インドネシアは1945年(昭和20年)8月17日午前8時(現地時間)ジャカルタのスカルノ(初代大統領)宅前庭で独立を宣言した。日本の敗戦からまだ二日、事実上の日本の軍制下にあり、一方では、宗主国のオランダが、やがて再び進駐してくるという緊迫した情勢下での独立であった。
毎年、東京の大使館では、独立記念日のこの日、目黒の大使公邸で式典を催し、僕も招かれ参加しているが、今年は生憎の雨のため会場を公邸から大使館ロビーに変更して行われた。早朝にもかかわらず、会場は300人を超す、正装の在京インドネシア人でいっぱい。式典は70年前の独立当日を髣髴(ほうふつ)させる形で行われ、大使から「独立宣言」を読み上げられた。雨天のため例年の国旗掲揚式は中止されたが、すべてがしきたりに従って厳粛裏に行われた。
式典には日本インドネシア協会会長の福田康夫元総理も参席された。福田元総理は厳父の赳夫元総理の時代からインドネシアとは関係が深く、赳夫元総理の唱えた”Dari hati ke hati"(心から心へ)外交を推進されている。70年の「安倍談話」について、インドネシア外務省は、いち早く好感するメッセージを発表している。外務省の「ASEAN」HPによると、インドネシア人の対日好感度は”大好きが、68パーセント、”やや好き”が30パーセントとと圧倒的に日本大好き人間が多い。
10数年前まで、この式典には数十人の従軍体験者が参加していたが、今年は一人もいない。歳月の経過で仕方がないのだが、アジアの他国にはないことだ。それだけ、日本人にもインドネシア大好き人間が多かった。理由は、戦時中からの”心から心へ”のお付き合いがあったからではないだろうか。その関係は今後も大切にして行きたいものである。
毎年、東京の大使館では、独立記念日のこの日、目黒の大使公邸で式典を催し、僕も招かれ参加しているが、今年は生憎の雨のため会場を公邸から大使館ロビーに変更して行われた。早朝にもかかわらず、会場は300人を超す、正装の在京インドネシア人でいっぱい。式典は70年前の独立当日を髣髴(ほうふつ)させる形で行われ、大使から「独立宣言」を読み上げられた。雨天のため例年の国旗掲揚式は中止されたが、すべてがしきたりに従って厳粛裏に行われた。
式典には日本インドネシア協会会長の福田康夫元総理も参席された。福田元総理は厳父の赳夫元総理の時代からインドネシアとは関係が深く、赳夫元総理の唱えた”Dari hati ke hati"(心から心へ)外交を推進されている。70年の「安倍談話」について、インドネシア外務省は、いち早く好感するメッセージを発表している。外務省の「ASEAN」HPによると、インドネシア人の対日好感度は”大好きが、68パーセント、”やや好き”が30パーセントとと圧倒的に日本大好き人間が多い。
10数年前まで、この式典には数十人の従軍体験者が参加していたが、今年は一人もいない。歳月の経過で仕方がないのだが、アジアの他国にはないことだ。それだけ、日本人にもインドネシア大好き人間が多かった。理由は、戦時中からの”心から心へ”のお付き合いがあったからではないだろうか。その関係は今後も大切にして行きたいものである。
インドネシア、マレーシア、ベトナムなど、色々あるはずです。
戦後70年、未来を見るなら反日国とはおさらばし、新しい外交を始めてもらいたいものです。
今夏も私はインドネシアに取材に参りましたので、日本の式典には参加できませんでした。
Warga Jepang Sangat Hormati Jenderal Sudirman
http://citizen6.liputan6.com/read/2295888/ri70-warga-jepang-sangat-hormati-jenderal-sudirman#
独立70周年とあって、気合が入っていました。
独立宣言記念広場は昨年までガタガタの敷石でしたが、今年はすっかりきれいに整備されていました。
18日にはカリジャティに行き、日本人慰霊碑に参拝いたしました。現地のインドネシア人から、「ここ2~3年カリジャティ会からの連絡が無くなった。この慰霊碑を一体どうするのか? もっときれいに整備しようと思えばできるが、お金もかかる。それは日本人次第だ。」と言われました。空軍基地内で、インドネシア側のご厚意で慰霊碑を管理してくれている状況ですが、日本人側が無関心であるのは、本当におかしな状況だと思いました。大使館の方にすでに口頭でお話しましたが、後ほど改めてきちんと文書で申し入れしたいと存じます。
ご苦労さまでした。カリジャテイ会は事実上解散しているようです。責任者の一人、深江さんから10年前ほど前、協力を頼まれましたが、当時の在ジャカルタ日本大使館担当者が、なにも解からず以来、現状のような状態になっているみたいですね、日本人として恥ずかしい限りです。ジャカルタ市内の博物館{タマン.プラサステイ)の広安部隊慰霊碑再建の時も大使館は非協力でしたが、福祉友の会や、産経新聞の記事の呼びかけで再建しました。
カリジャテイだけでなく日本政府(厚労省)は海外の民間慰霊碑は、保存不可能なものは壊す方針です。大使館の方針は多少変わってきたと思います。加瀬さんや藤井さんに呼びかけて協力を願ったらどうですか。
深江さんたちは航空少年兵出身ですから、従軍世代でも。まだ90歳前の方もいるかもしれませんが、深江さんとは今、僕はお付き合いしていません。
ご存知だと思いますが、神戸の小磯良平画伯美術館に画伯の描いたカリジャテイ降伏式の絵があるはずです。