「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

                    わが家の恵方巻

2012-02-04 09:39:32 | Weblog
今年はお店で買わずにわが家で恵方巻を作った。「戦前昭和」の時代に亡母が作っていた五目御飯の材料、干瓢、デンブ、卵焼き、シイタケ、ハス、インゲンなどを海苔で太巻きにしただけのものだが、結構おいしかった。「戦前昭和」の頃は海苔は今より高価な印象である。弁当箱の御飯の上に海苔を置いただけの”のり弁”は「戦前昭和」の匂いかもしれない。

             「戦前昭和」の時代の記憶

2012-02-04 07:22:58 | Weblog
最近「戦前昭和」という言葉をよく耳にする。講談社現代新書の「戦前昭和の社会」(井上寿一著)からきているようだが、僕はまさにこの時代の”申し子”みたいな世代だと思う。この時代は厳密に言えば、昭和元年(1926年)から二十年(1945年)だが、一般的には大東亜戦争が勃発した十六年以前の時代を指している。

本の副題には”暗い時代の明るい生活”とあるが、子供だった僕にはあまり暗かった記憶はない。昭和6年2月生まれの僕だが、同じ年の6月には満州事変が始まり翌年には上海事変(第一次)そして小学校に入学した12年の7月には支那事変が始まった。事変とはお互いに宣戦布告なしの戦いだそうだが、そのためなのだろうか、社会生活の面で”戦争をしている”意識は感じられなかった。

昨日は節分で初午。何故か僕は「戦前昭和」の時代を思い出した。家族全員がそろって誰かまわぬ大声をあげてした豆まき。初午には近所の”おいなりさん”で行われた行事。大人たちが祭袢纏を着て太鼓をたたき、集まった子供たちに温かい甘酒をふるまった。わが家では節分には”五目御飯”を作り重箱に詰めて、隣近所に配った。干瓢(かんぴょう)ピンク色したデンブ、紅色の生姜、インゲン、ハスなどの野菜をあしらったお酢の御飯だ。

バレンタインなどなかったが、デパートの売り場には動物の形をした大小のチョコレートが売られていた。子供のお小遣いでは買えなかったが、駄菓子屋には子供にはもっと魅力的な金華糖が売られていたし、子供向けの”お好み焼き”(ドンドン焼)も食べられた。”季節がもう少し進むと近くの原っぱには、土筆(つくし)が芽を出し、ヨモギも摘めて家で草餅を作ってもらえた。たしかに明るい生活があった。大東亜戦争がはじまり、この明るい生活は急坂を転がり落ちるようにして、ついには地獄の時代と変わった。