安倍首相が真珠湾慰霊のあと”これで戦後は完全に終わりになった。いつまでも、私の次の首相まで戦後を引きずる必要はない”と周囲に語ったという(産経新聞)。これを読んで僕は、戦後昭和29年生まれの安倍首相と、昭和1ケタ生まれ世代との間には随分、違いがあると思った。僕の戦後感覚は、昭和31年の経済企画庁白書”もはや戦後ではない”で終わっている。27年のサンフランシスコ条約で米国をはじめ世界の大方の国とは平和条約をう結んでいる。近隣諸国も今のように戦後を引きずっていなかった。
今回の安倍首相の慰霊所感で、僕が気になったのは安倍首相が所感演説の中で”寛容”という言葉を7回も使い、”敵国だった米国が戦後、寛容の心で援助した”と感謝の言葉を述べた。しかし、戦後、米国は連合軍の一員として市ヶ谷東京裁判をはじめ各地で戦犯を裁き千人を超す日本人が刑死している。これが”寛容”の心と言えるだろうか。
産經新聞の29日付け署名記事の見出しは”寛容の価値、中韓に迫る”とある。安倍首相の演説には、中韓両国も日米の寛容の心に見習うべきだというのである。早速、これに咬みつくように中国政府の談話が出ていた。韓国では”最終的かつ不可逆的”合意を見た1周年の記念日の昨日、新しい慰安婦像を釜山の日本領事館前に建てる騒ぎがあった。
わが国は、ありもしない「従軍慰安婦」に10億ドル支払う”寛容”の心もあるが、他国も同じとは限らない。固有の領土を占領され、自国民が不法に連行され強制労働されても賠償金も求めない”寛容”の心は、他国にあるとは限らない。安倍首相は、”寝ていた赤子を起こす”効果を近隣諸国に与えかねない。昭和31年には、”慰安婦”も”南京”もなかった。
今回の安倍首相の慰霊所感で、僕が気になったのは安倍首相が所感演説の中で”寛容”という言葉を7回も使い、”敵国だった米国が戦後、寛容の心で援助した”と感謝の言葉を述べた。しかし、戦後、米国は連合軍の一員として市ヶ谷東京裁判をはじめ各地で戦犯を裁き千人を超す日本人が刑死している。これが”寛容”の心と言えるだろうか。
産經新聞の29日付け署名記事の見出しは”寛容の価値、中韓に迫る”とある。安倍首相の演説には、中韓両国も日米の寛容の心に見習うべきだというのである。早速、これに咬みつくように中国政府の談話が出ていた。韓国では”最終的かつ不可逆的”合意を見た1周年の記念日の昨日、新しい慰安婦像を釜山の日本領事館前に建てる騒ぎがあった。
わが国は、ありもしない「従軍慰安婦」に10億ドル支払う”寛容”の心もあるが、他国も同じとは限らない。固有の領土を占領され、自国民が不法に連行され強制労働されても賠償金も求めない”寛容”の心は、他国にあるとは限らない。安倍首相は、”寝ていた赤子を起こす”効果を近隣諸国に与えかねない。昭和31年には、”慰安婦”も”南京”もなかった。
一般人を狙う空襲や原爆を平然とやってのける国の寛容さとはなんでしょうか?
米国にならなかった事でしょうか?
天皇陛下を処刑しなかった事でしょうか?
寛容の後ろには、日本の卑屈さがあるように思います。
そこまで遜らなければいけないのだとしたら、日本は米国と肩を並べた友達にはなれません。
戦後75年も経って、まだ自虐的意識から脱する事が出来ないのだとしたら、なんて情けない事でしょうか。
”もはや戦後ではない”という経済白書が出た昭和31年当時を思い起こすと、日本人の多くは、日常生活の実感だけでなく「戦争」については、はるか遠い過去のように感じていたような気がします。わが国だけでなく、近隣諸国も過去の戦争の「南京虐殺」や「従軍慰安婦」に対して総理が8月15日に靖国を参拝したからといって抗議などしませんでした。
どうも日本人のおかしな戦争についての罪意識が、今回の安倍総理の真珠湾慰霊の旅になったような気がしてなりません。安倍総理が学校で習った日教組教育の歴史観が災いしているのではないでしょうか。
これでは、真珠湾攻撃と同時期、マレーのコタバル上陸作戦出なくなった311人の英霊の魂が浮かばれません。国のために命を落とした人たちです、せめて現地に慰霊碑を建て、年に一回慰霊の法要ぐらいしたらどうなのだろうか。