おばけ階段の近くにあった旅館はいつのまにかなくなっていた。
旅館・上海楼
所在地:文京区根津1-20
構造・階数:木・2
建設年:戦後?
解体年:2005年初め
Photo 1995.5.14
根津教会がある道をおばけ階段の方へ向かっていくと、教会と同じ側に建っていた。いつの頃からそうなっていたのかは知らないが、ピンク色に塗られた外壁が印象的だった。中華街など、中国風建築は原色の極彩色のイメージが強い。上海楼の建物は基本的に和風建築だが、ピンク色の外観はその名からイメージされる色合いに合っているような感じだった。
必ずしも、良い建物だったとは思わない。どちらかというと妙な建物だったが、無くなってしまうとなんだかとても寂しいものだ。跡地には普通のマンションか何かが建った。今思うと、街を特色づける一つのポイントになっていた建物だったのだなぁと思う。
この近辺は江戸期には根津神社門前の岡場所があった場所で、明治初期には遊郭だった場所らしい。現在の東大が本郷に置かれることになり、根津遊郭が洲崎に移転したことは比較的有名だ。それもあって、この上海楼の建物を遊郭の名残とする記載も見られるが、写真の建物じたいが遊郭の建物だったかどうかは定かではない。(その後の調査(下記)で、この建物はやはり戦後のものだったらしく、旧遊廓建築ではなく、本郷界隈で戦後増えた旅館のひとつだったらしいことが判明。)
根津遊郭は明治21年(1888)に廃止されたという。写真の建物が、明治初期のものなら、これは昔は遊郭として使われていたのかもしれない。もし明治後期以降の建物なら、最初から旅館かなにかだったのだろう。モルタル塗りの派手な色の外観はそんなに古い建物には思えなかったが、建設年を知らないのでなんとも言えない。もちろん、旧遊郭が旅館業に転向した可能性はあるので、上海楼という旅館は、なんらかの名残なのかもしれないが、そのへんの詳細について、私は未調査。
2008.9.19 追記
関連情報が、ぼくの近代建築コレクションに記載された。
2022.8.25 追記
戦前版(1934〜39年)の火災保険特殊地図では、この場所には上海楼は旅館としても飲食店としても記載がない。建物外形も後の上海楼とは全く異なり、数棟の家屋になっている。一方、戦後版(1953年)の火災保険特殊地図には、「(旅)上海楼」としてその後とほぼ同じ形のものが記されている。従って、建物はやはり恐らく戦後のもので、当初から旅館として建てられたものだったのだろう。
ただ、「ぼくの近代建築コレクション」に記されている中華料理店としての上海楼が当初どこにあったのかは、火災保険特殊地図では分からなかった。
上海楼、弥生アパート/根津1丁目 - ぼくの近代建築コレクション
Tokyo Lost Architecture
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