東京新旧写真比較(1981/2009) No.30 千代田区神田神保町
Photo 1981(ノーマル時)、Photo 2009.2.22(マウスオン)
以前に掲載した、神田神保町3丁目・ペンギン書房の撮影地のすぐ近く。右側にその時の一連の建物が見えている。左端は九段下ビル。その背後の丸元ビルは、外装は一新されているが、建物本体は変わっていない。また、中央の日建神保町ビルや、一番奥に小さく見える新駿河台ビル(福徳銀行)など、いくつかの建物がそのままの姿で健在。
沿道建物の高さが低いため、以前の靖国通りはかなり広く見える。D/H比(道路幅員D/沿道建物高さH)は3程度あったのではないだろうか。現在はD/H=1程度のようだ。西洋の都市ではD/H=1が良いと言われているようだが、長年、平たい都市で暮らしてきた私たちは、D/H=1だとやや狭苦しく感じてしまう気がする。
もちろん、以前は歩道部分が狭かったので、車道部分の幅は今より広い。現在は中央分離帯もでき、広げた歩道には植栽も造られている。
1981年の写真でも、電線はあまり見えないが、まだ電柱はあちこちに立っており、電線の地中化はまだ行われていなかったようだ。現在は電柱もなくなり、歩道も石畳などに舗装され、きれいになっている。1981年当時、道路工事がされているが、これは地下鉄半蔵門線の建設に伴うもの。紆余曲折があり、この場所を含む半蔵門〜三越間の開通は、1989年にずれ込んだという。
1981年の写真で、向こうから来る白い車は、マツダコスモAP、左側の赤い車は、いすゞ117クーペ。80年代頃までは、2ドアのスポーツタイプの車がたくさん走っていた。
微妙な位置決めは、九段下ビルと後方のビルの重なり具合で特定することができた。その際、九段下ビルには階段室の道路沿い部分に避雷針が付いていることに気が付いた。ただし奥の側の避雷針は現在はなくなってしまっている。
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