「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

子規忌と若い人の死 医学の進歩に期待

2018-09-20 05:44:43 | 2012・1・1

”暑さ寒さも彼岸まで”のたとえ通りだ。昨日、退院後初めて国立病院へ通院し呑川散歩道を通ったら彼岸花がまっ盛りだ(写真)あの猛暑だった7月、8月がまるで嘘のよう遠い過去のように感じられた。診断の結果は良好で順調に回復しているとのこと。胸をなでおろした。

この時季、僕は俳人子規を想い出す。子規は116年前の明治35年9月19日、東京根岸の子規庵で僅か34歳10か月で結核で死亡している。僕も一人の姉を昭和19年5月、21歳の若さでやはり結核で亡くしている。子規の絶句三句。
◆糸瓜(へちま)咲き痰(たん)つまりし仏かな
◆をとといの糸瓜の水を取らざりき
◆痰一升糸瓜の水もまにあわず
百年前、結核は不治の病で、糸瓜の水が薬であった。姉の時代には戦争で糸瓜さえなかった。

新聞の死亡欄にプロ格闘家の山本KIDさんが末期がんで41歳で亡くなったと載っていた。子規の34歳より人生は生きているが、平均寿命の半分の若さである。がんは完全には克服されていないが、おそらく子規の時代には死に至る病だったであろう。日進月歩、医学の進歩に期待しよう。

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