ぽてと倶楽部

じゃがいも伝来の地 『長崎』
雲仙普賢岳の裾野に広がるじゃがいも畑。
ここ愛野町は北海道に次ぐ「ポテト王国」です。

37年ぶりの再会

2011-01-04 | よもやま話
一昨日は高校の同窓会で
私の3年間のそれぞれの担任の先生を含め恩師4人が出席されていた。

恩師とは37年ぶりの再会であったが直ぐわかった。
歳の差は17~20歳違うのだが、
この歳になるとそんな大差には思えないのも不思議だ。

それぞれの恩師に酒を注いでいるといろんなエピソードを思い出す。

1年、2年と同じ担任のS先生。
私の苦手とする古典の先生で、赤点ばかりでよく説教されたものだ。

また入学早々高体連にむけた応援団のクラス選抜があった。
2名を選出していたのだが、そのうちの1人が泣きついて断ってきたらしく、
ある日、職員室に呼ばれた私に白羽の矢が向けられた。
「必ず君の為にもなるから行って欲しい!」

甘い言葉にのって受けてしまったのが運の尽き。
応援団には気合の入った同じ中学出身の先輩Mさんがいた。

それでもなんとか高体連が終ったらコッソリ逃げようと思っていたが
野球部がその年の九州大会で準優勝して春の選抜初出場確実となり
「こりゃ行くべし」の不純な動機で戻ってしまった。
これが今の大路弾丸ツアーにも繋がっているのである。

2年になると遠距離通学のため遅刻の常習となり、
「バス遅れました」の言い訳をするため列車からバス通学に代えたのだが
「が」or「に」の違いをよく追及されたものだ。

最後のほうになると、すでに諦めて1時限目はサボリを決め込み
市立の図書館へ直行し朝のうちから弁当食べていたような。
不思議とそこには同じクラスのNかSがいつもいた。

3年の担任だったのがT先生。
奇しくも数学の先生で理系コースだった私は、
数Ⅲまで履修することになったのだがこれがまたサッパリ。

一度だけ?だったと思うが一桁の点数を取ったことがあって進学を控えた時期、
これまた職員室で説教を受け「志望校十中八九無理」の宣告を受けたのだ。

何年か経ってこの話を両親にはしたことがあるが、
今思うと高校、大学と出してもらった親に孝行はしていないが感謝しているし、
いい恩師、いい仲間に恵まれて本当に良かったと思っている。





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