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時事問題を中心にブログを書く日々です。
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シーア派武装組織フーシ派、紅海で日本郵船の貨物船乗っ取りか /国際運航を妨害するイエメン周辺における監視体制を(山田吉彦教授)

2023年11月20日 | 政治

シーア派武装組織フーシ派、紅海で日本郵船の貨物船乗っ取りか

毎日新聞 

イスラエル軍は19日、イエメンのシーア派武装組織フーシ派が紅海を航行していた貨物船を乗っ取ったと発表した。中東メディアは、この船がイスラエル企業が関係する船だとしているが、イスラエル軍は「イスラエル企業の船ではなく、イスラエル人も乗っていない」と否定している。

 国土交通省によると、19日午後10時過ぎに、日本郵船から船が「拿捕(だほ)されたようだ」という内容の連絡があった。国交省が情報収集を進めている。イスラエル首相府も声明の中で、乗っ取られたのは日本企業が運航している船だと明らかにした。

 イスラエル軍によると、貨物船はトルコからインドに向かう途中で、イエメン近くの紅海南部を航行していた。多国籍の乗組員が乗船していたという。中東メディアによると、船は自動車運搬船「ギャラクシー・リーダー」で、乗組員は22人だという。

 イスラエル軍とパレスチナ自治区ガザ地区を支配するイスラム組織ハマスの戦闘を巡り、イランやイランが支援するフーシは、イスラエルへの敵対姿勢を強めている。フーシは10月以降、イスラエルに向けて地対地ミサイルやドローンなどを発射したとされる。【三木幸治(エルサレム)、斎川瞳】

イエメンの位置

学者の山田吉彦氏は次のように解説しています。
(海洋問題研究者/東海大学海洋学部海洋理工学科教授)

>イエメンの政権を握っているイスラム教シーア派の組織フーシー派は、かねてから紅海、アデン湾を通過する船を攻撃するなど、国際航行を脅かす行為を行っている。
フーシー派はイランとのつながりが深く、武器の供与も受けていると言われる。
イランは中東とイスラエルの対立の再燃に動きを見せている。

今回、拘束されている自動車運搬船ギャラクシー•リーダーは、パナマ船籍であり運航会社は日本の日本郵船であり、船体を見ると一目で日本郵政の船とわかる。
船の所有者はマン島(イギリス王室領であり、特殊な存在な島)の船会社であり、その資本を辿るとイスラエルともつながるようだ。しかし、ギャラクシー•リーダー号をイスラエルと結び着けたとすると用意周到な計画的な行為である。
船員も多国籍であり、典型的な便宜置籍である。
イエメンの行為は、国際的な航行システムを脅かしている。
イエメン周辺における監視体制の構築を急ぐ必要がある。


ブログ主・・・日本企業が運航している多国籍の22人が乗った船、今、国土交通省は情報収集している。
戦闘で予想されるルートについて日本やその他の国々は対策を考えておくべきだ。
海賊ではなく戦闘であり、何が起こってもおかしくない。


一方でこんなニュースが・・・

フーシ派、イスラエル船を拿捕したと声明
共同通信社 

【カイロ共同】イエメンの親イラン武装組織フーシ派は19日、紅海でイスラエルの船を拿捕、イエメンの海岸へ連行したとの声明を出した。イスラエルによる「虐殺」を受けるパレスチナ人のための行動だと主張した。
フーシ派、イスラエル船を拿捕したと声明 (msn.com)

ところでイスラエルが善でパレスチナを庇うのは悪、という頑迷なホシュの説を動画で耳にしたが、アメリカ追従ではなく日本政府の正式な見解はどうなのだろう。今回の事件は山田教授が述べられたように「国際的な運航」を脅かしている・・・
どちらかに肩入れするのは大変危険と思うのだけれど。


パレスチナ外相、北京訪問へ

この記事にこんなコメントが・・・よくわからないのですが、半分だけ理解できるような気がします。
>サウジアラビア、ヨルダン、エジプト、インドネシアという 比較的親イスラエル、親米の国家がまとまって訪中というのがポイントです。 これはハマスやイランは邪魔しておきたいところでしょう。 またイエメンのフーシ派も以前に紅海で中国と小競り合いをしたことがあり 米国と中国がイエメンで歩調を合わせるような事態の再来は心配でしょう。

ブログのティールーム

1950~1960年代で性格俳優のバリトンといえばティト・ゴッビが最高でしょう。
貴公子のようなバスティアニーニや祖国を思い子を愛する父親の情愛を歌ったカップッチッリとは違ったタイプの名歌手だ。

美しい歌姫のトスカに横恋慕し、教会のミサに列席しながら信仰など見せかけだけで邪な計画を歌う。
ゴッビが歌うと身も震える「オテッロ」のイヤーゴもそうだが、1958年に初来日し、マリオ・デル・モナコのオテッロと丁々発止の舞台を繰り広げ「オペラの団十郎」と絶賛されたが、その日だけ歌い、アメリカのメットの契約があったのでその生の声の凄さを聴けたのは初日の切符を買った人だけ。
彼は「ギャラはタダでいいからシモン・ボッカネグラを歌わせてくれ」と言ったそうな。
そして父親思いのゴッビは終演後、レストランに父を連れて行き、ウエイターに指を鳴らして横柄に注文するなど・・・父はそんな息子にハラハラして言った。
「ティト、もうオペラは終わったんだよ、スカルピアじゃないんだよ、息子のティトに戻っておくれ」って。

Tito Gobbi in the Te Deum scene



ヤフオク! - Great Opera Baritons/Tito Gobbi(2CD)
ティト・ゴッビ 1913年 - 1984年


コメント
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