ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

天才ということ

2009年06月09日 | 芸術
「天才」などとマスコミをはじめ、ごく安易に書いていたり述べているような気がします。
少しばかり人より優れていることが「天才」であるかのように思ってしまいますが、「天才」とは何か?本人も周囲もプラスとマイナスでゼロという面があるのではないか、と思うのです。

たとえば私は三島由紀夫が嫌いでした。あんな形で自決するなんて、そして死生観がワーグナーの音楽のように「死によって浄化する」などと、生きようとする本能が足りないのでなく、ありあまって、かも知れませんが・・・恐ろしいことでした。

ただ、「好き嫌い」の次元だけで考えていた私が先日「問答無用」で三島の一言に、驚き感嘆しました。
それは、「被爆について」です。
日本人は「屈辱的なものを一瞬にして気高いものに変えた」という意味のひとことでした。
「あやまちはくりかえしませんから」という言葉はアメリカが言うべき、というものを日本人が言う、言いたくなくてもあの頃はどうしょうもなかったでしょう。
敗戦とは、無条件降伏とはそういう悲しいものなのでしょう。

でもあのころの日本人は屈辱を高みに変えた、一瞬にして・・・。
これは理路整然としたものではないことぐらいは、理解できます。

「三島は天才だった」・・・腹が立つけれど、そう自分を笑いながら認めました。
でも、好きではない・・・。

李白やヴェルディのように、心から受け入れるものではない、でも事実は事実。
ワーグナーもそうです。
天才は理屈でなく「直感」で知るものなのでしょう。
大きな才能でねじ伏せられると思っていたら、ふと心に響くことを言ってくれる、
これを認めるのはもう40年近くかかったのです。

でも「好き」ではありません・・・。
コメント
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