昭和16年(1941年)12月8日”天祐を保有し万世一系の皇そを践むる大日本帝国天皇は”で始まる昭和天皇のご詔勅で、米英両国に対する戦争の火蓋は切られた。あれから78年の歳月が流れた。今や、ほとんどの日本人が戦後生まれで、安倍内閣の現閣僚21人のうち、ご詔勅前生まれなのは麻生太郎副総理と竹本直一大臣(IT担当)二人に過ぎない。
僕は国民学校(小学校)5年生だったが、朝のラジオの臨時ニュースで、これを聞き、子供ながらに大変なことになったと思った。寒い日だった。霜を踏みながら登校すると教室でも戦争の話で一杯だった。僕ら世代にとって「12月8日」忘れるに忘れない日である。13年前、僕は小ブログを書き始めたが、毎年、この日には一文、何か感想を書いている。
今年はまだ書かなかった「大詔奉戴日」について。「大詔奉戴日」は戦争が勃発して1か月後の17年1月8日、時の東條内閣が戦意向上を狙いに制定した記念日である。以来敗戦の年の20年8月7日まで3年8か月、日本全国で実施された。
♯ 大詔奉戴日の歌(尾崎喜八作詞 信時潔作曲)
天の日の光と仰ぐおおみこと おし頂いて一億が
手に手をとって感激の涙と共に 誓ったこの日が忘れまい
「大詔奉戴日」には僕ら小国民は学校で校長先生が読む天皇陛下の詔勅を聞き、日の丸を掲揚して、宮城を遥拝、この歌を斉唱した。この儀式に先立って、東京の僕らの学校では近所の神社を参拝し、皆で掃除をしたものだ。敗戦近く、動員先の軍需工場が焼けても「大詔奉戴日」はあり、僕らは戦争は最後には「神風」が吹いてわが国が勝利すると信じていた。
昭和20年8月15日、戦争は“朕深く世界の大勢と帝国との現状とを鑑み、非常な措置をとらざる”との天皇陛下の「玉音」詔勅で終わった。
「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日東南アジアの諸国民が、英米と対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決心をされた日である。われわれはこの日を忘れてはならない」。
大東亜戦争の敗戦後に生まれた私たち世代の日本国民にはなかなか理解しずらいことですが、私たちが生まれて見ている、ほぼ人種差別のない世界が最初からあったのではありません。大東亜戦争以前の世界が白人による有色人種に対する惨たらしい蛮行が繰り返えされていたのです。英国の印度に対する植民地政策然りですし、オランダのインドネシアに対する植民地政策然りです。当時の世界の状況を知ることによって、昭和16年12月8日そして大東亜戦争の意味を知ることができるのではないでしょうか。
南京大虐殺否定の歴史否認主義者ほど恥ずかしいものはありません。
恥を知りなさい‼️
詔勅には米英に宣戦布告したとありますが、戦後生まれの女性”学者”の書いた本の中に、オランダへも布告とあり、訂正がありません。オランダは、真珠湾攻撃、マレー半島上陸と同時に蘭印の日本人を一斉に抑留しています。彼女は日本女性基金のインドネシアにおける歴史考証委員です。いったい、どうなっているのでしょうか。
昨年、日本軍が上陸したコタバル海岸を訪れた知人の話では、なにも当時のよすがはなかったそうです。忘却とは忘れ去るものなりです。真珠湾では78年前の慰霊祭が行われていました。
何故、負けたのかその時代もしりましょう。