都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

北野湯

2020-03-02 | 板橋区  
北野湯
所在地:板橋区 徳丸1-33
構造・階数:木・2F
開業年:1961(昭和36)
廃業 :2018(平成30).3.31
解体 :2019(平成31).11
Photo 2015.10.12

 東武練馬駅から谷の中を北へ延びる不動通りに面した場所で営業していた銭湯。
 玄関はやや引っ込んでいて、左右が張り出した形で、正面から見るとほぼシンメトリーな姿だった。張り出した右側はコインランドリー、左側は用途不明。
 戦後の昭和30年代に創業した銭湯だったそうで、お寺か御殿のような宮造り型ではなく、木造だがわずかにモダンな雰囲気を漂わせた建物だった。


 南側から

 撮影時、銭湯の南側は大東文化大学のスクールバスの待機所になっていたため、奥の方まで続く側面を眺めることができた。左端、張り出し部分の2階は後方とは離れていて独立していた。前述のように1階はコインランドリーだったが、2階はどのように使われていたのだろう?

 道路ぎわの2階建ての右側が、番台や脱衣所のある建物、高窓のある部分が洗い場、右端が湯舟とボイラー。どうも玄関両翼に2階建てがあることだけがちょっと特殊で、後方部分は一般的な造りだったようだ。

 全体は木造だったが、玄関のタイル張り丸柱と柱間の細い梁は何製だったのか不明。また、玄関扉わきの壁面と軒庇はホリゾントのように曲面でつながったデザインにされていた。部分的に奇妙にモダンな造りだったのが記憶に残る。

 玄関わきには「マキでわかしています(薪で沸かしています)」との貼り紙が。そういえば建物北側は廃材置き場で、木造家屋の解体現場で出た廃材や箪笥などが山積みになっており、仕入れた廃材を主人が整理していたのを見掛けたこともあった。

 奥に見えるカーブした衝立で男湯と女湯に分けていたのだろうか。貼り紙やポスターがたくさん貼られて、ローカルな感じ。

 豆タイルでモザイク模様を造った玄関部分の柱。傷んでいたがちょっと手が込んでいてなかなかよい味わいを出していた。

板橋ハ晴天ナリ。さらば、赤塚郷昭和の風景。

Tokyo Lost Architecture  
#銭湯  #失われた建物 板橋区 
タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする