六本木1丁目再開発により1999年に無くなった階段周辺の街並み。
撮影時、既に再開発の準備が始まっており、住民は立ち退きつつあり、周辺の住宅やアパートには空き家が多い状況だった。大谷石でできたこの階段は、クランクしていて幅や傾斜にも変化があり、複雑で魅力的なものだった。
六本木1丁目界隈の案内地図
所在地:港区六本木1-4
Photo 1994.9.2
この階段の少し南には作家永井荷風が昭和初期に住んでおり、偏奇館と呼ばれた洋風住宅(戦災で焼失)があった。隣接地にはアークヒルズもあるなど、周辺は都心のオフィス街だが、エアポケットのように残っていたこの場所は、昭和30〜40年代の風景を残す数少ない場所だった。
泉ガーデン建設予定地全景
所在地:港区六本木1-4
Photo 1995.5.27
当時、南北線が建設中で、駅及びその出入口の工事が付近で行われており、仮設の階段も造られていた。そして一連の家屋群の跡地には2003年に泉ガーデンが完成した。
谷地の最下部から東方向
Photo 1995.5.27
多くの家屋が既に無人だったため、雑草などが伸び放題になっており、都心とは思えない独特な雰囲気の空間になっていた。
御組坂を西へ入った先の場所
所在地:港区六本木1-4
Photo 1995.5.27
住人がほとんどいないため人影も少ない。道はこの奥で右へクランクするが、その角に高台から上写真の谷地へと下る折返し階段があった。
六本木1-4の階段・中段部からのパノラマ Photo 1996.4.23
左方に見えるのは首都高速都心環状線。左端は旧 日本IBM本社ビル。六本木プリンスホテルに隣接して建っていた日本IBMは2012年に解体され、跡地では再開発が始まっている。中央のビルも解体されたようで、同所に現在あるのは、六本木ティーキューブ(2003年竣工)。従って、この画面内で現在も残っているのは首都高速のみ。十数年でこの近辺の景観は激しく変化している。
泉ガーデンの建設が始まった頃の様子 Photo 2000.3.8
基礎工事のため、土地全体が掘られ、元々の地形は跡形もない。右側は高台側で階段状に土が残されているが、階段その他は全く無くなっている。
東京の階段 DB > 偏奇館跡そばの階段
この記事は「Site Y.M. 建築・都市徘徊」内から移設し、写真を追加しました。
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