ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

巨匠コレッリが歌うジョルダーノ『アンドレア・シェニエ』~私は兵士だった(革命裁判の場)

2015年06月09日 | オペラ
  
★ 昨日はジョルダーノのオペラ「アンドレア・シェニエ」から≪祖国の敵≫をカップッチッリの名唱でUPしましたが
http://blog.goo.ne.jp/bellavoce3594/e/25947eeee4eb770dbc31bf15008cd679、本日はフランコ・コレッリが歌う詩人シェニエが革命裁判で語る即興詩、ロベスピエールの片腕だったジェラールはこの後、シェニエの弁護をし、革命裁判所は大騒ぎになります。
この三日後、ロベスピエールは失脚します。

愛国詩人シェニエを歌ってコレッリはデル・モナコと並ぶ名歌手でした。


フランコ・コレッリが歌う「アンドレア・シェニエ」~≪私は兵士だった≫

Franco Corelli "Si, fui soldato" Andrea Chenier 1961

CHÉNIER

★ この歌詞を和訳しました。

そうです、私は兵士でした。
死を恐れず立ち向かったことを誇りに思います。
ここで濡れ衣を着せられようも。

私は作家で、ペンという武器を持って偽善者たちを糺しました。
私の声は「祖国」を詠ったのです。

私の命は過ぎ去ることでしょう。
白い帆を張る船のそれは太陽のもとに輝き、青い波に飛沫をあげるのです。

運命の力に押し流され死の岩礁に乗り上げるのでしょうか。
それでもいいでしょう!

しかし私は船尾に上り凱旋旗を風に堂々となびかせましょう。
その旗には「祖国」と書かれています。

あなた方の侮辱などそこには届かない!

私は裏切り者の汚名を受けるわけにはいかない。
私を殺す? しかし名誉は守る。(以上)

★ シェニエは実在の人物であり、貴族の退廃的な政治を批判しながらも「革命」には反対し、その暴政を数々の新聞に書き、革命裁判所に逮捕されたのです。また、弟子に文豪となったユゴーがいるとレコードの解説書に書いてあったが今調べるとユゴーが生まれたのはずっとあと(1802年生まれ)であり、コメントを書いてくださったKenさま、ご迷惑をおかけしました。

1961年、コレッリが40代の時の歌唱です。





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4 コメント

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Unknown (白うさぎ)
2015-06-09 21:41:17
近年はフランコ・コレッリやデル・モナコのような本物(←これが重要)のスピント・テノールが世界的にいなくなりましたね。
イタリアの伝統的なベルカント唱法はもはや壊滅状態。

フランコ・コレッリのお墓はミラノにあり、何年も前に、機会があり訪れたことがあります。お墓には彼の胸像が置かれてました。他のお墓も見て回りましたが、みな豪華で個性的でした。日本のお墓とは違いますね。
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かなりお詳しいのですね。 (白うさぎさまへ)
2015-06-10 00:34:16
パヴァロッティ・ドミンゴ・カレーラスの時代より前の
「本物の」テノーレはその3人が束になってもかなわない、
デル・モナコやコレッリは歌の為に全生活を投入しており、コマーシャルなど一切出なかったし、声を保持するために修道僧のような地味な暮らしをしていました。

コレッリはロブスト、デル・モナコはドラマティーコ、ですが
かなり違った表現の歌い手です。
どちらも素晴らしいですね。

若くしてステージに立つ今の歌手は「使い捨て」のように声がダメになります。
基礎基本にかける時間が許されないのでしょうね。
返信する
シェニエ (Ken)
2015-06-16 23:04:26
シェニエの弟子にユゴーがいたとは!レ・ミゼラブルや「リゴレット」の原作をもう一度読み直さないといけません。「わたしの声は祖国を歌った」とは何という名セリフ。コレッリの歌唱は一音一音に情熱がこもりレガートなのはもちろんだけど音楽を流してくという感じはまったくしない。大理石をのみできざむような歌唱。ミケランジェロのようです。

さいきんやっとすこし納得のいく「祖国の敵」を歌えました。こんどシチリアの野外劇場のオペラフェスティヴァルでもこのアリアを歌いますが、やっと間に合った気がします。
返信する
このことはカラスとデル・モナコのスカラライブのレコードが出た時に (Kenさまへ)
2015-06-17 01:05:32
1955年の歴史的なカラスとデル・モナコ共演の
「アンドレア・シェニエ」のレコードの解説にあったのを
覚えていて、そこに「シェニエの弟子にユゴーがいる」と
書かれていたのですが、念のため今調べるとユゴーが生まれたのは革命のずっとあとです。
やはり検索してよかった・・・今の今まで信じていました。
エントリはその部分を書き直します。

ジェラールのモデルは後にパリ大学の教授になった、
ナポレオン3世の助言者であったと書かれていました。
それも調べるとナポレオンの命令でパリ大学は宗教学校から総合大学のようになっています。

また私はカラスとデル・モナコ共演の「アンドレア・シェニエ」の解説書の裏をとろうとユゴーが小説でなく
歴史書(フランス革命前後)として書いた「93年」という本を岩波で見つけ、アンドレ・シェニエについて記されているのを確認しました。
弟子にしては簡単すぎると思ったのですが、
ユゴーの父はフランス革命時は軍人でしたので、
多分、画家のダヴィットと年齢も近いと思います。

マリア・カラスが劇場とよく衝突したので、「カラスは画家のダヴィットだ」とよく言われたそうです。

エントリ直しておきます。
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