「BR TOKYO」 を読んでいて、懐かしい人を見つけた。
鏑木享
本当に、記事の通りに、記憶に残る選手だった。私の中では、もっと活躍したと思っていたが。
何といっても、今でも頭の中で繰り返される、あのチャント。
♪17は鏑木 カブゴール
東京のスーパーカブゴール♪
彼がいた東京は、出来たばかりのクラブで、私を含めて、応援出来るマイチームが出来た喜びに溢れていた。私達も選手も、勝っても負けても楽しくて楽しくてしょうがなかった。
J1に上がる事を目指して、走りぬけた一年。そして、最終節の、あの新潟戦の、スポーツマンガが恥ずかしくて描けないような、劇的な大逆転昇格!!
前泊でのバスツアーに参加していた私。
あの頃は、フロントの人も一緒に乗っていて、その時は、村林さんが一緒だった。
行きのバスの中から、そして、夕食時の話し合いから、「どうして、ホーム最終戦の仙台に勝てなかったのか」 と詰め寄るグループがいた。
その人達がいなくなってからは、村林さんと残った人達と、穏やかに熱く東京の事を話しあった。
確かに自力での昇格は無かったが、それでも、勝てば何かが起こるかもしれないし、ダメならもう一年西が丘でもと思っていた。でも、もしかしたら、と沢山のサポーターが新潟に駆けつけていた。
私の友達は、夕食後にスタジアムに行った。サポーター達が闇鍋 (よく試合の前日の夜にしていたっけ。私は行ったことないけど) しているからと。
大熊さんのお子さん達も応援に新潟に来ていたが、応援に行くと負ける事が多いので、スタジアムには入らなくて外で応援していたと言う。
そして、加賀見くんのゴールで勝利。
大分が延長戦に入ったとの情報で、ただ、ひたすらその結果を待っていた。さっきまで渦巻いていた大応援の声が、ウソのよううにシーンと静まり返ったスタジアム。
あの頃の携帯は電話だけだったので、あちこちで電話で話す声と、「電池がなくなったー」 の声のみが聞こえる。
そして、誰かの 「大分が負けた!」 の声と、歓声を上げながらピッチに走りだして来る東京の選手達。ピッチに降りる東京のサポーター達。
ピッチ上で選手もサポーターもフロントもメディアも、何もかもがモミクチャで喜びを爆発させていた。
帰らないで私達と一緒にスタジアムに残って、結果を待っていてくれた新潟サポーターの 「おめでとう」 の声援と拍手。
そして、帰りの応援バスは、そのまま、J1昇格記念パティーの会場に横付けに。
帰りのバスの中で、フロントの人が、「クラブはJ1に上がった時の事しか準備していなかったので、もし、昇格しなかったら、どうなっていたのだろう」 と。 「私達も、J1に上がった時の事しか考えていなかったよ」 と笑顔のサポーター達。
パーティは笑顔笑顔の乾杯で楽しかった。
そして、鏑木享。
パティーがお開きになって、私達は、駅の改札に入ろうとした時に、シャッターを下ろした売店にいる人影に気が付いた。
そこに、一人、寄りかかって座り込んでいる鏑木享。
「アッ、カブだ。どうしたんだろう」
「声を賭けれない雰囲気だね」
そう、さっきまでの弾けていた姿とは、全然、違う空気をまとった鏑木享。
何を考えているのだろう。
私達は、そっと静かに改札へと入って行った。他の、東京サポ達が、「おや?」 という表情ををしながら、私達と同じように、振り返りながら静かに改札へと向かう。
友達と、あの頃の話になると、必ずあの時の、放心したように佇んでいたカブの話題になる。
カブのいた時代は、何もかもが初めてで、何もかもが楽しくて、選手もサポーターもフロントも一緒になって新しい東京の歴史を作り始めた時期だった。
カブは、最期は松本山賀で選手生活を終えたのね。
そこでも、あの、♪32は 鏑木カブゴール 松本のスーパーカブゴール♪ を歌ってもらって。
その後、飛田給の駅前のグッズ売り場にカブがいてビックリした事がある。
カブを始めて見た日から、もう、15年になる。随分と月日が経ったのだなと、改めて思う。
カブも、すっかり落ち着いた、いい表情の鏑木氏になっていた。
何か、別れた懐かしい人に会ったような、込み上げるものを感ずる。
鏑木享
本当に、記事の通りに、記憶に残る選手だった。私の中では、もっと活躍したと思っていたが。
何といっても、今でも頭の中で繰り返される、あのチャント。
♪17は鏑木 カブゴール
東京のスーパーカブゴール♪
彼がいた東京は、出来たばかりのクラブで、私を含めて、応援出来るマイチームが出来た喜びに溢れていた。私達も選手も、勝っても負けても楽しくて楽しくてしょうがなかった。
J1に上がる事を目指して、走りぬけた一年。そして、最終節の、あの新潟戦の、スポーツマンガが恥ずかしくて描けないような、劇的な大逆転昇格!!
前泊でのバスツアーに参加していた私。
あの頃は、フロントの人も一緒に乗っていて、その時は、村林さんが一緒だった。
行きのバスの中から、そして、夕食時の話し合いから、「どうして、ホーム最終戦の仙台に勝てなかったのか」 と詰め寄るグループがいた。
その人達がいなくなってからは、村林さんと残った人達と、穏やかに熱く東京の事を話しあった。
確かに自力での昇格は無かったが、それでも、勝てば何かが起こるかもしれないし、ダメならもう一年西が丘でもと思っていた。でも、もしかしたら、と沢山のサポーターが新潟に駆けつけていた。
私の友達は、夕食後にスタジアムに行った。サポーター達が闇鍋 (よく試合の前日の夜にしていたっけ。私は行ったことないけど) しているからと。
大熊さんのお子さん達も応援に新潟に来ていたが、応援に行くと負ける事が多いので、スタジアムには入らなくて外で応援していたと言う。
そして、加賀見くんのゴールで勝利。
大分が延長戦に入ったとの情報で、ただ、ひたすらその結果を待っていた。さっきまで渦巻いていた大応援の声が、ウソのよううにシーンと静まり返ったスタジアム。
あの頃の携帯は電話だけだったので、あちこちで電話で話す声と、「電池がなくなったー」 の声のみが聞こえる。
そして、誰かの 「大分が負けた!」 の声と、歓声を上げながらピッチに走りだして来る東京の選手達。ピッチに降りる東京のサポーター達。
ピッチ上で選手もサポーターもフロントもメディアも、何もかもがモミクチャで喜びを爆発させていた。
帰らないで私達と一緒にスタジアムに残って、結果を待っていてくれた新潟サポーターの 「おめでとう」 の声援と拍手。
そして、帰りの応援バスは、そのまま、J1昇格記念パティーの会場に横付けに。
帰りのバスの中で、フロントの人が、「クラブはJ1に上がった時の事しか準備していなかったので、もし、昇格しなかったら、どうなっていたのだろう」 と。 「私達も、J1に上がった時の事しか考えていなかったよ」 と笑顔のサポーター達。
パーティは笑顔笑顔の乾杯で楽しかった。
そして、鏑木享。
パティーがお開きになって、私達は、駅の改札に入ろうとした時に、シャッターを下ろした売店にいる人影に気が付いた。
そこに、一人、寄りかかって座り込んでいる鏑木享。
「アッ、カブだ。どうしたんだろう」
「声を賭けれない雰囲気だね」
そう、さっきまでの弾けていた姿とは、全然、違う空気をまとった鏑木享。
何を考えているのだろう。
私達は、そっと静かに改札へと入って行った。他の、東京サポ達が、「おや?」 という表情ををしながら、私達と同じように、振り返りながら静かに改札へと向かう。
友達と、あの頃の話になると、必ずあの時の、放心したように佇んでいたカブの話題になる。
カブのいた時代は、何もかもが初めてで、何もかもが楽しくて、選手もサポーターもフロントも一緒になって新しい東京の歴史を作り始めた時期だった。
カブは、最期は松本山賀で選手生活を終えたのね。
そこでも、あの、♪32は 鏑木カブゴール 松本のスーパーカブゴール♪ を歌ってもらって。
その後、飛田給の駅前のグッズ売り場にカブがいてビックリした事がある。
カブを始めて見た日から、もう、15年になる。随分と月日が経ったのだなと、改めて思う。
カブも、すっかり落ち着いた、いい表情の鏑木氏になっていた。
何か、別れた懐かしい人に会ったような、込み上げるものを感ずる。
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