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日紫ビル
所在地:中央区 銀座2-8
構造/階数:SRC/5+B1+R
建設年:1932(昭和7)
解体年:2016(平成28)
Photo 2006.4.7
下記『あの日の銀座』によれば、1932年に建てられたビルだったという。
ただ、不動産会社サイトのテナント募集ページでは1969年竣工と記載されていたりした。このため、このビル関連の記事の多くは1969年竣工とされている。階数が少ないし軒先に庇が出ていてそれらを新しいパネルで覆っているようだったので、昭和40年代築ではなくもっと古いのではないかと思っていたのだが、やはり戦前のものだったようだ。
1933(昭和8)年の火災保険特殊地図では「銀二ビル(4F)」とされているので、屋階だけでなく5階も後年の増築だったのかもしれない。
1958(昭和33)年の火保図では「日本製紙ビル」でRC・5F。トッパンKK、北興産業KKが入居していたと記されている。
1965(昭和40)年の住宅地図でも「日本製紙ビル」だが、1973(昭和48)年の住宅地図では「日紫ビル」(6F)となっている。
1969(昭和44)年という情報は、日紫ビルになった年か、大改装された年だったのかもしれない。
なお、右隣の米井ビルは1929(昭和4)年築で現存しているが、日紫ビルの方は5年前に解体され、跡地には既に新しいビルが完成している。
参考『(地図物語)あの日の銀座:昭和25年から30年代の思い出と出会う』
日柴ビル、泰明商会/銀座2丁目 - ぼくの近代建築コレクション
佐藤洋一・ 武揚堂編集部 著、2007
Tokyo Lost Architecture
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