ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

イランの最高指導者ハメネイ師の「鶴の一声」の展開は?

2009年06月20日 | 政治
テレビ・新聞は連日イランの報道を続けています。
ムサビ氏を支持する多くの民衆を抑えるために、イランの最高指導者とされるハメネイ師が改革派に厳しい態度を示しました。

ヴェルディ「ドン・カルロ」では、カトリックによるプロテスタント抑圧の政争に悩むスペイン国王が王子ドン・カルロにも造反され、ローマカトリックからはより一層の抑圧を求められ、民衆の蜂起を招くが、最高宗教裁判所長が出てきて「鶴の一声」で怒り狂っていた民衆は「お許しを」と跪く。

この場面とそっくりではないか、かつて絶対的権力を誇ったローマカトリックは本来の宗教の意義を政治に利用し、国王ですら頭が上がらない状況であったのを、文豪シラーが戯曲とし、オペラ作曲家ヴェルディがこの場をこの上ない名場面として大きな印象を残しています。

イランはかわりつつある、いつまでも宗教権力者のいうがままにはならないでしょう。
欧米はハメネイ師の発言を危惧しており、ムサビ氏を支持する民衆はデモ・集会を取り止め、様子を見ているような感じです。
ここから先、どんな展開になるか、宗教と政治の関係はどうなるのかが注目されるような気がします。

こんな時に「ドン・カルロ」で平和を訴えるロドリーゴ(名歌手カップッチッリが歌う)が、戦争で平和を得ようとするスペイン国王に、「それは墓場の平和だ!」と声を強めて諌めるところ、また思い出してしまいます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暴走老人、転倒、とんだサプライズ!

2009年06月20日 | 生活・介護
 
わが愛すべき暴走老人(チョーがつく)が、夜中の2時過ぎ、突然起きてきて何事かに激怒し、いつものように「殺したる~」と叫んでたたきに来て、勢い余って転倒し、私が受け止めようとしたが体重が重く、椅子の手すりに頭を打ってしまい、
床にのびてしまったのです。

絶対頭を打ってはいけない、と医師に言われているのに防ぎようがなかった・・・いそいで病院に電話し、医師に説明して「すぐに連れてきなさい」と言われ、救急車を呼ぶことになりました。

床に転んで寝たままの父は「腰が痛い」と言います。
救急の人が「打ったのですか」ときくと「床に寝てるから」なんて!!
しかし、頭を打ったのは事実、立ちあがれないのは床がすべることもあるし、本人は立ち上がる能力がないのです。

救急車で病院に着くと先生が出迎えてくださり、さっそくCT。
結果は「頭は出血していません。あとおかしいところがあればまた来て下さい。腰が痛いといわれるので腰のレントゲンも撮りましたが、異常はありません」

空はもう明るくなりかけています。タクシーで帰ってきたら、家に入った直後、トイレが間に合わず、失敗!
父をバスルームでシャワー、さっぱり清潔に。

そのあと、洗濯とトイレ清掃、そして救急の人たちが廊下で靴をはかれたので、拭き掃除、と忙しいことこの上なし、
なのに、父はふらっと玄関まで来て「出ていく」と言うのを押しとどめ、ジュースを飲ませてベッドに入れたら「ごはん、ないよ」と言う・・・もう、いいかげんにして!「9時まで寝なさい、夜中ずっと寝ていないんだから」と強く命令!
「暗いから電気つけて」と父・・・眠れるように暗くしてるんじゃないか!

無事だったからこそ言える私、また起きてきて「寒いなあ」もうやめてよ!
布団をかぶせ、反省をこめて今書いています。

今から少し寝ます。玄関はチェーンをしっかり紐で縛っています。こうしないと玄関ドアを知らない間に開けられるので。
    


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おお、カップッチッリ!

2009年06月20日 | オペラ
イタリア・オペラのバリトンといえば、ゴッビとバスティアニーニが双壁と思っていたし、事実上そうでした。(マア、タッデイもいますがデリカシーに欠ける)
バスティアニーニが若くして亡くなり、ベルゴンツイが「ドン・カルロ」を録音したとき、ロドリーゴはフィッシャー・ディスカウで、彼は巧みなイタリア語で歌っていましたが、どうも違う・・・「タンホイザー」の夕星の歌とは違うのだ、と少し拒否していました。

大学4年の時、イタリアからテノールのT先生が帰国され、さっそく個人的にレッスンを受けにいきました。その時「アルフレード・クラウスはね、完璧なテノールなんだ」とか「スカラではドミンゴやパヴァロッティらのテノールより、バリトンのカップッチッリというのが人気があってね、女性ファンがキャーキャー言っていた。うちの家内なんか僕のことより夢中になって」とか伺うと、いったいどんな歌手だろう、と気になって仕方がありませんでした。

クラウスは100発100中の歌を歌う、どんな時でも100パーセント素晴らしいんだ、とか、カップッチッリのものすごいクレッシェンドなんか信じられないほどだよ、それに息の長いこと、普通の歌手だったらいくつもブレスするところを一息で歌うんだ、ブレスコントロールは神業だよ、とか・・・。

そして「シモン・ボッカネグラ」で初来日、今までのオペラ歌手とは違う、憂いを帯びていてその声は完璧なベルカント、演技力がまたすごくて、もちろんおそるべきブレス・コントロール、感激しました。
その声に「人間的な大きさ」を感じました。

何年か後、ガラ・コンサートという数人の歌手が出演する演奏会で、カップッチッリの歌は群を抜いていました。フェスティバルホールが張りつめた雰囲気になりました。

帰りに楽屋によって、その歌の感動でいっぱいで・・・彼は小柄で気さくな人でした。「この人があのカップッチッリ?世界最高のバリトン!なんて小さな人だろう」と内心驚きました。
笑いながら語りかけて下さいました。「ちょっと!私の肩に手を置いている、どうしょう」とドキドキしましたが、彼はファンに優しく謙虚、ちっともスターらしくないのです。
日本人より小柄、でもどうしてステージではあんなに大きく見えるんだろう!と思いましたが、晩年、交通事故でかつての声の面影もなく、彼はステージにひざまづいて歌いました。「勿忘草」でした。
私は「これが最後か・・・」と、心で泣きました。

今は亡き名歌手、カップッチッリ、あなたの歌は「春秋・戦国」の悩める宰相のようでした。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする