グローバリズムによって忘れたもの自律した世界をつくっていた日本 【特別企画】「日本人とは、そも何者ぞ!」4 西部邁ゼミナール
2017/07/14 に公開
TOKYOMX西部邁ゼミナール特別シリーズ「日本人とは、そも何者ぞ!」【4】
〔テーマ〕敗北の美学「平家物語」と本居宣長「もののあはれ」
〔放送〕2017年7月15日〔土〕7:05~7:30TOKYOMX1
〔出演〕西部邁 澤村修治 浜崎洋介 今村有希
グローバリズムによって日本人が忘れてしまったもの、自律的な精神の運動として「平家物語」や「源氏物語」を解釈し、思考だけでなく行動を試み鍛錬された時代を顧みる。
平家の没落をあれほど美しく書いた日本人が、なぜ?大東亜戦争について、書かないのか、書けないのか。
無常観によって滅びを捉えた「平家物語」を読み直し、動かし難い宿命的なものに翻弄された日本人たちが生きた時代を顧みる。個人の力では抗いようのない「運命」「有為転変」「大自然」「恋」といった「もののあはれ」をめぐり、本居宣長が抱えていたニヒリズムや実存の問題について、どのように乗り超えてきたか議論する。(動画の解説から)
★ 保守というのは「大河のような流れを感じさせる情感」がある、と
・・・これは三宅博先生のお話から感じたことだった。
「もののあはれを知るなり」・・・祖先の考えにひたりながら西部先生のお話を聴きたい。
ブログのティールーム
ブルガリアの名歌手、リュボミール・ボドゥロフは決してスカラの名歌手にひけをとらない実力と魅力があった。日本ではスラブオペラに参加、この時だけしかこの名歌手の歌声に触れることはなかった。このころ、西側ではフランコ・コレッリ、カルロ・ベルゴンツイが全盛期であった。
Lyubomir Bodurov - E lucevan le stelle
・・・プッチーニ「トスカ」~星はきらめき