昨日、小ブログで旧日本軍が創設したインドネシア郷土防衛義勇軍(PETA)の隊員だったバンバン.プルトモさんが亡くなれたことを伝えたが、現地の日本語学校の生徒さんから、バンバンさんのインドネシア軍による葬儀が盛大に行われた旨メールで連絡があった。バンバンさんと最後に「海征かば」を合唱された関西在住の友人S氏からも葬儀の詳細が伝えられて来た。
S氏は仕事の関係でジャワへ行く機会があり、そのつどテマングンまで足を延ばし、バンバンさん所望の軍歌カセットや介護用品を届けられていた。S氏は従軍世代ではないが、親戚に戦争犠牲者がおり、各地の慰霊碑を参拝されている。テマングンにも慰霊碑ではないが「萬邦 大和大結 紀元二千六百六年}インドネシア語で”全世界は一家族”と書かれた石碑が市内の公園の中にある。この石碑は、敗戦時、テマングンに抑留されていた九州の磨(みがき)中隊553人が復員のさい建立した。しかし、戦後の独立戦争で行方不明になってしまい、1980年、再訪した戦友たちによって道路下から発見された。
1984年、この石碑は戦友たちの寄付で、市内のバンバン.スゲン将軍の墓地公園に移され、バンバン.プルノモさんらの尽力で、屋根付きのガラス箱に収められた。しかし、残念なことに最近は現地を訪れる日本人も少なく、S氏の話では、石碑を収めたガラスにヒビが入ってきた。戦後70年、石碑が再建されてからでも30余年経つ。S氏と相談して先人たちの遺志を引きつぎたいと思っている。
S氏は仕事の関係でジャワへ行く機会があり、そのつどテマングンまで足を延ばし、バンバンさん所望の軍歌カセットや介護用品を届けられていた。S氏は従軍世代ではないが、親戚に戦争犠牲者がおり、各地の慰霊碑を参拝されている。テマングンにも慰霊碑ではないが「萬邦 大和大結 紀元二千六百六年}インドネシア語で”全世界は一家族”と書かれた石碑が市内の公園の中にある。この石碑は、敗戦時、テマングンに抑留されていた九州の磨(みがき)中隊553人が復員のさい建立した。しかし、戦後の独立戦争で行方不明になってしまい、1980年、再訪した戦友たちによって道路下から発見された。
1984年、この石碑は戦友たちの寄付で、市内のバンバン.スゲン将軍の墓地公園に移され、バンバン.プルノモさんらの尽力で、屋根付きのガラス箱に収められた。しかし、残念なことに最近は現地を訪れる日本人も少なく、S氏の話では、石碑を収めたガラスにヒビが入ってきた。戦後70年、石碑が再建されてからでも30余年経つ。S氏と相談して先人たちの遺志を引きつぎたいと思っている。
「万邦大和団結」碑再建の際の芳志者のお名前はきちんと保存されています。しかし、最近同地を訪れたS氏の話では、やはり月日の経過で、碑全体の保存に多少痛みが出てきているようです。残念ながら、戦争を知る世代は、歳をとりすぎました。なおスゲン将軍は戦後駐日大使として来日しています。ご逝去の後、キリスト教徒となり、現地に立派なお墓があります。
この石碑は、終戦後、捕虜収容所に入れられていた日本編が帰国に際し、建てた石碑です。そして、収容所張がバンバン・スゲン将軍で、将軍は、スカルノ大統領の側近になり、インドネシアとの講和に時、首席全権大使になって来日しています。
この石碑が、不明であったが、道路工事の時発見され。この記念碑の公園内での再建されました。
これを薦められたのが、故経沢藤一郎氏で、私はその方との親交あって、少し寄付しました。債権の時の協力者のなまえが書いてあると思います。
以上
同じようなご指摘がmishimizu@minus.ne.pさんからも届いています。石碑を建てたのは小スンダ列島からのジャワへの移動部隊で、大分47師団磨大隊です。昭和55年ごろ道路わきで発見され、戦友たちと、残留日本兵の会(福祉友の会)が、募金して再建したものです。従軍世代は90歳なかばすぎです。僕も87歳、ご遺骨まで収集出来てません。難しい問題ですね。
katowarta@ybb.ne.jp 東京在住 加藤
昨年9月、ジョグジャ旅行の際にグドン・ソンゴ、アンバラワの鉄道博物館を観光した後、タクシーの運転手に頼んでTemanggungに寄ってもらい、"MONUMEN BAMBANG SOEGENG "を訪れました。
「萬邦大和大結」の碑はガラスの一部が外れ、横にある再建の碑のガラスも薄汚れた状態で、人が訪れることもあまりないような状態でした。少しでもきれいにしようと思い、持っていたウェットティッシュでガラスを拭きましたが、今後荒廃が進むのではないかと心配されます。
折角Temanggungに来たので、近くの道路工事現場の人に「この辺りにBambang Soegeng将軍の弟さんの家はないか」と尋ねましたが、残念ながら「知らないが、将軍のお墓が橋の傍にある」とのことだったので、お墓参りしてきました。こちらは綺麗に整備されており、墓石の上には新しい花が撒かれていました。
今年Temanggungを再訪問してBambang Purnomoさんにお目にかかりたいと考えていた時、逝去を知りました。御冥福をお祈りします。合掌