ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

昭和天皇や小泉元首相(当時学生)も鑑賞、デル・モナコの「シェニエ」

2012年01月05日 | オペラ
Mario del Monaco "Credo a una possanza" from Andrea Chenier



小泉元首相が学生時代に見た舞台だから・・・もうずっと前。半世紀前になるでしょう。デル・モナコが昭和34年の「オテッロ」に続き、昭和36年に二度目の来日公演、日本初演となったジョルダーノ「アンドレア・シェニエ」から、貴重なNHKの映像。
古いので映像と音声がずれている。

フランス革命の暴政を批判した詩人シェニエは新聞・雑誌に激しい反政府の批判を載せ、今は追われる身、心配した親友のルーシェが亡命をすすめるが、シェニエは時々届く手紙の話をする。
その手紙の主は女性であるが誰かわからない・・・。

実は今は落ちぶれた伯爵令嬢マッダレーナ・コアニーであることがやがてわかるのだが。マッダレーナはフランス革命前、シェニエを侮辱し嘲笑った世間知らずな伯爵令嬢であったが、シェニエに秘かに惹かれ、そっと手紙を送っていたのであり、貴族ということで彼女も身分を隠し、危険な状態であったことがわかる。

このマッダレーナを歌ったのが、当時マリア・カラスと人気を二分したレナータ・テバルディで、「大鵬のような体格」と言う人がいたほど大きな女性で186cmの身長、そしてハイヒールをはいて、デル・モナコはいつも見上げて歌っていた。しかし、フィナーレでシェニエと刑場に向かうテバルディはさすが「偉大な声」だった。ところが、いざ刑場へ行く馬車に乗り込もうとした時、デル・モナコはつまづき、テバルディは彼の手を持って助ける、という笑えない場面で終わる。それが映像で記録されている。
当時の新聞評は「両横綱、4つに組む」という内容であったときき、私は面白くてひっくり返りそうになった。どうも朝日新聞らしい。


「マエストロ、あの歌をもう一度・・・」
デル・モナコにお願いして歌って頂いたことがある。
『泣かないお前』と和訳されている曲だけれど、私は『今宵は山が美しい』と歌いだしの歌詞をタイトルにし、このブログの「主題歌」に勝手に決めている。
老マエストロはこれを歌って遠い昔を思うかのようだった。
病身で週に何度か透析を受けておられたようだ。
「もうステージに立てるなら」と周囲の方々にいつも悲しい表情でおっしゃった。

Mario del Monaco - Tu ca nun chiagne



これは最晩年のころ、テレビ出演で。プッチーニ「トスカ」~星はきらめき
Mario del Monaco "E lucevan le stelle" Tosca




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9 コメント

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Unknown (iza1824)
2012-01-06 14:14:49
"Credo a una possanza" , この曲は知りませんでした。しかし”Tu ca nun chiagne”は、聴いたことのある曲です。凄い声量ですね?この曲を歌っている途中にアップされたMario del Monacoの顔を見て、藤原義江を思い出しました。



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シェニエは実在の詩人 (iza 1824さまへ  ベッラ)
2012-01-06 17:09:25
このオペラのシェニエが歌う歌詞はほとんどが実在の詩人シェニエの遺作を用いているそうです。
マリオ・デル・モナコはテノ―レの声の甘さより力強さを、そして壮絶な生き方をしたヒーローを歌って抜群です。
藤原氏はこの時「もう、歌うの嫌になっちゃったよ、あんな声で歌われたら、凄すぎて」って言ったそうです。

当時練習指揮者の岩城宏之さんは「ソプラノのステッラと指揮のグイ先生が練習中大喧嘩になって、美人のステッラがなんとオペラスコアを投げたんだ、怖かった、これがスカラのプリマの怖さか、とみんなが震えあがった。
デル・モナコを横浜の港に迎えに行った。
甲板に立っていた。大変ハンサムな人だが小柄であった。たったひとりの人、と直感した。
孤高の人、高みに立っている人だ。
練習場で最初の一声聴いてこれじゃ入場料が安すぎると思った。でもいざ舞台の時間が迫ると彼は泣いていた。帰りたい、もう歌えない、声が出ないって。そしたら凄い怖い奥さんが怒鳴って彼を平手打ちして背中を押して舞台に出した。奥さんもすごい、「マーリオっ!!」ってものすごい顔で、僕は怖くなった。
でもデル・モナコの一声はお客さんを圧倒した。第一幕が終わり終幕になるに従ってその声はますます輝いて天井まで響き、オーケストラを圧倒、奥さんがバスタオルを広げて彼を迎えた。毎日、こうして夫婦で戦ってきたんだと思った」・・・これは何十年もあとになって、岩城さんの本で読んだのですが・・・。

デル・モナコといえばヴェルディ「オテッロ」の代名詞のように有名ですが、私はこのシェニエにべたぼれしまして・・・。でも、このオペラはもうひとりのヒーローがいるんです。
ジェラールという革命家なんですが、革命裁判でシェニエを身をもって弁護してしまう、これがバリトンなんですね。
「祖国の敵!」とシェニエを決めつけられない、名刺使い階級であったジェラールは「昔は使用人だった、しかし今は革命の使用人だ」と自分を嘲笑い、フランス革命が人々を救うと思っていたけれど、絶望するのです。
これはバリトンが歌うのです。
カップッチッリというバリトン、これには感動しました。このジェラールはロベスピエールの片腕といわれたほどの人ですがシェニエを「祖国の詩人を殺すのか!」と革命裁判で血にうえた大衆に訴えます。
この人物は後にパリ大学の初代総長になった人がモデルとされているそうです。
これもまたアップします。kenさまがこの役をレパートリーとされています。

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ミスして書きました。 (iza1824さまへ訂正です。ベッラ)
2012-01-06 17:16:21
下から7行目「名刺使い階級」を「召使い階級」です。申し訳ございません。
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Unknown (iza1824)
2012-01-06 18:55:44
色々教えて下さって有り難う御座います。

岩城宏之さんと云えば、30年くらい前にドイツのハンブルグに Smolka って、小さなホテルが有るのですが、そこに泊まった時、日本人の私を見て、フロントデスクの人が、自慢そうに、日本の指揮者の岩城宏之さんが、ハンブルグに来た時はここを定宿していると教えてくれたことを思い出しました。
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内閣官房参与 (さらりん)
2012-01-06 19:41:23
ベッラさま こんばんは。

エントリーの内容から外れるコメントになりますが、
お許しくださいませ。

既にご存知かと思いますが、
本日付けで女性宮家を始め皇室典範の担当に
起用された園部逸夫内閣官房参与についてです。
元最高裁判事のときに外国人参政権について、
判決主文では「認められない」としたものの、
傍論で「憲法上禁止されているわけではない」とし、
後にその傍論は「在日韓国人、朝鮮人を宥める意味があった」
「在日は強制連行で連れて来られたので可哀想だと思った」
と暗に判決に『政治的配慮』があったことを明言した人です。

こんな人が皇室典範改正を担当するなんて許されるのでしょうか?
もう悪意としか感じられません!(怒)
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ハンブルグは音楽の都 (iza1824さまヘ  ベッラ)
2012-01-06 21:03:33
ハンブルグに有名な交響楽団があります。
岩城さんは外国で指揮をなさっていたので、常宿を決めていらっしゃったのでしょう。
iza1824さまは外国によくいらっしゃたのでしょうね。
それと1824という数字は西暦なんでしょうか? 何かの意味があるのでしょうか?
おさしつかえなければお教え下さい。
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その人、とんでもないですね。 (さらりんさまへ   ベッラ)
2012-01-06 21:07:56
お怒りになるのはよくわかります。
裁判官のくせして八方美人、これが今の混乱を招いています。
この人、辞退すべきですね。
毅然と出来ない人は法律の仕事をしてはいけません。民主党政府で皇室関係のことを論じるのも危険です。皇室の女性宮家よりも、復興はどうなっているのでしょうか。
全くその場その場のどじょうですね。
こんなドジョウは捨ててしまいましょう!!
私はちょっと気が弱くなっていたのですが、さらりんさまのコメントでまたまた気が強くなってしまいました。どうしてくれる???
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ハンブルグは音楽の都 (iza1824)
2012-01-07 09:59:47
最初の2桁は、お父上が学徒出陣なさった年、即ち私の生まれた年です。最後の2桁が誕生月日です。もしかして、1918年生まれと思いました?
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よくわかりました。気になっていたので。 (iza 1824さまへ   ベッラ)
2012-01-07 17:50:59
ご説明ありがとうございます。
父が学徒出陣した時にお生まれになったのですか。わかりやすく覚えやすい、そしてなんだかうれしいような気持ちです。
あの時に流れた音楽「抜刀隊」の曲、私は近しいような気分で聴いていました。(youtube)
2月4日がお誕生日、もうすぐですね。
父は2月28日です。あと一日遅れたらうるう年でした。よろしくお願い申し上げます。
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