土曜日に新幹線で実家に向かう。まずは夫の実家の小国町(刈羽郡から長岡市に!!)に向かう。まず長岡駅に、そこから信越線に乗り換える。新幹線は込んでいた。座席指定の通路までびっしりと立つ人達がいた。ところが信越線が豪雨でストップしている。駅の放送が要領を得ない。しばらくお待ちくださいと繰り返すだけ。しばらくは“しばらく”なのか、見通しのつかない“しばらく”なのか。“しばらく”待っていても埒があかないので、駅員まで聞きに行く。どうも見通しのつかない“しばらく”みたいなのだ。早く言ってよね。バスで行く事にする。
雨は降っていなかったけど、途中の川の水はたしかに危険な状態だった。川の土手が崩れているところが何箇所もあった。途中、新潟地震の仮設住宅を何箇所か見た。私の実家の柏崎に行った時も仮設住宅がまだまだあった。そしてバスの窓から見る風景は、新しい今風の家が沢山作られていて、建築中の家も沢山あった。
私達の実家も親戚も新潟地震の影響があまり無かったので、私はもう過去のような気になっていたけど、まだまだ困っている人達が沢山いる。山古志村が有名になったけど、夫の実家の奥の村にも山古志のようにズタズタになって住民皆が仮設に入っている所がある。
しかし、向こうでは雨が良く降った。降る時は半端じゃなかった。バケツの水をひっくり返すというが、本当にそう。玄関も窓も全てを閉めないと、その激しさで飛沫が入ってくるのである。でも長くは続かず、日差しが出るので蒸し暑い。
私の老親はまだまだ二人で頑張っている。2ヶ月程、二人で愛知県の姉のうちに行っていたけど、二人が何もする事がなく「このままでは足腰が弱ってボケるのではないか」と姉と二人で心配した。父は早く家に帰りたがったと言う。今、また二人で住み慣れた家でなんとか寄り添って生活している。近くには妹も、両親がなくなって私の親を本当の親と思って大事にしてくれる従姉がいるし、一緒に住んでもいいと言っている甥の家族もいるので、遠く離れていても安心はしているが・・・二人で生活しているから、80半ばになっても元気でいられるのだろうと、思うようにしている。
でも、長く二人で生活して来て自分の世界がガッチリ固まった老人と生活を共にするのは娘でも大変な事である。姉は精神的に疲労困憊したと言う。私も年に何回か4~5日実家で過ごすが、大変な思いをする。彼らの言う事は絶対に是であり、非はないのである。特に母親の気持ちは強い。そのストレスは大変だけど、時々は帰ってあげたいと思っている。仕事とサッカーの予定をいつも手帳で見つめながら・・・
雨は降っていなかったけど、途中の川の水はたしかに危険な状態だった。川の土手が崩れているところが何箇所もあった。途中、新潟地震の仮設住宅を何箇所か見た。私の実家の柏崎に行った時も仮設住宅がまだまだあった。そしてバスの窓から見る風景は、新しい今風の家が沢山作られていて、建築中の家も沢山あった。
私達の実家も親戚も新潟地震の影響があまり無かったので、私はもう過去のような気になっていたけど、まだまだ困っている人達が沢山いる。山古志村が有名になったけど、夫の実家の奥の村にも山古志のようにズタズタになって住民皆が仮設に入っている所がある。
しかし、向こうでは雨が良く降った。降る時は半端じゃなかった。バケツの水をひっくり返すというが、本当にそう。玄関も窓も全てを閉めないと、その激しさで飛沫が入ってくるのである。でも長くは続かず、日差しが出るので蒸し暑い。
私の老親はまだまだ二人で頑張っている。2ヶ月程、二人で愛知県の姉のうちに行っていたけど、二人が何もする事がなく「このままでは足腰が弱ってボケるのではないか」と姉と二人で心配した。父は早く家に帰りたがったと言う。今、また二人で住み慣れた家でなんとか寄り添って生活している。近くには妹も、両親がなくなって私の親を本当の親と思って大事にしてくれる従姉がいるし、一緒に住んでもいいと言っている甥の家族もいるので、遠く離れていても安心はしているが・・・二人で生活しているから、80半ばになっても元気でいられるのだろうと、思うようにしている。
でも、長く二人で生活して来て自分の世界がガッチリ固まった老人と生活を共にするのは娘でも大変な事である。姉は精神的に疲労困憊したと言う。私も年に何回か4~5日実家で過ごすが、大変な思いをする。彼らの言う事は絶対に是であり、非はないのである。特に母親の気持ちは強い。そのストレスは大変だけど、時々は帰ってあげたいと思っている。仕事とサッカーの予定をいつも手帳で見つめながら・・・
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