ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

大掃除、今日の収穫はなし

2008年11月06日 | 政治
今日は特に大掃除進展なし、無収穫です。
そしてこのごろ、ニュースなどの感想は書いていません。オバマさんがアメリカ大統領に当選した、ということでも「ああ、そう?」って。
むしろマケインさんが当選していたら、そしてあの金髪美人のシンディという奥さんがファーストレディだったら、もっとニュースになったかな?「エエッ!」って。

オバマさんは演説すばらしいです。人気が沸騰するのも当たり前ですね。
わが日本の首相、あっそう太郎さんの「秋葉原」の演説なんて、吹っ飛びます。
秋葉原の若者たちも「たろう、たろう!」とコールしていましたが、かわいいものです。

オバマさんは命がけですって。キング牧師のように暗殺される、なんて言う人もいますが、それはアメリカの威信にかけて守らねばならないでしょう。
まあ、今の私にはあまり関係ないこと、「ちりとてちん」の若狭さんの故郷、小浜のおばさんたちのあの「フラダンス」、あまり見たくない、目薬代欲しいです。

「レッドクリフ」も「ハンサム☆スーツ」の映画もはやくDVDレンタルしてよ~と思っています。「ハンサム☆スーツ」は笑わせる映画のようですね。主演のふたりが人気で女性にモテナイメタボ青年が、ハンサムスーツといわれるのを羽織った時、女性を夢中にさせるほどのハンサム青年に変身、とか。
教育テレビの「中国語とっさのひとこと」で好演の谷原章介さんが出演、喜劇役者になってしまったようです。

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名歌手たちのピアニッシモ

2008年11月06日 | オペラ
声楽においてピアニッシモというのは、ただ声を弱くするのでなく、フォルテを出す時よりも息の支えをしっかりし、遠くの山々をおもわせるような、遠大な弱声なのです。
ただ弱く歌うのではない、これは器楽の分野ではわかりにくいことでしょう。

器楽でも名手になりますと、「遠大な弱音」を感じさせる人もいます。
たとえばピアノのリヒテルがそうです。リヒテルのフォルテッシモは雷鳴のような、他に類のない力強いものですが、いったんピアニッシモになりますと、音の表と裏を感じさせるような幅広さがあり、耳に快いだけでなく、音の風景をも感じさせます。

テノールではカルーソがヴェルディ「アイーダ」の<清きアイーダ>で最後のフレーズをピアニッシモで歌ったことが伝説になっていますが、ジーリはカルーソのような力感を感じさせるピアニッシモでなく、より叙情性をもったピアニッシモで泣かせます。
そしてディ・ステファノのピアニッシモは甘く、アルフレード・クラウスのピアニッシモは理知的な高貴な、そして毅然としたピアニッシモを聴かせます。

ところがパヴァロッティのピアニッシモは「弱いだけ」で支えも感じられません。
大変な美声の持ち主ですが、声のテクニックの詰めは甘い、それでも許される、また本人にそこまでの完璧さを追求させたりしないのでしょう。声のメタボですね。

ところで昨日の文で私が一息でバッハのカンタータやメサイアのリジョイスを歌ったとかきましたが、もちろん、フレーズを、です。
サザーランドは「フレーズを一息で歌っても使う息は3分の2、残りの1はまさかの時のタメに取っておく」と言っていました。

カップッチッリやホロストフスキーなんて、「まさかの時」なんてないし、半分は残しているのではないでしょうか。

カップッチッリが歌うと「カーン」と前面に響き、オーケストラの金管を乗り越えます。
その「カーン」と響くときの快さ、そして語句の的確さ、見事なものです。
男カップッチルリ、とは親しくして頂いているフーレン様の表現ですが、男伊達の魅力に私はノックアウトです。

ホロストフスキーはあんなに「イーゴリ公」が上手いとは思いませんでした。
一声でイーゴリの心情をあらわしていました。
でも、イーゴリのような感動はヴェルディ「エルナーニ」ではありませんでした。
勝利に輝くような輝かしいカンタービレに必要な<フレージングのコシの強さ>がないので、ノビキッタさぬきうどんみたいな・・・ホロ様ごめんなさい、これだけはどうしょうもない民族の声の差異、でしょうか。

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