ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

皆既日食ですって?

2009年07月23日 | 生活・介護
今日は日食、かつて日食を見たころ、私は子供でなぜか早く下校して下敷きで見たのを覚えています。
母は、ガラスをあぶってススをつくって見ていました。
今は両方とも危険なのですってね。

実は私は日食のことをすっかり忘れていました。
父が左目の下にニキビ状のものができていたので、あたふたと眼科にかけつけていたのです。

「何かバイ菌が入ったのとちがう?抗生物質の軟膏を塗ってさわらないようにしておきなさい。すぐに治るから」と眼科医は父に言いました。

父は夜中の3時に起きて「さあ、家に帰ろう」と言って、麦わら帽をかぶって歩いていたのです。あまりおかしいので私は吹き出してしまい、麦わら帽子をとりあげ、ベッドに入れましたが、またすぐ起きだす・・・。

そして目薬をさすと気持ちよさそうに寝ました。ほっとしたのですが、私は目が冴えて困りました。
買ったばかりの「新・歴史群像シリーズ、大清帝国」のホンタイジやドルゴンの活躍、そして阿片戦争や太平天国、日清戦争まで読んでしまいました。

そこでホンタイジの妃、荘妃はホンタイジ没後、弟のドルゴンの妻になった、とありました。ドルゴンは帝位を拒み、兄の子の摂政としてイニシエの周公のように善政に力を注いだ賢人、兄嫁をあこがれていた、とは知っていたが・・・自分の妻にしたのか。
荘妃は孫の「康煕帝」を教育した才媛、として老年の活躍を中国ドラマ「康煕帝」で知っていましたが・・・たしかモンゴル出身とか。

そうこうして少し眠って・・・父の左目を見ると昨日より赤い、これははやめに医者に、と思って行動していたのです。

皆既日食はテレビで見ました。そして思い出したのはボリショイオペラ「イーゴリ公」の出陣の場、皆既日食で恐れる人々、出陣を見合わせて、と頼む妻や民衆、しかし、イーゴリ公は出陣します。
この1950年代のボリショイのライヴ、動画をこのブログに入れたのですが、パンダ夫人が「また、あんなむさくるしい男どもを」と言うので・・・それに本当にむさくるしかった、コンチャーク・ハンなんて。

まあ、いいか、それよりパンダ夫人、ついに高校の後輩にあたるわがヘルパーさんとご対面、うれしそうでした。

ヘルパーさんは、パンダ夫人よりずっとお若いが、すらりとした細身の美人。
ご主人を亡くされてすぐお母様を亡くされ、お辛いなかをけなげにがんばっていらっしゃる・・・私は強引に三国志ファンに、と思ったけれど、どうもヨン様もお好きらしい・・・。
でも、父に優しく丁寧に接してくださって、なかなかできたお人柄、私も元気になります。

朝青龍、3敗です。阪神タイガースはとっくにダメ虎になっているし・・・スポーツニュースは辛いです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

阿片戦争(鮑国安・・・林則徐を主演)謝普監督

2009年07月21日 | 中国文化・歴史
阿片戦争


話題になった謝普監督の「鴉片戦争」(日本では「阿片戦争」で封切られた)の
動画はこれしかない。他のは全く別の映画である。
謝普がメガホンをとったこの映画は、世界で感動を与えた。

主役の林則徐を演じるのは「三国演義」で曹操を演じた鮑国安。
鮑国安をぜひ、と強く希望したのは、林則徐の子孫たちだった、とのこと。

清は英国に紅茶の代金のかわりとして阿片を売られ、すっかり腐敗していた。
道光帝は林則徐に、阿片問題解決を依頼するが、「皇帝が心変わりしないこと」を条件に引き受け、覚悟を決める。
林則徐は英国がインドを経て売ってくる阿片を大量に破棄、厳しく国内を引き締めたが、徹底した政策に、清朝内部では道光帝をはじめ、官僚たちが林則徐に強い反感を持つ。
阿片で儲けていた役人や官僚たちが不満をつのらせた上、諸外国に対し、強い中華思想で外国を臣下として見る朝廷、また英国は人種差別的な見方から強い姿勢に出る。英国の強い態度に動揺する清朝、阿片が国を滅ぼす、と一歩も引かない林則徐。広州をかたく守る林則徐のところを通り過ぎ、英国軍は南京を突く。林則徐と将軍関天陪の結束は固かった。

朗々と響く彼の美声が忘れられない。道光帝を演じるのは蘇民(スーミン)「三国演義」で水鏡先生役。
道光帝は英国軍が来襲したことに激怒、林則徐を罷免の上、新疆に左遷。
皮肉にも英国側は林則徐の罷免を喜びながら、彼を惜しんだ。
一流の政治家、と秘かに敬意を払っていたのだ。彼がいないと知った英国軍は清を徹底的に攻める。
罷免され、心静かに祖国の安泰を願う林則徐は新疆へと旅立つ。
見送りにきた政敵、全権大臣は阿片に寛容な立場をとっていたが、今となっては祖国を憂い、かすかな希望に未来を託すしかないお互いの心情を語り合う。
苦悩する林則徐の鮑国安の魅力が光る。さすが国家一級俳優である。

なお、最後まで戦った将軍、関天陪は関羽の子孫とされ、今も各家庭に彼の絵姿が飾られているそうである。関将軍は清の大砲が敵に届かないことを嘆き、敵軍を近くに呼び寄せ、一気に破滅させるが、彼も壮絶な戦死。清国は敗戦、やがて香港割譲、道光帝は先祖の位牌の前で嗚咽する。

英国側はシェークスピア俳優を出すなど東西の名優が火花を散らした。
荘厳な音楽も素晴らしかった。(この動画のBGMは関係なし)
私は当時3回見に行った。そのたびに新たな感動に包まれた、そして私も一アジア人であること、欧米の力の侵略がやがて日本に来ることを察知し、それを回避できた日本の先人たちに改めて感銘したのであった。

☆チラシをご覧になるには、www.hagi.or.jp/filmart/5th/films/opiumwar.html
で検索すると、阿片戦争、と出ますのでそれをクリックすると、当時のチラシを見ることができます。・・・それが面倒なかたは、ヤフーの画面に『中国映画 阿片戦争』と字を入れ、クリックすると上から4つめに阿片戦争、と出てきて上記のアドレスが下にあるのを確認の上、クリックすると、同じチラシが出ます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

関羽と曹操-Guan Yu and Cao Cao

2009年07月21日 | 中国文化・歴史
関羽和曹操-Guan Yu and Cao Cao


「三国演義」から、関羽と曹操の<友情>をまとめた動画で、BGMは全く関係ない。二人の名優に感謝である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エッ、モンセラ・カバリエ76歳?

2009年07月20日 | 芸術
モンセラ・カバリエって何歳だろう、バースコフと歌っている動画は若々しいけれど、空港に着いたところのカバリエは完全に老婦人、ところが舞台ではまさか76歳なんて信じられない若さ、チャーミングさ、お茶目な高笑い、などなど。
バースコフとは倍以上の年の差なのに、年齢を感じさせないほどお色気があり、素敵なのです。

彼女の全盛期のオペラは何度も聞きましたが、一番最近カバリエを聴いたのは10年ほど前、リサイタルでした。
長く待たされてやっと登場、彼女はなんと杖をついて出てきました。
そしてかつての張りのあるビロードのような声ではなく、やっと聴き取れるような小さな声で歌いました。調子は最悪でした。
本当にガッカリしました。でもさすがカバリエ、ヴェルディ「オテッロ」の柳の歌は絶妙でした。特に高音も難しいパッセージもなく、平坦な歌ですが、彼女のひとつひとつのフレーズの歌唱の素晴らしさ、まぎれもない名歌手だけの持つ魅力がありました。

そしてボリショイから事実上追放の若きテノール、バースコフを暖かく受け入れ、
バックアップしている様子がよくわかりました。
彼女は舞台でも常に余裕があり、ゆったりとしていました。それに杖などなくて、とても艶やかな表情、楽しそうでした。

全盛期、東京では公演中に倒れ、急遽代役が立てられたこともありました。その時担架に乗せることが大変だったそうで、救急隊員の方々は苦労なさったそうです。共演のカレーラスなど「死んだ、死んだ!」と叫んでいたそうです。
(このへんの事情は、オペラで共演なさっていたわがブログのコメンテーター、ミー先生がくわしいです。)

もちろんカバリエは回復して、また舞台に立ちました。
後輩への面倒見もよく、苦労人のカバリエらしい思いやりのある人です。

弱い立場の人に手をさしのべるのも、彼女が昔「声がない、歌手をやめたほうが幸せですよ」といわれたほど、か細い声だったこと、そして長い間、脇役に徹してきたこと、やがて声に強靭さと流麗さが加わり、それがある日、「ルクレチア・ボルジア」で一大センセーションを巻き起こし、一気にスターダムに・・・そしてカラスのレパートリーをすべて網羅し、さらにドイツオペラもリートもこなす大物歌手として、「バルセロナの女神」とも讃えられた存在であったこと。
今でもスペインではカバリエは「神」のようだと言われていて、大御所的存在であり、ドミンゴもカレーラスも頭が上がらないそうです。

おおらかで優しいカバリエの指導に、ボリショイ出身の若きテノール、バースコフは大きく伸びることでしょう。
カバリエのもとに行ったバースコフのノビノビした歌の動画を、何度も楽しみました。

カバリエは笑ってこう言っていました。「私も若い時はもっとやせていて美人だったのよ。ある実力者が自分のいうことをきけば、役をあげよう、と言ったの。
私はキッパリといいましたわ。私はクリスチャンです、ってね。」
・・・フーン、としか・・・やせていて美人?・・・「まさか」なんて言えないし・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

このごろの私、注意力散漫!

2009年07月18日 | 生活・介護
 
お昼ごろ、父を車いすに乗せて買い物に行った後、バスルームで父の靴下を洗った・・・そのあと確認しなかった・・・少し水道が出たままでした。
キッチンでも水の音がする、と思ってシンクを見たら水道が出たままだったことが何度かあったりして、これはいけない、と注意していたのに。

我が家はオール電化なので、火の元はスイッチだけ確認しているけれど、水は「要注意」です。
アイロンは後にしょう、郵便物はこのバッグにいれておこう、あとで見よう、と何でも後回しにしすぎていて、生活習慣がなまってしまっている、料理で皮むきしたりするのがものすごく負担に感じることもあるし・・・。

ちょっと生活習慣に「喝!」を入れないと、と思います。
動画のすばらしい芸術に夢中になっていて、心ははるかかなたへ飛んでいっていました。
これじゃいけないな、まず普通の生活をしっかりしないと。
だいたい楽しいことや愉快なことが多すぎます。
読みたい本は山積みだし、やるべきことはたくさんあるのに、反省の山です。
芸術もいいけれど、毎日の生活をしっかりしないと・・・。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする