都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

早稲田大学 西早稲田キャンパス

2009-07-19 | 新宿区  

 20年の移り変わり。私が入学した頃の西早稲田キャンパス(当時の名称は大久保キャンパス)は、現在とは少々様子が異なっていた。

51号館屋上から大久保キャンパス(東方向を見る。上方が明治通り)
左:56号館、左奥:65号館
右手前:53号館、右:54号館、右奥:自動車部部室(瓦屋根の平屋)
Photo 1987.5.9(3カットを合成)

 入学当初は広角レンズ付きのカメラを持っていなかったので、50mmレンズで3カット撮影。最近になって当時のフィルムをデジタル化し、これを結合したのが上の写真。

 この写真を撮ってからしばらくして、55号館の建設が始まり、1993年にこれが完成すると理工キャンパスの様子は大きく変化した。

 当時と最近の様子(下写真)を比較してみると、まずなんといっても55号館が無かった。ここには防球ネットで囲まれた小さなグラウンドがあり、キャンパスの東南角には自動車部が使っていた瓦屋根の小さな部室があった。グラウンドは理工サッカー部や理工ラグビー部などが入れ替わり立ち替わり利用していたようだ。運動系の部やサークルに属していなかった私は、結局このグラウンドに足を踏み入れることはなかった。

51号館18F階段室から西早稲田キャンパス
左:56号館、左奥:65号館、正面:55号館N棟・S棟
右手前:53号館、右:54号館
Photo 2008.6.23(2カットを合成)

 55号館建設前は、東側に建物がなかったため、理工キャンパスの中庭は景色の面では東側に抜けた感じになっていたが、55号館が完成すると、中庭は校舎群によって完全に囲まれ閉じたスペースになった。ある意味、いかにもキャンパスの中庭らしい空間になったと言える。

 中庭じたいの様子も変化している。私の入学当初は中庭には高木は少なかった。
 理工キャンパスでは、東西南北に沿った格子状の基準線が考えられていて、建物群は全てその格子を基準にして計画配置されている。中庭の四角い植え込みもこの基準線に沿って規則的に配されたもの。特に噴水周辺の植栽には、大きな木がなく、半球型に刈り込まれたツツジが花を咲かせ、整然とした様子になっていた。大木を中庭に配すると、視界が遮られて広がりが感じられなくなると考えたのだろうか。キャンパス内の建物群が見えなくなるとも考えたかもしれない。

 中庭に高木が少ない一方で、グラウンドの周囲には高木が立ち並んでいた。これらは55号館の建設に際して伐採されたが、その後、一部を移植したのか、減少した緑を補うためか、中庭に高木が配されることになった。桜の木が植えられたのもこの時である。
 53号館のすぐ前の四角い植え込みは、ちょうど写真の時に撤去中で現在はない。右側の教室棟側は、この植え込みが撤去されたために、正門から55号館へ至るプロムナード状の空間になり、緊急車両なども入りやすくなっている。

 このように中庭の植栽を変更したら、キャンパスの雰囲気ががらっと変わった。以前は建物がズラッと見えていて、それはそれで壮観だったが、一方でかなり人工的な感じになっていた。やっぱり理工学部だから冷たい感じだと皆が思ったものだったが、樹木が多くなったら、意外に緑がある穏やかな感じに変わったのだった。春になれば桜が咲き、秋になれば落ち葉が舞う。芝生とツツジと低木の植栽が中心で、緑さえも計画的に管理されていたようなプランだったのが、それが少し崩れた。緑が多くなり、木陰も増え、木が大きくなった最近では、夏になると中庭の反対側の建物が見えなくなるようになった。昼休みに木陰で弁当を食べる学生も増えた。
 建物の変化は良く知られているが、いつのまにかキャンパスの緑地環境も変化しているのだった。

大久保キャンパス建物配置図(2006年頃・上が北)

 2008年6月には東京メトロ副都心線が開通し、大久保キャンパスの東側の明治通りの地下には西早稲田駅ができた。キャンパス内にも駅の出入口が完成し、理工キャンパスへの新たなアクセス手段が生まれ、渋谷、池袋、新宿3丁目から、飛躍的にアクセスが向上した。理工系学部の学生は、今までは西武新宿線の沿線などに下宿することが多かったが、今後は東武東上線や西武池袋線、東横線沿線に住んで、副都心線で通学する学生も増えるかもしれない。

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