★ 長谷川幸洋氏のエッセイ、大変痛快である。
プラカードを掲げるぐらいなら、議員辞職せよ国民を裏切ったのは政府ではなくお粗末な野党だ
現代ビジネス 7月17日(金)6時2分配信
「採決拒否」に国会議員の資格なし 長谷川幸洋
安全保障関連法案の採決で議会制民主主義を踏みにじったのは、だれなのか。左派系マスコミは政府与党であるかのように報じているが、そうではない。採決を欠席した野党である。お粗末な野党のおかげで、政局の潮目はまた変わった。
7月15日の衆院特別委員会室は、まるで街頭デモのようだった。民主党議員はプラカードを掲げて委員長席を取り囲み「反対、反対」と大声を張り上げた。維新の党の議員は自分たちが提出した対案を否決されると、さっさと退席した。
翌16日の本会議では民主、維新、共産、生活、社民の野党5党がそろって採決を欠席した。ここに野党の未熟さが如実に表れている。彼らは「採決を拒否する」という行為が、いったい何を意味しているか、分かっているのだろうか。
議会制民主主義の下で、国民が国会議員を選ぶのは自分たちに代わって国会で法案を審議し、最終的に採決してもらうためだ。なかでも採決はもっとも重要な国会議員の仕事である。それをサボタージュするのは、自分を選んでくれた「国民に対する裏切り」にほかならない。
野党議員たちは「自分が議員でいられるのは、国民が自分に1票を投じてくれたからだ」という議会制民主主義の根本原理を無視している。自分の選挙では国民に投票を呼びかけながら、いざ国会で国民に代わって投票しなければならないときに、投票するのを拒否したのである。
国民はそんな議員に仕事を続けてもらいたいと思うだろうか。私はまったく思わない。ずばり言えば、採決を拒否した野党議員は国会議員である資格がない。採決に応じないなら、辞職すべきである。もっとも肝心なときに、国民の代理人たる役割を果たしていないからだ。
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なぜ「議員辞職」をしなかったのか
野党議員は採決拒否戦術ではなく、潔くそろって全員が「国会議員を辞職する」という戦術を考えなかったのか。野党がそこまで腹をくくって抵抗したなら、もしかすると局面は変わったかもしれない。採決に応じない代わりに、国会議員を辞職する。それは議会制民主主義の原理に沿った最大限の抵抗である。
だが、野党は腹を決めるどころか、そんな抵抗戦術などチラとも頭をかすめなかったに違いない。彼らは自分たちの議員バッジと既得権益は絶対に守ろうとする。それでいながら、仕事は放棄したのだ。所詮は事前に決められた役割分担に応じて、国会で安っぽい三文芝居を演じただけだ。
ある女性の野党議員は「私の祖父は戦争で死んだ」と涙混じりにカメラの前で訴えてみせた。テレビドラマさながらのお涙ちょうだい芝居を見せられた国民はシラケかえったに違いない。
今回の出来事は民主主義原理の根本を問うている。そんな本質を見極めないで「強行採決の暴挙」などと報じている左派系マスコミも、まったくトンチンカンとしか言いようがない。記者や論説委員は、採決欠席こそが民主主義に対する最大の暴挙だったと思わないのか。
採決欠席を批判しないのは、国民が選挙で棄権するのを容認するのと同じである。選挙で国民に投票を呼びかけておきながら、国会採決で議員が投票を拒否しても批判しないマスコミは、二重基準どころか完全に思考が停止している。
そういえば、同じ左派系マスコミは昨年の解散総選挙でも「解散に大義はない」と批判していた。国民に選択権が委ねられた選挙こそが民主主義の根幹と理解していなかった。今回も頭の中身、発想はまったく同じである。
彼らも野党と同じく先に反対ありきで「どうせ負けるなら選挙や採決などどうでもいい」と本心で思っているのだ。左派系マスコミとは、その程度なのである。
維新の党にもがっかり
民主党や共産党には最初から期待していないが、がっかりさせられたのは維新の党だ。彼らは自分たちの対案が否決されると、そそくさと委員会室から出て行ってしまった。いったい何なのか、その態度は。
まるで自分の言い分が通らなくて、床にひっくり返っている子供である。維新の党には多少、期待もしていたが、今回の対応は情けないというほかない。
民主党は「次は徴兵制だ」と煽った。集団的自衛権を容認した日米安保条約の下、有事で米軍の支援をあてにできるからこそ、日本は軽武装の自衛隊で済んでいる。もしも個別的自衛権だけで国を守ろうとすれば、米軍は頼りにできないのだから、はるかに重武装の軍事国家にならざるをえない。その先にあるのが、徴兵制である。
スイスはどの国とも同盟を結ばず、自前の軍事力に頼っているからこそ徴兵制なのだ。自分たちのロジックこそが徴兵制につながるのに、ねじ曲げた空想論を展開するだけの民主党に明日はない。
まともな政策論を展開できずに「徴兵制の復活」とか「戦争法案」とレッテルを貼る民主、共産、生活、社民の議論と行動は、いまや国民感覚から離れて完全に上滑り状態に陥ってしまった。この調子だと、参院審議も衆院以上に空虚なカブキ化が進むだろう。
本当の政策論議がなく、同じ三文芝居のやりとりが繰り返されるだけだから、やがてテレビも視聴率がとれずに注目しなくなる。加えて、本会議採決と同じ日に新国立競技場の計画見直しが明らかになった。遅きに失したとはいえ、これも政権にはプラス材料である。
あえて政府与党に注文をつけるなら、年金情報漏洩問題のケリをさっさとつけてもらいたい。日本年金機構と厚生労働省担当者に対する厳重処分を急ぐべきだ。真相解明はそれからである。
私はつい2週間前のコラム(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/44000)で「安倍政権の危機」を指摘したばかりだ。ところが、民主主義の原理原則を踏まえない野党戦術の誤りと、新国立競技場問題をめぐる政府与党の方針転換をきっかけに、また流れは変わってしまった。
目先の内閣支持率が多少、下がることはあっても、たいしたことはない。
こんな野党に支持が集まるはずはないからだ。国民は賢明である。
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長谷川 幸洋
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150717-00044226-gendaibiz-pol&p=1
★ ツイートより
中山なりあき @nakayamanariaki
自民党の支持率も5、1%下がって31、9%。しかし、民主党は1、1%の微増で、11、2%に止まる。民主党への信頼は戻らない。共産党が7、3%と伸ばしてきたのは要注意。わが次世代の党は0、4%。全く存在感なし。参議院で頑張らないと。来年の今頃は参議院選挙。これから何が起こるか。
中山なりあき @nakayamanariaki
「内閣支持率急落37、7%」共同通信社の世論調査が地方紙の一面に踊っている(先月47、4%)。不支持が51、6%と支持を逆転した。先週の強行採決が響いている。周りにも安倍首相が強引過ぎるという声が増えた。一旦下がった支持率を上げるのは難しい。参議院の審議は厳しいものになる。
田母神俊雄 @toshio_tamogami
サンフランシスコ市議会が21日慰安婦の碑または像の設置を指示する決議案を採決するとか。中国や韓国は嘘、捏造の名人だ。彼の国には善意とか誠意とかは通じないと割り切った方がよい。それをやることによって経済的にマイナスが生じなければ彼らの嘘、捏造は止まらない。日本政府の厳とした対応希望
ニューズレター・チャイナ @NLChina2009 (青木直人氏)
安倍総理が新国立競技場の建設を白紙にすると発言。
国民から見て理解されないことは再考する。これが政治の基本。決断の背景にあったのは支持率の低下。安倍さんに文句を言うな、と年甲斐もなく、「嵐」のファンのようなことを言うだけの人たち。これでは支持率は下がるばかり。
百田尚樹 @hyakutanaoki
神戸市の某公立中学で、百田尚樹作品の朗読会(放送読書会)が中止になるという事件がありました。
図書委員と生徒たちが選んだ作品を、生徒たち自らが何度も朗読練習し、放送に使うCDも完成していたのに、7月に突然、学校側が「百田作品は認めない」という理由で、朗読会の中止が決定しました。
『戦後70年 未来への手紙』より
道場六三郎
あなたにとって戦争とは?
当時は、家族と石川県の山中温泉で暮らしていました。
空襲などはほとんど無かったものの、戦時中や戦後はとにかく物がなく貧しかった。今でいう育ちざかりの中学生の時期だった私は、お腹が減って仕方がなかった。
学童動員で飛行機工場に出動した際の、食事で白いご飯が出てきた時は「家族にも食べさせたい」と涙がこみ上げてきたのを今でも覚えている。
今思い返せば、貧しかったという経験が、家族の絆を強くしていたのだと感じる。
あなたが平和だと感じるときはいつですか?
「自動車に乗ることが楽しい。」「声をかけた人から返事が返ってくることが嬉しい。」など、毎日起こる小さなことを幸せと感じられること。
当たり前のものだと思わず、小さな幸せを見逃さずに生きていていくことが大切だと、100年後に生きるひとたちに伝えたい。
野口健
あなたにとって戦争とは?
戦争は誰しも嫌だ。僕が戦争を感じるのは遺骨収容活動のとき。沖縄で真っ暗闇の防空壕の中で、ヘッドランプの光を頼りに土砂を掘り続けている時に、ふと天井を見ると真っ黒に焦げている。米軍が使用した火炎放射器によって、多くの人々が生きたまま焼き殺されたのだ。軍人だけでなく多くの民間人も犠牲となった。洞窟の中でご遺骨を発見する度に彼らの無念さを全身で感じていた。「戦後70年」といえどもあの空間は止まったままだ。僕はこの活動を行う度に戦争をリアルに感じてきた。戦争は嫌だ。残酷であり惨いと。
しかし、声高らかに「戦争反対!」と叫ぶ事で戦争がなくなるのならば、ベトナム戦時にヒッピー達を中心にした反戦運動が全米で一大ムーブメントへと広がり、ジョン・レノンが「僕らの曲はすべて反戦歌だ」と宣言しその代表曲である「イマジン」の誕生によって戦争はなくなっただろう。
幸いなことに日本はこの70年間、平和が保たれてきた。しかし、全てが「憲法9条」のおかげだろうか。戦争は相手があってのこと。いくら「戦争を放棄します」と宣言しても攻められてくれば戦争となる。備えがなければ時に滅ぼされる。日本の平和が保たれたのは「憲法9条」というよりも日米安保体制による抑止力だろう。また日々厳しい訓練を積み重ね、最前線では神経をすり減らしながらも日本を守り続けている自衛隊への感謝の気持ちも忘れてはならない。あなたが平和だと感じるときはいつですか?世界を旅し日本に戻ってくる度に「日本は平和だな~」とつくづく感じる。夜、人気の少ない公園で走る事もできる。これは国やその地域によってはあり得ない事だ。子供の頃、父の仕事の関係で海外生活をおくっていたが、湾岸戦争時には自宅に手榴弾が投げ込まれた。幸い、家族は無事であったが、テロに巻き込まれた経験は未だに脳裏に焼きついている。
海外生活が長かったせいか、または職業的に山に登っているからだろか、いつしか頭の中で最悪の事態をイメージする習慣が定着した。
ヒマラヤ登山はまさにそうで、悪天候、雪崩や落石、または氷河の崩壊、などなど考え出したらきりがないが、しかし、日頃から最悪の事態をイメージし、そこに向けて最大限の準備なり、シュミレーションを繰り返しておかないと、いざ、大惨事が訪れた時には何も出来ないだろう。
よくスタッフに「悪い事ばかり考え過ぎですよ~」と指摘されるが生き延びるという事はそう簡単ではない。隙を見せてはやられてしまうことがある。それは国家も同じことだろう。多くの日本人にとって戦争なり紛争は過去の出来事でしかないのかもしれないが、その無関心さがまさに「隙」となるだろう。僕にとって最悪の事態をイメージする習慣は命を守るためである。
★ まさに「読むサラダ」でした。
・・・絵はBera Channel画伯