ふみさんの日々雑感

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FC東京、仙台に敗れる

2019-06-26 13:56:37 | FC東京とサッカー

どうして、リーグ戦のアウエィ仙台に弱いんだろうと、思いながらも泊りで応援に行って来た。

最近、忙しくてなかなか本が読めないので、アウエィ遠征は電車の中もホテルでも本が読めるので私には楽しい。

行きの新幹線の中で、隣に座った男性がやっぱり、ずっと本を読んでいた。帰りの電車の中でも、やっぱり隣に座っている男性と、通路を挟んだ隣の席の男性も本を読んでいた。

最近は、周り中がスマホに夢中になっている風景が普通になっているので、何か新鮮だった。

仙台に着いてホテルの地図を出して、地図を見たけど、おおざっぱでよく分からない。

仙台の駅前は空中歩道が、縦横斜めに張り巡らされていてどっちに行っていいか分からない。

交番も見当たらないので、目の前の不動産屋さんなら分かるかなと聞きに入った。

社員さんが、地図をじっと見つめて首をかしげる。パソコンで調べてくれて教えてもらった。

ホテルに着いてしまえば、駅から分かりやすい場所だった。

荷物を置いて、必要な物だけ持ってスタジアムへ向かう。

仙台からは、何回も行っているので大丈夫。

地下鉄に乗ると、青赤の人がチラホラ。

スタジアムに着き、席を探していると、知り合いがチラホラ、挨拶をする。

クボくんがいなくなったら勝てなくなった、と言われたくないので絶対に勝って欲しいと応援にも力が入る。

でも、なかなかシュートまで行かない。

ディエゴがぴったりとマークされて思うようにプレーが出来ない。

それなら永井がと思うのだが、私が嫌いだと思っている永井のプレーを見て思わず「ナガイー!」と。

ゴール前で倒され、ファールを要求。そこでファールならPK。審判は笛は吹かないし、私もPKとは思わない。

永井は両手を広げてファールを要求して立ち上がらない。

プレーは、仙台がカウンターで向こうへ走って行き、東京の選手達もディフェンスに走っている。

直ぐに立ち上がらない永井。早く立ちなさいよと、どなってしまう。

私は、以前から永井のそういう所が嫌いだった。

東京が調子よく勝っている時には、そういうシーンをあまり見ない。

ノロノロ立ち上がって歩くシーンを目の前で見たくはない。あなたの役目はシュートを決める事でしょ。

そういう気持ちが仙台に負けたのだと思ってしまう。

しかし、本当に苦手なスタジアムってあるんだなと、本当に悔しい。

去年の二の舞になって欲しくない。連敗をして欲しくない。マリノスには負けたくない。

選手が引き上げて行く姿を、ぼーっと見ていたら前の女性が振り向いたので、「勝てなかったわね」と声をかけて少し話した。

年配のご夫婦で、山形から来たと言う。

「え、お生まれは?」

「生まれも育ちも山形です」

「ずっと東京を応援してくださっているんですか?」

「ええ。地元の山形も応援しているけど、昔から東京が好きなんですよ」と。

地方に行って周りの人と話をすると、意外と地元の人でも東京が好きだと言う人に会う。

確かに、今は家にいてもサッカーの試合を楽しむ事が出来る。スタジアムに行かなくても好きなチームの試合を家で見る事が出来る。

そういえば、東京の立ち上げのころからサポーターになって応援してくれていた仙台のエンドウさんは、今でも東京を応援してくれているだろうか。

昔々、仲間達と仙台に観光を兼て応援に行って、スタジアムでエンドウさんも交えて、途中の酒屋さんで買って来た地元のお酒を持ち込み、酒屋さんでもらったカップで乾杯をしたことを思い出した。

応援するマイチームが出来て、ただただ楽しかったあの頃の思い出に、負けた気持ちを逃避しながらホテルへ帰って行った。

翌日、お土産を買って新幹線の時間まで待合室に座っていたら、目の前のTVで地震のニュースを流していた。

隣に座っていた年配の男性に、「何処で地震ですか?」と聞かれ、「伊豆のほうみたいですよ」と。

それからその男性と地震の事で話していたら、その人は気仙沼の人で、あの地震の事を話だした。

気仙沼で小さな工場を経営していて、あの地震で工場も従業員もみんな流されたと。

自分はたまたまそこには居なかったし、奥さんは東京の娘さんのお産の手伝いで留守だったと。

それから、毎日海へ従業員を探しに行った事。

打ち寄せる波に沢山のゴミと数え切れない遺体がうつ伏せに揺れていた事。

本当に、沢山の遺体が流れ付いていたと。

たんたんと話す男性の言葉に、私はどう対応していいのか分からなかった。

そんな、ニュースは聞いていない。でも、考えてみればそうなのかも。

そして、まだまだ、あの地震の後始末は終わってはいない事、これから、津波の時の要望書を持ってロシア大使館に行くと言う。

電車の時間だったので、ロシアに対して何の要望書なのかは聞けなかった。

あれからも、地震を含め多くの災害があった。私には、遠い終わった出来事のように思っていた。でも、まだまだ、終わっていない人々がいる。

何となく、負けた悔しさが何処かへ行ってしまった。

でも、次は負けるな! 

ガンバレー!! トーキョー!!






 

 

 

 

 

 

 

コメント
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