分、息子が就職で家を出て、しばらくして転勤で地方に行って、帰って来て千葉県に住むようになってからだと思う。

夫は、都心の事務所の方に戻って来て欲しかったみたいだけど、千葉の本社の方の勤務になり、お正月とお盆くらいにしか帰って来なくて、あんまり会えなくなった寂しそうな夫を見て、誕生会を都心で開くことにした。

都心なら、息子からも私達からも丁度いいかなと。

夫が生きていた時には、私と娘が2月と3月なので一緒に、夫は6月、息子は12月なのでクリスマスも兼ての、年3回だった。

夫が亡くなり、結婚した娘の彼が11月の終わりなので、息子との合同で、年2回となった。

娘が、「ゆうなの誕生会はどうしよう」 と言うから、「ゆうなは親のあなたたちがやりなさい」 と。家族の誕生会は私持ちなのだから。

ゆうなは、息子が苦手。「ちゃんと、おじちゃんにこんにちはって言える?」 ゆうなは黙っている。

レストランの前に先に来て待っている息子を見て、ゆうなは、お母さんにしがみついて抱っこ抱っこと。笑ってしまった。

いつもは、食事をする時には、子供用の椅子に座り、あちこちこぼしながら自分で食べて賑やかだ。

でも、お母さんに抱っこして膝から下りない。結局、最後までお母さんの膝の上で静かだった。

大好きなオレンジジュースを息子から渡してもらっても、やっぱり息子の方には目を向けない。

息子は、細身で背が高くて黒い服装で、昔から娘の友達の間で「謎のイラン人」 と言われていた。確かに顔が濃い。それが怖いのかも。

夫が生きていたら、ビール片手にニコニコと皆を眺めていただろうな。私達3人がおしゃべりするのを目を細めて見ていたっけ。

夫が生きていたら、多分、今の彼とは出会っていなかっただろう。それを思うと、悲しみにも希望があるのだなと思う。

お誕生日おめでとうのメッセージが書かれたデザートのプレートが、私と娘の前に置かれた。そして、それぞれに火が灯ったロウソクも。

それを見たゆうなが大喜び。「ゆなちゃんが、フーする」 と、フーフーして消してくれた。

楽しいお食事会も終わり、会計を済まして出たら、エレベーター前のスペースでピアノの演奏をしていた。

「ゆなちゃん、ピアノ」 と言うので、空いている椅子に座り、しばらく演奏を聴く。

ショパンの曲を身動きしないで聞くゆうな。

そういえば、家でテーブルに両手を置いて歌っていたっけ。多分、保育園で先生が弾くピアノをいつも見ていて先生の真似をしていたのだろう。

帰りは、息子と夫の眠るお寺さんに行って、7回忌の予約をして来た。

あの、東北地震で亡くなられた方々と同じ7回忌。

月日の経つのは、本当に早い。





コメント
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