Maria Callas. Tutte le feste al tempio. Rigoletto. G. Verdi. Studio.
マリア・カラスは20世紀の偉大なソプラノであり、プリマドンナ・アッソルータ(究極のプリマドンナ)と称賛され、ディーヴァ(女神)とも讃えられたプリマドンナの中のプリマドンナである。
私個人はマリア・カラスを人間として好きではない。
しかし、彼女の遺した芸術は彼女だからこそ成し遂げた「音楽の説得力・魅力」がある。
彼女は自分の性格とは違った「リゴレット」の純情な娘、ジルダを歌った時の録音を聴くと、純情可憐な娘というだけでなく、強い意思と深い悲しみをたたえた表現に心底感動させるのである。
この歌は、若く世間知らずな娘ジルダが、貧しい学生です、と言う美青年に憧れ信じていたのに、実はとんでもないプレイボーイのマントヴァ公爵、恥を父親に話すジルダを歌う声、その音色の悲しさと「信じていたのに」という後悔・・・。
子どもの時の私は、まだ何もわからないのに(ジルダが何を話し、恥入り、捨てられたことを直感しながらも、まだ初恋の相手を愛しているというけなげさ、など)「何て悲しいのだろう」って歌をきいて感情移入していた。
カラスの声は「美声」ではないが、涙を含んだような女性の心の表現が心に深くしみ込んだ。
Kenさまがおっしゃる「坂本龍一はマリア・カラスの声について、音楽として聴こえてこないね、と言ってました。このひとにとって音楽って何なのでしょう。わたしは坂本龍一の音楽は、いちおう音楽として聴こえてくるけど、小洒落たバーとかで流れる音楽にしか聴こえない。浅いんです。でもこの浅さはかれの思想の浅さから来てるのです。」
そして「世界の坂本」氏は、こんなことを言っていたのを知った。
「僕はオペラは嫌いだ。肥ったおばさんが小娘の歌を歌うのなんて」
確かにモンセラ・カバリエなど100キロを超えているプリマもいますが・・・
音楽は聴かないのですか?そしてそんなことでしか歌を評価しないんでしょうか?
(今はスマートなソプラノのほうが多いですよ、坂本さんと芸大で同学年だった鮫島有美子さんもスマートです)
こんな耳と心の坂本龍一の音楽は「ファッション」としてのかる~い音楽、そこに真っ赤な血は流れていないと思う。
彼の言動もそうである。
「たかが電気」という言葉もそのうちのひとつだろうと思う。
ヴェルディのオペラ「リゴレット」だが、マリア・カラスの映像はない。
1977年、メトロポリタンのライヴをアップした。
ジルダの話を聴き、マントヴァ公爵に仕える道化師のリゴレットは、娘を騙したマントヴァ公に復讐を誓う、それを必死にとめる娘、ヴァルディの音楽の中でも秀逸である。
キャストはリゴレットにマックネイル、娘ジルダにコトルバス。
Poich醇P fosti, invano da me maledetto - Cornell Macneil (baritono) y Lleana Cotrubas (soprano)
マリア・カラスは20世紀の偉大なソプラノであり、プリマドンナ・アッソルータ(究極のプリマドンナ)と称賛され、ディーヴァ(女神)とも讃えられたプリマドンナの中のプリマドンナである。
私個人はマリア・カラスを人間として好きではない。
しかし、彼女の遺した芸術は彼女だからこそ成し遂げた「音楽の説得力・魅力」がある。
彼女は自分の性格とは違った「リゴレット」の純情な娘、ジルダを歌った時の録音を聴くと、純情可憐な娘というだけでなく、強い意思と深い悲しみをたたえた表現に心底感動させるのである。
この歌は、若く世間知らずな娘ジルダが、貧しい学生です、と言う美青年に憧れ信じていたのに、実はとんでもないプレイボーイのマントヴァ公爵、恥を父親に話すジルダを歌う声、その音色の悲しさと「信じていたのに」という後悔・・・。
子どもの時の私は、まだ何もわからないのに(ジルダが何を話し、恥入り、捨てられたことを直感しながらも、まだ初恋の相手を愛しているというけなげさ、など)「何て悲しいのだろう」って歌をきいて感情移入していた。
カラスの声は「美声」ではないが、涙を含んだような女性の心の表現が心に深くしみ込んだ。
Kenさまがおっしゃる「坂本龍一はマリア・カラスの声について、音楽として聴こえてこないね、と言ってました。このひとにとって音楽って何なのでしょう。わたしは坂本龍一の音楽は、いちおう音楽として聴こえてくるけど、小洒落たバーとかで流れる音楽にしか聴こえない。浅いんです。でもこの浅さはかれの思想の浅さから来てるのです。」
そして「世界の坂本」氏は、こんなことを言っていたのを知った。
「僕はオペラは嫌いだ。肥ったおばさんが小娘の歌を歌うのなんて」
確かにモンセラ・カバリエなど100キロを超えているプリマもいますが・・・
音楽は聴かないのですか?そしてそんなことでしか歌を評価しないんでしょうか?
(今はスマートなソプラノのほうが多いですよ、坂本さんと芸大で同学年だった鮫島有美子さんもスマートです)
こんな耳と心の坂本龍一の音楽は「ファッション」としてのかる~い音楽、そこに真っ赤な血は流れていないと思う。
彼の言動もそうである。
「たかが電気」という言葉もそのうちのひとつだろうと思う。
ヴェルディのオペラ「リゴレット」だが、マリア・カラスの映像はない。
1977年、メトロポリタンのライヴをアップした。
ジルダの話を聴き、マントヴァ公爵に仕える道化師のリゴレットは、娘を騙したマントヴァ公に復讐を誓う、それを必死にとめる娘、ヴァルディの音楽の中でも秀逸である。
キャストはリゴレットにマックネイル、娘ジルダにコトルバス。
Poich醇P fosti, invano da me maledetto - Cornell Macneil (baritono) y Lleana Cotrubas (soprano)