テレビの夕方の情報番組を見ていたら若者の間で納豆をトーストに挟んで食べるのが流行しているらしい。僕は納豆といえば箸で思い切りかき回し、粘々にして温かいご飯にかけて食べるものと思っていただけに驚きだ。しかし、あまり、これを進んで食べてみたいとは思わない。
日本人の食習慣が戦後急速に変化してきた。その第一はお米離れである。戦争中から敗戦直後の食糧難の時代、お米は配給制であったが、最悪のときでも成人一人当たりの一日の配給量は二合一勺(約300g)あった。(もっともそれは額面だけで実際にはお米がなくて大豆かすやサツマイモで代用されたが) が、額面にせよ、今の日本人にはとても二合一勺の量の御飯など食べられない。農水省の統計によると、2009年の日本人の一人当たりの一日の平均は158gにすぎない。
お米離れの第一の原因は学校給食であろう。戦後食糧難の時代、進駐軍のララ物資から始まった学校給食は日本人の食習慣の多様化を促した。その中での第一はパン食である。今では朝食はパンという家庭は当たり前である。”納豆トースト”もこの中で生まれた産物であるが、考えてみると、トーストの原材料の小麦も納豆のそれの大豆も、自給率は小麦が14%。大豆は6%と極端に低く外国からの輸入に頼っている。
お米離れに連れて、国は減反政策を打ち出し、農家の高齢化も進んで、今農村地帯では耕作放棄地がどこへ行っても目立つようになった。現在の日本の農家人口は総人口の3%、280万人だそうだが、少子高齢化によって20年後には35万人に減少してしまう。こんな中で民主党政権はTPP参加へ向かって交渉を進めているが、もれてくる情報によれば、日本の農業にとってプラスになるものはない。一方、参加後の日本の農業をどう守るのかの具体案もみられない。将来、日本人の食生活が”納豆トースト”で象徴されるように、ドラスチックに変化するかもしれない。それを見据えての農業政策も必要になってくるのではないだろうか。
日本人の食習慣が戦後急速に変化してきた。その第一はお米離れである。戦争中から敗戦直後の食糧難の時代、お米は配給制であったが、最悪のときでも成人一人当たりの一日の配給量は二合一勺(約300g)あった。(もっともそれは額面だけで実際にはお米がなくて大豆かすやサツマイモで代用されたが) が、額面にせよ、今の日本人にはとても二合一勺の量の御飯など食べられない。農水省の統計によると、2009年の日本人の一人当たりの一日の平均は158gにすぎない。
お米離れの第一の原因は学校給食であろう。戦後食糧難の時代、進駐軍のララ物資から始まった学校給食は日本人の食習慣の多様化を促した。その中での第一はパン食である。今では朝食はパンという家庭は当たり前である。”納豆トースト”もこの中で生まれた産物であるが、考えてみると、トーストの原材料の小麦も納豆のそれの大豆も、自給率は小麦が14%。大豆は6%と極端に低く外国からの輸入に頼っている。
お米離れに連れて、国は減反政策を打ち出し、農家の高齢化も進んで、今農村地帯では耕作放棄地がどこへ行っても目立つようになった。現在の日本の農家人口は総人口の3%、280万人だそうだが、少子高齢化によって20年後には35万人に減少してしまう。こんな中で民主党政権はTPP参加へ向かって交渉を進めているが、もれてくる情報によれば、日本の農業にとってプラスになるものはない。一方、参加後の日本の農業をどう守るのかの具体案もみられない。将来、日本人の食生活が”納豆トースト”で象徴されるように、ドラスチックに変化するかもしれない。それを見据えての農業政策も必要になってくるのではないだろうか。
農業を企業化し、規模を大きくすればTPPに対応できると夢物語を言っている民主党議員がいますが、米国などの大規模農園とは太刀打ちできるわけはありません。日本産の有機米は安全だから、これから中国へ市場を開拓できるなどと言っている議員もいますが、今回の原発事故でとった中国の措置がわからないのだろうか。将来、日本人の食の多様化は、ますます変化していくでしょう。
僕がわかった時には、イタリア料理店は、東京に数軒しかありませんでした。エスニック料理など勿論ありませんでした。スーパーの片隅に餅がうずたかく積んであってもあまり買う人はいなくなりましたね。