都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

井門邸

2020-03-18 | 新宿区  
井門邸
所在地:新宿区 中落合3-18
構造・階数:木・2F
解体年:2018(平成30)
備考 :目白文化村の分譲時に造られた建物
Photo 2006.2.19

 目白文化村と呼ばれる住宅地内にあった洋風住宅。

 一帯の分譲は大正時代後期に始まったそうだが、この住宅はその時に建てられたもので、戦災でも被災せずに使われてきたものだったようだ。

 きれいに手入れして住んでおられたが、2018年末に訪れたところ解体されて更地になってしまっていた。Google Street Viewの2018年4月の写真には写っているので、その年の秋に解体されたらしい。


 Photo 2015.12.22

 玄関わきに張り出した部屋があるのが特徴的。2階の窓などは新しいサッシに替えられていたが、玄関の扉や張り出し部分の窓は木枠で、瀟洒な姿を見せていた。目白文化村でも戦前の住宅は次第に少なくなっていて、数えるほどになっている。

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 新宿区  #住宅系  #戸建て住宅  #洋館・洋風住宅 
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秋山邸

2020-02-26 | 新宿区  
秋山邸
所在地:新宿区 下落合4-9
構造・階数:木・2F
建設年:昭和初期
解体年:2016〜17(平成28〜29)の間
Photo 2009.6.8

 昭和初期に建てられたという和洋併設の住宅。目白の徳川黎明会ができる前に同所にあった戸田邸の部材を使って建てたという話のある建物だった。

 門と玄関がある西側部分はアーチ型の3連窓がある洋風建物。その奥、東側(上写真右)に和風建物が接続していた。敷地の関係からか、建物の洋風部分は南側の道には直接面していた。

 アーチ型窓の前には小さなバルコニーがあり、窓の右側にはバルコニーへ出る扉もあった(手前の木の幹に隠れて写真ではよく見えないが)。


 南側から Photo 2009.6.8

 和風部分は洋風部分より少し下がった位置に建てられていて、屋根付きの板塀と細い庭が建物手前にあり、これが目隠しになっていたようだ。


 門と玄関の側(西側)から Photo 2010.4.29

 門の側からだと、石の門柱が立派なのと縦長の上げ下げ窓が印象的だった。ただその他の装飾はあまりないので、これだけだと古い洋館にはそれほど見えなかった。

 2010年に訪れた時はまだ比較的きれいな状態だったが、売却直前には屋根や窓枠などの傷みが進んでいた。2015年末に訪れた時には既に売却希望物件になっていて、その後、2016〜17に売却されて消失したようだ。落合界隈の戦前の洋風住宅は残念ながらあと十数軒ではないだろうか。

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#失われた建物 新宿区  #住宅系  #洋館・洋風住宅 
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とみん銀行・新宿第2アオイビル

2020-02-08 | 新宿区  
新宿第2アオイビル・とみん銀行
所在地:新宿区 西新宿7-10
建築年:1976(昭和51)
構造 :SRC
階数 :13+B2
解体年:2015(平成27).9〜
備考 :2018(平成30)に新しく「オーガード新宿」が完成
Photo 2008.8.11

 新宿大ガード西交差点に面していて、東京都民銀行が入居していた13階建ての建物。

 建て替え前の建物は交差点側の部分は低層で、後方に板状の高層部分がある形をしていたが、建て替えによって2018年に竣工した「オーガード新宿」は、敷地全体が高層化している。

 新しい建物は11階+塔屋1階で階数は減ったが高さは変わっていない。1フロアの面積が増えたので、階数は減っても延べ床面積は200㎡弱増えたようだ。延べ床面積が大幅に増えたわけではないのに建て替えに踏み切ったのは、耐震性の問題か、OA対応の非力さ故か、1フロアの面積や間取りの関係か。素人にはそのあたりの理由はよく分からないが、建て替えたくなる理由がなにかしらはあったのだろう。

 なお、東京都民銀行は2018年5月に八千代銀行、新銀行東京と合併して、きらぼし銀行になっている。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 新宿区  #銀行・保険 
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早稲田大学 旧3号館 その2

2020-01-20 | 新宿区  


 正面玄関扉と玄関内の小窓

早稲田大学旧3号館
所在地:新宿区西早稲田1-6
建設年:1933(昭和8)
構造・階数:RC造・4F
設計 :桐山均一(早稲田大学営繕課)
解体年:2011(平成23)
備考 :2014(平成26)に新3号館が完成
Photo 2007.9.20(以下すべて同じ)

 学校建築なので壮麗な装飾が内部にあるわけではないが、クラシックな建物らしいデザインが各所に見られる建物だった。記憶が曖昧だが、以下3枚は2階の廊下の様子。南側と北側で建設年が少し異なり、両者を結ぶ部分もあるため、廊下のデザインも場所によって異なっていたようだ。

 幅木の部分は大きめのタイル。床も石のように見えるが左官仕上げかと思われる。

 別の場所では1.2mほどの高さまで木製の板が腰壁として張られている。手前には丸柱が廊下に張り出している。ここの床はリノタイルだろうか。

 さらに別の場所は、ほとんど装飾がなくちょっと素っ気ない感じ。左側は給湯コーナーのようだが、後から廊下の途中に造ったのだろうか。衝立で区切った奇妙なものになっている。


 階段室

 この階段は高い位置までタイル張りの腰壁が立ち上がっており、床もタイル張り。階段わきにはトイレがあった。


 4階から階段室

 なじみのない建物だったので、この階段室がどこにあったのか、中庭側と外側どちらの側だったのか覚えていない。踊り場の角はカーブを描いていて、最上階では天井から灯りが吊されていた。


 階段室見下ろし

 このようなタイル張りの階段は、建物内では最近はあまり見掛けない。


 階段手摺

 上3枚の階段とは別の位置にあった階段。こちらは3枚の板を重ねたような手摺。この手摺のデザインは現在の建物でも再現されている。


 消火栓と火災報知器

 電気系は建設当初はあまりなかったので、壁にはたくさんの配線パイプなどが張られていた。スプリンクラーなどではなく、壁面にホースを収納した消火栓。これも古い建物ではときどき見られるもの。

都市徘徊blog > 早稲田大学3号館つづき

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#失われた建物 新宿区  #早稲田大学  #大学 
#桐山均一  #近代建築  #屋内階段 
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早稲田大学 旧3号館 その1

2020-01-18 | 新宿区  
早稲田大学旧3号館
所在地:新宿区西早稲田1-6
建設年:1933(昭和8)
構造・階数:RC造・4F
設計 :桐山均一(早稲田大学営繕課)
解体年:2011(平成23)
備考 :2014(平成26)に新3号館が完成
Photo 2007.9.20

 全体の平面型はロの字型で南側の両翼が少し張り出した形。屋根は他の校舎同様えんじ色の瓦屋根。


 北西側から Photo 2011.5.26

 北側には4号館との間をつなぐブリッジが架けられていた。新しい3号館ではこのブリッジは無くなっている。また、2011年度に入ると外側に工事用囲いが設置され、解体工事が始まっていた。


 正面玄関 Photo 2007.9.20

 玄関内のようすは異なるが、外側は新3号館でもほぼ忠実に復元されている。


 4階壁面の装飾 Photo 2011.5.26

 中庭側壁面の装飾も同様に復元されているが、旧3号館の中庭部分は新3号館では吹き抜け内になっており、壁面沿いに設けられた通路を歩くと装飾を間近に眺めることができる。


 3号館両サイド中央の壁面 Photo 2011.5.26

 3号館は当初は南側半分だったようで、後に北側半分が造られ、更に両者がつながれてロの字型の建物になっていた。写真はコの字型の南北二つの建物をつないでいた増築部分。ここの部分の4階にはアーチ型の装飾はなく、壁面全体がガラス面の多いモダンなデザインになっていた。


 西側の7号館から増築部分 Photo 2011.5.26

 ギザギザの庇が付いており、その下には水を流し落とす嘴状の装飾が付けられていた。


 2階から中庭 Photo 2007.9.20

 比較的大きな中庭には植栽だけでなく高木もあった。


 中庭南側 Photo 2007.9.20

 中庭上空の4階部分にブリッジがあるのも印象的だった。残念ながらこのブリッジ内部の写真は撮らずじまい。


 ブリッジ見上げ Photo 2007.9.20

 4階の南側に大きな教室があってこの部分に廊下がなかったため、東西を行き来できるようブリッジを架けていたらしい。当初からあったのか増設されたのかは知らず。早稲田キャンパスの他の校舎にはあまりないデザインが印象的だった。

 80年近くにわたって使われていた旧3号館だったが、残念ながら解体され現在は高層の新3号館になっている。

 新3号館の低層部前面には旧3号館の南半分を復元し、メインの軸線沿い低層部の景観の保持を試みている。往時の3号館がそのまま残されているように見えるが、新棟建設に際してはRC造の旧3号館はいちど完全に解体されている。新3号館の復元部分は、S造(一部SRC・RC)で、外観を「再現した」という方が良いのかもしれない。

 旧3号館の内部についてはまたこんど。

都市徘徊blog > 早稲田大学3号館 その2新3号館 その1その2

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第一信用金庫本店/浪漫亭/ビストロかがり火

2020-01-16 | 新宿区  
ビストロかがり火(旧第一信用金庫本店)
所在地:新宿区市谷柳町1
建設年:1925(大正14)
構造・階数:RC・2F
解体年:2015(平成27)
Photo 2006.8.27

 大正時代に信用金庫の本店として建てられた建物。戦後はしばらく病院として使われていたというが、平成期には居酒屋、そしてレストランになっていた。大久保通りの拡幅に伴い2015年10月末に閉店し、残念ながら同年末に解体された。

 2006年に訪れたときは、外壁がきれいに塗り直されていてちょっとオシャレな感じのレストラン・洋菓子店だった。


 Photo 1995.6.3

 1990年代に最初に見た時は浪漫亭という居酒屋だった。

 改修前後の写真を比較すると、側面や正面上部の看板が取り外され、側面には照明も取り付けられていた。店舗の庇も建物に合ったものに取り替えられていた。建設当初の色と同じかどうか分からないが、改装によって外観はもとの建物を活かしたものになっていたようだ。

 浪漫亭という店の名をネットで検索すると、現在も「新・浪漫亭/ビストロかがり火」というサイトがあり、その中の「浪漫亭あれこれ」にこの建物の来歴が記されている。

1925(大正14)第一信用金庫本店(注1)
  戦後    柳町病院(注2)
1989(平成元) 浪漫亭
1996(平成8) 新・浪漫亭
2005(平成17)ビストロかがり火
2015(平成27)閉店、解体

注1)第一信用金庫は、後に帝都信用金庫となる。更に2000.3に東京都商工信用金庫、日本橋信用金庫、東商信用金庫、京橋信用金庫と合併し、現在は東京シティ信用金庫。
注2)柳町病院は1982に道の反対側に移転。

 またこのページには第一信用金庫本店当時の姿も載っている。

 飲食店だった時期の姿と比較すると、もともとは半円形の付柱が1階から立ち上がっていたが、後年は2階部分のみになっていたこと、またかつては中央上部に第一信用金庫の社章とおぼしきレリーフがあったことも分かる。

 もともと銀行系の建物だったのが、戦後、病院になったり飲食店になったりと紆余曲折はあったが、幸運にも90年間使い続けられてきていたわけで、もう少し残れば文化財とかになっていたかもしれないだけに、道路拡幅で取り壊されてしまったのはやはり残念。

#失われた建物 新宿区  #商業系  #銀行・保険  #近代建築 
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銅版張りの看板建築 クリーニング東和ほか

2020-01-14 | 新宿区  
銅版張りの看板建築 クリーニング東和ほか
所在地:新宿区高田馬場4-39-6
構造・階数:木造・2F
解体年:2010〜12
Photo 2006.2.3

 早稲田通り沿いに4軒つづきで並んでいた銅版張りの看板建築。営業しているのはクリーニング店だけのようだったが、比較的きれいな状態で残されていた。緑青銅板張りの看板建築がたくさん建ち並んでいる場所は既に少なくなっていたので、この建物群はちょっと貴重だった。

 一番左は、縁をトタンにしたためそこが額縁状に錆びていて、窓まわりの壁面はカラートタンに替えられているが、右の3軒は上端部の装飾が連続して繋がっていて、元はひとまとまりの看板建築だったことが窺える。

 一番右は、上の方の壁面に文字は読めないがなんらかの店舗名が張られていた跡が見える。また右から2番目は、一部をトタンにしたせいか2階庇上などが錆びているがその他は比較的当初の姿を残しているようだった。

 一連の建物は、Google Street Viewで見ると、2009年12月時点ではまだ存在していたが、2013年7月の画像では既に新しいビルになっている。建設に掛かる時間を考えると、2010〜12年頃に解体されたようだ。

高田馬場の看板建築 - 都市徘徊blog

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山栄ビル

2020-01-12 | 新宿区  
山栄ビル
所在地:新宿区高田馬場4-38-16
構造・階数:RC?・3F
解体年:2018.4〜2019.7
Photo 2006.2.3

 早稲田通り沿いに建っていたやや古そうなビル。左右で壁面の色やデザインが異なるが構造的には一つのビルのようだった。装飾などが特に無いので、愛着がわくとかいう感じではなかったが、早稲田通り沿いから古いビルや看板建築が無くなっていき、10階建て程度のマンションやオフィスが多く建ち並ぶようになった中では、昔の街並み風景を思い起こさせる建物になっていた。

 Google Street Viewで見ると、このビルは2018年4月には写っているが、2019年7月の画像では更地で既に消失している。従って比較的最近、この一年ぐらいの間に解体されたようだ。

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東山堂ほか

2020-01-10 | 新宿区  
東山堂
所在地:新宿区高田馬場4-38-11
構造・階数:木造・2F
解体年:2010〜12
Photo 2006.2.3

 右側の建物は、比較的きれいな銅板張り看板建築だった。上部には営業内容を示す文字が貼ってあった痕があり、縦に二文字ずつ五列書かれていて、一番左の行は一式とあったようだが、他の列は読みとれないままだった。1階の軒上には「丸??商店」の文字もあるが、店名部分が脱落してこれも読めなかった。

 中央は襖張り屋さんでこちらはモルタル塗り壁面。入口のガラス扉に「天井・壁クロス張り、床張り、襖・障子張り替え」と書かれていた。左側は中央と構造は一体だったようだが、前面の一部壁面をブロック造の壁のように仕立てていた。ただ痛んで崩落の恐れがあったのかネットが掛けられていた。

 一連の建物はこの写真の後もしばらくは残っており、2009年12月のGoogle Street Viewにはまだ写っている。しかし2013年には跡地に「Gemstone 高田馬場」というマンションが完成しているので、2010〜12年までに取り壊されたのではないかと考えられる。

高田馬場の看板建築 - 都市徘徊blog

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富永肉店ほか

2020-01-08 | 新宿区  
富永肉店ほか
所在地:新宿区高田馬場4-29-22
構造・階数:木造・平屋
解体年:2010〜13
Photo 2006.2.3

 荒木商店・一英堂の西隣にあった平屋の店舗。精肉店は看板が出ていてまだ営業しているようだったが、全体に老朽化が激しく半ば廃墟のような状態だった。

 2009年12月のGoogle Street Viewでは、全体が別の素材で覆われていて倉庫のようになっていた。2013年6月時点で既にコインパーキングになっているので、2010〜13年に解体されたようだ。2015年に東隣の三軒の銅板張り看板建築が解体された後、その敷地も合わせて13階建てマンション(ヴェルデュール高田馬場)が建設された。

高田馬場の看板建築 - 都市徘徊blog

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