ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

3泊4日のシンガポールの旅(3)

2018-08-17 19:45:53 | 旅行

この日も、朝寝坊。

こんなに遅くまで眠れるなんて、感激。

家にいると、どんなに遅く寝ても、6時半頃には目が覚める。

午前中は、地下鉄で水族館へ。

水族館は、だいたいどこも同じだが、水族館大好きの私には楽しい。

日本でも、サッカーでアウェイ遠征に行くと、水族館に行く事がある。

日本の水族館は、どこに行っても綺麗で楽しい。

娘と東京遠征に付いてスペインに行った時にも、水族館に行って床に座って魚たちを眺めたっけ。

でも、今までで、最低だったのは北京の水族館。

汚くて、ガラスも曇っているし、全部見ないで途中で出ちゃった。本当に「金返せー」のレベルだった。

あれから、何年も立っているので、良くなったかな・・・。

私に似てゆうなも水族館が大好き。涼しくなったら、池袋の空飛ぶペンギンを見に行く約束をしている。

電車で海を渡るのに行列し、水族館のチケットを買うのに行列、入るのに行列している。

誰も並んでいない入り口があり、「ちょっと、聞いてみよう」と係員にチケット見せて聞いていたら、ゆうなをチロッと見て入れてくれた。「えっ、いいの?」

中に入って後ろを振り向いても、誰も入って来ない。「なんだろう?謎」

中は、けっこう広かった。

水族館は、いつ行ってもいい。

クラゲはいないのかな、とキョロキョロしていたら、ゆうなが

「ふーちゃん、ふーちゃんの大好きなクラゲいるよ」と教えてくれた。

クラゲっていいな。

だいたい見終わって、「お腹空いたから出よう」 と外に出たら、何と入り口に大行列。チケット売り場も大行列。

私達が入った所は、閉まっていて人もいない。何だったんだろう。

電車に乗って戻り、人でごった返していたフードコートで食事をした。席を確保するのは大変だったけど、何とか四人分を確保。

ゆうなと席の番をして、娘たちが食べるものを買いに行った。何を頼んでいいのか分からないからお任せ。

ゆうなが食べれる麺とチャーハンは定番。

麺大好きなゆうなは、「美味しい」と食べる。

また、地下鉄に乗ってホテルに帰る。ホテルの地下が地下鉄の駅なので助かる。

部屋に入ると、「プール行く」と置いてあった浮き輪を持つ。

また、お父さんはゆうなに付き合ってプールへ。

私と娘は昼寝。極楽、極楽。

夜は、上ちゃん(娘婿)のお友達と待ち合わせ。

そのホテルまでタクシーで行く。

上ちゃんが、助手席で運転手と英語で話している。笑いながら。

後で何を話していたのか聞いたら、「訛りが酷くてよく分からなかった。」娘と「本当に訛りが酷かったね」と。

上ちゃんの友達は、シンガポールのプロサッカーチームの監督をやっている。

地元の高校生の時に一緒にサッカーをやっていて、上ちゃんは横浜に出て、彼は、地元の長野パルセイロの選手になった。その後、そこを止めて・・・今はシンガポールでサッカーチームの監督をしている。

「シンガポールのサッカーは日本と比べてどうですか?」

「へったくそだよ。時々、頭に来て、日本語でどなっている。それに、様々な人種と、様々な宗教があって、それが大変。特にラマダンの時がね」

小学生の息子さんは、学校に行く時にスクールバスではなく、バスで通学させているそうだ。早く、地元に慣れて逞しく育って欲しいからだそうだ。

夕暮れ時を水辺のレストラン街を散策しながら、何が食べたいかと聞かれた。でも、わからないからお任せ。

そして、入って食べたのが、“チリクラブ”

大きなカニを真っ赤に煮込んだ料理。私達だけなら絶対に食べれなかっただろう。

私は辛いのが苦手なので、辛くないのを頼んだくれた。

そして、ゆうながたべれるようにチャーハン。

両手を真っ赤にしながら、バリバリと手と専用鋏で食べる。時々、ボールの水で手を洗いながら。

以外に美味しかった。ちょっと変わったパンでスープを味わう。

チャーハンも美味しかった。日本で食べるチャーハンと同じ味だった。

いろんな話をし、私がおっちょこちょいで旅先でよく失敗する話をしたら、「会った時、そんな感じがしました」と言われ、皆で大笑いした。

ゆうなは疲れたのか、コックリコックリしていた。

帰りもタクシーでホテルに帰り、明日、早朝に帰るので荷造りをした。

早朝、閑散とした空港で手続していると、暇そうな係員達が何となく何人か集まって来て、ゆうなに話しかけ、ゆうなが持っているヌイグルミと一緒に遊んでいる。

「かわいい」と言いながら。

しかし、どこの国の人達なんだろう。

男性達も女性達も、多分、同じ人種なんだろう、肌は黒く、体格が顔も肩も胴体もビックリするくらい巨大に膨らんでいる。

彼らから見たら、私達日本人は、細くて白くて、弱っちょく見えるんだろうな。ゆうななんて、小さくてニッコリしていたらお人形さんに見えるのだろう。

別れる時に、みんながバイバイと手を振ってくれた。

日本に入国する時に、最近導入されえた顔認証システムを通りたかったが、ゆうながいるので、誰も並んでいない係員がいるブースに案内された。

帰りは、娘たちは調布でバスを降り、私は稲城までバスに揺られ、楽しかった旅は終わった。

 

 

 

 

 

 

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無事に見つかった2歳のヨシくん

2018-08-17 10:47:24 | Weblog

本当に無事で見つかって良かった。

それも68時間も一人ぼっちで。お母さんを何度呼んだことだろう。でも、答える人の声は全然しない。

どんなに心細かった事か。考えただけで胸が一杯になある。

きっと泣き疲れて眠っている時間が多かったのだろうとは思う。

2歳の子が、よくあんな遠くまで歩いて、とビックリするが、2歳の子でも、道があればどこまでも歩いて行けるものだ。

私の息子は、2歳ごろ、よく迷子になった。

始めは、その頃は塀に囲まれた100軒からの社宅に住んでいた。

同じ年頃の子が一杯いて、よく家の周りや、庭の裏木戸を開けっぱなしにしていたので、出たり入ったりと遊んでいた。

ふっと、気が付いたら息子がいない。まさか、塀の外には出ないだろうと、探していた。

お出かけから帰って来た人が「あら、タカシくんを探してるの?やっぱり、あれはタカシくんだったのかしら」と。

聞けば、歩いて2分くらいの所にある電車の駅で降りたら、向かいのホームでウロウロしていたと言う。まさか、と思ったと。

慌てて、駅まで行った。駅は駅ビルの3階にある。改札まで行って、もしかしたらと考えた。改札と直結しているスーパーの3階には玩具売り場がある。

そこへ行ったら、何と息子が玩具で遊んでいて、私を見てニッコリ。

電車に乗らないでよかったと、胸をなでおろした。

そして、やっぱり2歳の頃、姉の家に遊びに行っていた時。

姉の末っ子と息子は同い年。

二人は、庭を出たり入ったりと家の周りで遊んでいた。

そのうちに声が聞こえなくなり、姉と外に出て探したがどこにもいない。

姉は自転車で探し回り、私は帰って来た時の為に家にいた。

どこを探してもいないので、姉と警察に連絡した。

私の息子はしばらくして、泣きながら帰って来た。姉の息子の事を聞いたら「カズちゃんが、いなくなった」と泣きながら眠ってしまった。

そのうちに、警察から電話があり、「隣の村の農協で泣いている子がお宅の子の服装と一致している」と。

姉が自転車で迎えに行った。

その隣の村は、とても大人の足でも歩いて行くには遠すぎる。ただ、道は真っすぐ、どんな気持ちで歩いて行ったのだろう。

通り過ぎる車の人達は、周りが田んぼの何にもない道を小さい子が一人で歩いていて不思議に思わなかったのだろうか。

3度目は、長野の貸別荘に姉の家族と遊びに行っていた時。

やっぱり2歳の時。

私と姉は家の中で雑用をしていて、外で夫達と姉の3人の男の子とウチの息子と遊んでいた。

夫が、「タカシとカズくんがいない」と入って来た。

慌てて外へ出た。

周りは鬱蒼とした山の中。ただ、車の通る舗装した道はある。

私と姉は、声を限りに二人の名前を呼んだ。

と、向かいの山の上の方から返事の声が小さく聞こえた。

「そこにいなさい。動いちゃだめよ」と言い、夫達が車で声のする方へ登って行った。

子どもは、大人が考えるよりも、健脚である。あなどれない。

ゆうなは、2歳の時に、大阪の天王山に登っている。平均よりは小柄だったので、降りて来る人達がビックリしていた。

よしくんを見つけた男性が言うように、子供は下りよりも上の方に登って行くようだ。たぶん、小さい子は、下りは転びそうで怖いんだと思う。

やっぱり、2歳の頃、前も後ろも分からないほど真っ黒になって泣きながら、裏木戸から入って来た時にはビックリした。ドブに落っこちたようだ。

今のようにシャワーの無い時代。真冬だったけど、裸にして庭の水道の水を頭からジャージャーかけて洗った。

バスタオルで包み、すぐにストーブの前に連れて行って毛布だの布団だのと包みこんだ。

今の彼とは信じられないくらい、子供の頃は冒険心一杯の子供だった。

そして、なぜか、誘拐なんて考えもしなかった。

今の時代だったら、絶対に子供から目を離さないし、手も離しはしないだろう。

あの頃よりも、今の方がいろんな意味で怖い。

あの頃は、子供も外にいっぱい遊んでいたし、おばさん達も年配者も、何となく外に出たりしていて、見ていてくれる安心感があったように思う。

だから、娘には、絶対に「ゆうなから目を離さないで、手を離さないで」と言っている。

 

 

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