戦前、東京の郊外には遊園地が多かった。東急東横、目蒲線にはかって「多摩川園」という駅があった。駅名は大正15年から昭和54年まで開業していた遊園地からとったものだ。神奈川県と接する多摩川べりの5haの丘に沿って開発された。広々とした園内はロバに乗って歩けたり、定番のメリーゴーランド,飛行塔、ウオーター.シュートなどあったが、子供たちの人気は丘のてっペンから自然の傾斜を利用して滑り下りる「大山すべり」であった。季節折々には園内で「お化け屋敷」や「菊人形」の催しなどもあった。
戦争中から戦後すぐの時代筆者は学校農場へ勤労動員した後、多摩川園近くの浄水場でよく泳いだものだ.。2メートルほどの高さの石の堰の上から跳びこんだりした。戦後、王、長嶋巨人軍ブーム時代には、二軍の練習グランドが上流の河川敷気にあり、見物客で賑わったが、やがて高度成長時代、東横線の車窓から見る川が汚染されたバブルで泡だっている時代もあった。
昭和30年台の全盛期には1日3万人の入園客があったそうだが、今は跡地の一部が「田園調布せせらぎ公園」として公開されているそうだ。
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