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時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

藤岡信勝氏の文~中西輝政京都大学名誉教授の「さらば安倍晋三、もはやこれまで」を読んで

2016年08月31日 | 政治

★ 先日、藤岡信勝氏の中西京都大学名誉教授の論文を読んで感想をyoutubeで述べられていたのをUPしたが、後半は有料なのでここにはUPできず、藤岡氏がフェイスブックにお書きになった記事があるのでご紹介します。

藤岡 信勝

日韓合意に至る昨年の歴史戦の敗北について、中西輝政氏が安倍首相の責任を問い、決別宣言をした。『歴史通』5月号の「さらば安倍晋三、もはやこれまで」という文章で中西氏は、村山談話と河野談話を「未来にわたって動かしようがないほど確固たる存在」にしてしまったのが、安倍首相の昨年の外交の結果であったことを指摘し、「この場をかりて、これまでの安倍氏への支持を撤回することを明確にしておきたい」と態度表明した。

それは、支持してきた前提が違っていたのだから、「知性と論理に生きる人間として当然の義務である」という理由によるものだ。
 その態度表明の意味を、中西氏はこうも表現している。

 <あえてここまで言うのは、歴史認識という問題が日本の知識人にとって、生きるか死ぬかというくらい大切なものであり、そのことを忘れた人々に知らしめるために言っているのだ。それ以外に他意はない>

 この論文は「政治に譲った歴史認識」と題して、3回にわたって書き継いできた連載の締めくくりにあたっており、もっとも踏み込んだ分析が行われている。
まず、事実の評価について言えば、昨年の「安倍談話」と「日韓慰安婦合意」は、歴史観をめぐるこの数十年にわたる日本の保守陣営の戦いにおいて、まさに歴史的な「大惨事」であったと言う。

 <「日韓慰安婦合意」は、いまや殆ど全ての日本人が嘘だとわかっている、
韓国人慰安婦の「強制連行」と「性奴隷」化を日本政府が世界に対し公然と認めたのだから、これを「大惨事」と言わずして、そもそも何と言えようか>

 論文では、私が知らなかった事実がいくつか書かれている。
その一つは、昨年の「安倍談話」発表からおよそ1ヶ月後の2015年9月18日、閣議決定された政府答弁書である。

そのなかで「(過去の日本に)「侵略」と評される行為もあった」と明言し、「その事実を率直に反省し、これからも、法の支配を尊重し、不戦の誓いを堅持していく、ということこそが、今回の談話の最も重要なメッセージである」と言い切っている。
この「侵略戦争確認の答弁書」は、私の知る限り、どのメディアも報道していない。

「侵略戦争」を認めた8月の談話と「性奴隷」をようやく日本政府が認めたとされる「日韓慰安婦合意」が合体することによって、世界的にはどういうことになるか。中西氏は言う。

<第二次世界大戦において日本が犯した罪は、ナチス・ドイツ同様まさしくホロコースト=「人類悪」に該当する戦争犯罪だということを日本の指導者が正式な形で認めたこの点に、「70年談話」と「慰安婦合意」の本質がある、と世界は受け止めているのである>

 ホロコーストは責任追及の「時効」がない。だから、「70年談話」を出したこと自体によって、「子孫が謝罪の宿命から解放されることなどあり得ない」。
これに「南京大虐殺」が加われば、「東アジアのホロコースト」となることは火を見るより明らかである、と中西氏は言う。

 もう一つ、私が知らなかったのは、1昨年亡くなった岡崎久彦氏の遺著『国際情勢判断・半世紀』(育鵬社、2015年)のなかで、岡崎氏は次のように語っていたということだ。

 <いわゆる従軍慰安婦の問題については、第一次安倍内閣のときからの私の判断があります。この問題は勝てない、絶対に勝てないということです。(中略)(反論してはだめ、として)だめなものはだめ。ヘルメットをかぶって塹壕の中に入って、弾が頭の上をポンポン飛んでいくのをじっと耐えるしかありません>(以上)

 私が1996年秋に、慰安婦問題について発言し始めた時、真っ先に支援して下さったのは岡崎氏だった。
だから、その後慰安婦問題について、このようにはっきりと発言していた事実があることを気づかなかった。私の勉強不足である。

 しかし、岡崎氏のこの立場こそ、慰安婦問題に対する外務省の不動の路線だったのであり、その岡崎氏こそ安倍氏のメンター(育ての親)であり、最高の「安倍ブレーン」だったのだ。
善意の安倍首相が悪しき外務省にやられてしまった、ととらえる図式は、(そういう要素が全くないとは言えないが)ミスリーディングであることがわかる。


 中西氏は、ここからきわめて重要な安倍内閣論を展開する。
 <安倍政権の本質は、「外務省の、外務省による、外務省のための政権」と言ってよい>

 谷内正太郎、宮家邦彦、岡本行夫、北岡伸一、といった現役の外交官、外務省出身の評論家や外務省と一体の学者などが、事実上の「安倍ブレーン」であり、「徹底してドライな現実主義」、これが安倍氏と安倍ブレーンを結びつけている「心の紐帯(ちゅうたい)」だと、中西氏は言う。
安倍政権とは、多くの人が誤解しているような「保守」政権ではなく、「徹底してドライな現実主義」に立つ、外務省のための政権であるということになるだろう。

 そこから、中西氏は、保守派は安倍氏に過度に期待をかける「安倍ドリーム」から目覚め、政府に頼ることなく、民間の力だけで「日本の主張」を世界に訴えてゆくという気概を取り戻さなければならない、と提言する。
そして、「歴史戦は30年戦争」という歴史戦略に立ち、自分の目の黒いうちに実現することはなくても、延々と「戦いの火」を受け渡してゆこうと決心している、と締めくくっている。

 『歴史通』中西論文は、よくぞここまで言ってくださったという、その勇気に感動した。心からの賛意と敬意を表明したい。今、必読の論文である。

 <追記> 産経新聞は4月7日付け1面で、米グレンデール市のナジャリアン市長が「日韓合意」を支持した、という記事を載せている。
 <2013年7月の像設置を決める採決で賛成したナジャリアン氏が日韓合意の支持を表明したのは、閣僚経験のある与党国会議員らが昨年11月、ナジャリアン氏と面会し、日韓両国の慰安婦問題に関する受け止め方の違いを説明したほか、市議会にパイプを持つ日本関係者が接触を重ねたことが背景にある>
 記事は、「近く市議会に提出される見通しの支持決議案も採択される公算が大きく、慰安婦問題に関する米国での日本非難の動きに歯止めがかかりそうだ」と観測している。

 本当に歯止めがかかるかは別にしても、慰安婦日韓合意がこういう形で使えるなら大いに活用すべきである。
ただ、これによって、日韓合意の致命的失敗が否定されることにはならない。さらに、これによって、「慰安婦問題は終わった」とか、「これ以上、日本から反論しない方がいい」などという考えを引き出す可能性があり、注意が必要だ。
これこそ、外務省路線そのものであるからだ。

 フェイスブックで私の友達にもなっているロサンゼルス在住の作家・馬場信浩氏は、次のような投稿をしている。
 <再度、申し上げておきたい。慰安婦問題は終わったのです。騒ぐのは韓国側だけにしていただきたい。
日本側が騒ぐと韓国に利用されて日韓合意が無に帰する恐れがあるからです> 
<もしアメリカで慰安婦像が建つと公聴会が開かれたら、「慰安婦問題については不可逆句的に解決したという日韓合意がある。
これにはアメリカ政府もお墨付きを与えた。それでもこの市は慰安婦像を建立するのか」と反論できるのです。市長や市議達は真っ青になるでしょうね。したがって折角の合意を無為にして欲しくないのです>

 <慰安婦像撤去裁判などはバカがやるものです。こうして確実に世論を変えて相手の顔をこっちに向けることが大切でした。去年こちらに来ていただいた中曽根元外務大臣、平沢勝栄自民党議員に感謝します。そして安倍総理に大感謝です>



 この投稿で、産経の記事の背景がわかる。「閣僚経験のある与党国会議員ら」とは、中曽根弘文元外務大臣と平沢勝栄自民党議員であり、「市議会にパイプを持つ日本関係者」とは、馬場氏ご自身のことであろう。馬場氏はスリーショットの記念写真も公開していた。

 すでに述べたとおり、日本は慰安婦問題で窮地に追い込まれており、少しでもプラスの動きにつながるものは生かさなければならない。馬場氏らのご尽力を多としたい。
ただ、馬場氏の投稿には、そのことを越えて危惧を覚える要素がある。3点指摘したい。

 ①「慰安婦問題は終わった」というが、グレンデールの市長が日韓合意の支持を表明したことから、どうしてそんな巨大なことが言えるのか。ジュネーブの女子差別撤廃委員会では、日本の皇室の皇位継承まで男女平等に反するという最終見解が公表される寸前だった。世界での戦いは始まったばかりだ。

 ②「日本側が騒ぐと韓国に利用されて日韓合意が無に帰する恐れがある」というのも、個々の小さな局面ではそういう配慮が必要なことはあるとしても、それを越えて慰安婦問題について日本側はもう発言するな、という一般的主張になるとしたら、外務省は喜ぶだろうが、日本の口封じをも狙った「日韓合意」の罠にはまることになるだろう。

 ③「慰安婦像撤去裁判などはバカがやるものです」というのは、目良浩一氏の訴訟を非難したものだが、暴言である。
目良氏の勇気ある行動によって、日本人がいかに励まされたか、計り知れない。そのことと、訴訟戦術の細かい当否の議論は区別すべきで、こういう論じ方は、いたずらに日本人社会に敵対的対立を持ち込むものではないかと危惧する。(以上)



★ 以上が「中西輝政京都大学名誉教授の論文」を読んだ藤岡信勝氏の感想の全文である。
先日、チャンネルAJIERで藤岡氏が語ったyoutubeは前半しかUPできず、後半は有料で会員だけが見ることができるもので、
藤岡氏自らの文で書かれたこの文をご紹介した。

三宅博氏も1月まもなくのチャンネルAJIERの動画で次のように述べられていた。(一部を転載)

国の名誉と安全保障を計りにかけて、あたかもこれが相反するような二者択一の対立的な構図を示した上で 国防上の実利が大切と言うが、これは決して安全保障と国家の名誉というものは対立するものでない、また別個のものではない。
これを同列に論じて、安倍さんの今回の日韓合意を擁護すると言うのは、一種の詐欺・ペテンに等しいと思う。

http://blog.goo.ne.jp/yaonomiyake/e/4720d5150add62fd4732d18373dd2e8b
・・・全文は三宅博氏のサイトでご覧ください。



★ 以上から・・・自民党内は自由に討議ができない、そして二階氏は「自由にモノが言える」らしい。
「理念と現実」とある人が解説をしていたが、二階氏は悠仁親王殿下がいらっしゃるのに「女性天皇がいないのは時代遅れ」などと言う。これも「どこかの国」または国内の「国会議員ならぬ『国壊議員』」の希望、はたまた「ユネスコ」の希望?
国内が危なくて仕方がない。


ブログのティルーム



★ 9月です、ベッリーニの名曲「ゆかしい月よ」をルーマニア出身の美貌と美声を兼ね備えた名ソプラノ、
(1965年生まれ、現在51歳!!、この動画の時は48歳)アンジェラ・ゲオルギューのソプラノでお聴きください。


Angela Gheorghiu - Bellini: Vaga luna - recital in Los Angeles, March 2013 (イタリア語歌唱)

・・・これはアンコール? 一輪の赤いバラを手に歌うプリマドンナ、ゲオルギュー。

「銀色の光をふりまく優雅な月よ、この岸辺を 花々を 照らし出し

この世のすべてのものに愛の言葉を吹き込む」と歌いだします。

コメント (4)
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チャイナに対し、日本は毅然と「歴史」明らかにせよ。チャイナは「阿片戦争」をどう思うのか!!

2016年08月31日 | 政治

★「歴史の真実」について・・・
2016.8.31 05:00更新

【歴史戦】
習近平氏が「日本の暴行暴いた」と称賛した英国人記者、「南京事件」の現場に居合せず 在職記録もなし


 【ロンドン=岡部伸】中国の習近平国家主席が昨年10月に訪英した際、第二次大戦で「侵略者日本の残虐行為を暴いた」と称賛した英国人記者が、所属していたとされる英新聞社に在職記録はなく、中国側が「日本の残虐行為だ」と主張する「南京事件」の現場にもいなかったことが30日までに明らかになった。

 習氏がエリザベス女王主催の公式晩餐(ばんさん)会で取り上げたのは英国人のジョージ・ホッグ氏。「第二次大戦の際、記者として侵略者日本の残虐行為を暴く記事を発表した」と紹介した。

 中国は2008年にドイツなどと合作で、ホッグ氏を主人公にした映画『チルドレン・オブ・ホァンシー 遥(はる)かなる希望の道』を制作した。この中でホッグ氏は赤十字職員と偽って南京に入り、中国市民を殺害する日本兵を写真撮影。日本兵に見つかり処刑される寸前に中国共産党の軍人に助けられる。

 しかし、映画の原作となった『オーシャン・デビル』を執筆した英タイムズ紙記者のジェームズ・マクマナス氏は、「ホッグ氏の中国入りは1938年2月で、彼は南京に行っていない。映画は脚色され、事実ではない」と証言した。

中国側が主張する「南京事件」は日本軍が南京を占領した37年12月13日から6週間程度。2月に上海入りしたホッグ氏が目撃するのは不可能だったというわけだ。

 ホッグ氏は大学卒業後、英紙マンチェスター・ガーディアンやAP通信の記者を務めたとされている。ところが、産経新聞が後継紙である英紙ガーディアンに問い合わせたところ、ホッグ氏の署名記事はもちろん、在職記録もなかった。

 AP通信やUPI通信には署名記事はあったが、紀行文などで、「日本軍の虐殺行為を暴いた」という署名記事は見つからなかった。

 マクマナス氏の著書などによると、ホッグ氏は上海入りした後、湖北省黄石市に移り、孤児施設で教師を務めた。中国の国民党政府軍が孤児たちを徴兵しようとしたため44年11月、孤児60人を連れてモンゴル国境に近い甘粛省山丹まで移動。戦火から子供たちを守った「中国版シンドラー」と評されている。

 45年8月24日付のマンチェスター・ガーディアンによると、ホッグ氏は同年7月に破傷風で病死した。

習近平氏が「日本の暴行暴いた」と称賛した英国人記者、「南京事件」の現場に居合せず 在職記録もなし

 ホッグ氏の両親からの依頼で死因を調べた在重慶英国領事館から英外務省に宛てた46年1月9日付公文書(英国立公文書館所蔵FO369/3426)は「ホッグ氏が校長を務めた山丹の学校教育が中国で最も素晴らしい教育の一つで、ホッグ氏が誠実に天職(教師)に尽くし、協同組合活動の指導者として修練を重ねる極めて良質な人物」と記している。(転載以上)


★ チャイナは「南京大虐殺」をユネスコの記憶遺産に登録したが、日本政府はひとつひとつ世界に向けて明らかにせよ。
日本の名誉は護らねばならぬ。

ところでチャイナは「阿片戦争」でイギリスに蹂躙され紫禁城の近臣をはじめ多くの民衆が「阿片」に毒された事実は「国際的に訴えない」のか、アジアを蹂躙した「事実」を記憶遺産にすることは考えていないのか?
チャイナも英雄がいた。
「林則徐」である。
彼はイギリスによる「阿片」の侵害を止めようと尽力したが、清は林則徐を罷免し「新疆」に流した。
チャイナは祖国の英雄をこのような扱いで全権 から外し、やがて欧州から領土を割譲されるはめとなる。
当時の力では「林則徐」をもってしても欧州の侵略は止められなかったであろう。
しかし、英仏の野蛮な兵士たちは貴重な「四書文庫」をはじめ、歴史的な美術品その他をゴミのように燃やし、或は持ち帰った。


阿片戦争


ご参考に・・・「林則徐」とは(WIKI)より・・・(昨日8月30日が林則徐の誕生日であった。)

林 則徐(りん そくじょ、Lín Zéxú、1785年8月30日(乾隆50年7月26日) - 1850年11月22日(道光30年10月19日))は、中国清代の官僚、政治家。欽差大臣を2回務めている。

1837年(道光17年)に湖広総督(現在の湖北省と湖南省を合わせた地方の長官)になる。この時に管内での阿片根絶に実績を上げ、黄爵滋の「阿片厳禁論」に賛同し上書した。その実績と議論の精密さを道光帝は評価し、1838年に林則徐を阿片禁輸の欽差大臣に任命した。

1839年(道光19年)、広東に到着した林則徐は、イギリス商人が持っている阿片を全て没収し、処分した。これに怒ったイギリス商人たちは林則徐に抗議し、最終的に阿片戦争を引き起こすことになった(詳しくは阿片戦争の項を参照)。

阿片を処分する林則徐に対し
現地のイギリス商人を支援するために派遣されたイギリスの東洋艦隊は、広東ではなく北京に近い天津に現れた。間近に艦隊を迎えた清の上層部は狼狽し、慌てて林則徐を解任し、イギリスの意を迎えることに必死になった。林則徐の後任となったキシャン(琦善)がひたすらイギリスに低姿勢で臨んだ結果、清が大幅に譲歩した南京条約を結ぶことになった。


ムジャンガによって欽差大臣を解任された林則徐は西域辺境の新疆のイリに左遷された。しかし、林則徐はここで農地改革を行い、善政を布いた事で住民から慕われた。林則徐にとってもこの場所で南下するロシア帝国の脅威を実見できた事は大きな収穫であり、進士の後輩に対し「将来清の最大の脅威となるのはイギリスよりもむしろロシアだろう」と言い残した。これが後の左宗棠らの塞防派を形作ることになった。(事実、イリは1871年7月にロシアに占領されている。)



 ★ 次の話題・・・現在のこのような世界の大動乱をどのように鎮めるべきか。

それは私が5月に東京で三宅博・三浦小太郎氏の講演を聴いて、忘れられない大感激をしたこと。
もうどうにもならない世界の動乱、これを克服するには・・・。

確かに「これが特効薬」というものはないであろう。

しかし、各国の歴史におけるかつての素晴らしい文化や克服してきた政治に目を向けること、歴史に学ぶこと。
これを学ぶこと、各国のかつての気高い「真実の愛」でもって乗り切る、私はそのことが今も頭の中に響いている。

もちろん「真実でないこと」は「歴史ではない」のだから毅然と排除するべく、日本政府は動くべきである。


★ 別の話題を・・・今まで我慢し続けてきたが、少しだけ書くことにする。
その人物の名前は伏せるが、過去の名声は今はどうかということ。「天皇陛下」や過去の偉人たちを称える内容はいつも十分にあるが、講談調で私は「またか・・・」と読み流してしまう。

真の国士であれば他の候補者に対し「挨拶がない」「義理を欠いた」(国の為ではない無様な誹謗中傷)などと言うはずがない、それも事実を曲げている。そんな私利私欲とは無縁のはず。
「序列」「面子」を最優先する状態で本来その政治家本人の現在の「やるべきこと」の実践が足らず、道を誤る。

「 義を明らかにして 私を計らず 」というそのホシュ政治家が次のように書いていたのには仰天した。

>・・・これほどの明らかで深刻な激変と脅威が我が国に東西から迫りつつあるのに、
 この度の参議院選挙で、
 誰が我が国の国防を語っていたのか!


唯我独尊(宗教的な意味ではない)とはこのことである。自分以外は見えないのか。
自分一人が「国防を語っていた」とは、相当な思い込みであり傲慢不遜である。

★ 「日本はどうなるのか」と日々思う中で、まず「歴史戦」は譲ってはならない。国家の名誉を軽んじる国家は滅びてしまう。
国民の「祖国愛」という土壌があってこその「防衛」である。




・・・尖閣周辺で溺れる中国人船員(民兵か?)を救助する日本の海保。


ブログのティールーム


★ ヴェルディ作曲「シチリアの晩鐘」【シチリアの夕べの祈り】とも訳されている。
戦後まもなく世界を魅了した名バス歌手、チェザレ・シエピの貴重な録音録画。
最初の歌詞「パートリア」は「祖国」の意。

Cesare Siepi- Vespri- O tu Palermo! 
ヴェルディ「シチリアの晩鐘」~おおパレルモ、愛しい土地よ。 (イタリア語歌唱・1957年の録画)


マリア・カラスはこの曲を学ぼうとする若い歌手に下記のように述べています。
>・・・「このオペラの主役、プローチダという人物は偉大な歴史的な存在です。
そしてこの場面で今、彼は祖国シチリアに戻ってきて長年のフランスの支配から解放しようとしています。
プローチダはシチリアの頂点に立つ人物でもあり、歌にも高貴さを理解し感じとらねばならないのです。
『シチリアよ、立ちあがれ、お前はもう十分に苦しんできた、かつての輝きを取り戻すのだ』と歌う時はあなたの表情にもそれがあらわれるべきです。
終わりの方のla vittoria 【勝利】と歌うところは((上記のyoutubeでは1分40秒過ぎから2分10秒まで)トランペットのような強靭さが必要です。」


https://www.youtube.com/watch?v=KURH52XYrh0

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