ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

政府、拉致実行犯を初聴取、三宅博先生、必死の訴えが通る

2013年05月28日 | 政治
平成25年4月10日 衆議院 予算委員会 三宅博の質疑 (北朝鮮による日本人拉致問題)


三宅博先生が、古屋拉致問題担当大臣に「拉致・特定失踪者問題」に警察が事情調査・現場検分に入っていないことを冷静に話され、これで特定失踪者に対して警察が事情調査に入るという電話が古屋大臣から電話が関係者のところに入ったという。 

何と言っても三宅先生の長年にわたる必死の実践は誰も一目置く存在、
「拉致問題」国民大集会ではただひとり、聴衆から大きく「激励」の声!!(そのすぐあとは有田議員に「帰れ!」の怒号)
長きにわたって毎月半分は全国の特別失踪者のことで熱心に活動され、伺っていて頭が下がる思いであった。
拉致被害者のかたは目に前に拉致犯がいるのを見た時、全身が凍る恐怖を味わっていたと伺った時、まだ拉致犯が国内にいるのがわかりながら
警察の聴取も検分もされていないことに驚き、怒りがこみあげた。

やまと新聞のインタビュー、
【動画】日本維新の会三宅博衆議院議員インタビュー 第三回「北朝鮮による拉致問題解決にかける想い」

・・・3分50秒あたりから、古屋大臣にプレッシャーを与え続けた国会での様子や
冷静に答える三宅議員の話、正鵠を得たものである。

地道な活動がやっと聞き入れられた、そして拉致された方々全員の帰国を祈っています。

でもこの「船ごと沈めた」という記事を見て、怒りが増します。
何という残酷なことを!!



拉致実行犯を初聴取 政府対策本部 未発覚、数十人規模か
産経新聞 5月28日(火)7時55分配信

 ■80年代「若者連れ去り、残りは船ごと沈めた」

 脱北した朝鮮人民軍元幹部が軍の指令を受けて1980年代に日本海で漁船の日本人乗組員を拉致したと証言していることが判明し、政府の拉致問題対策本部が元幹部から事情聴取したことが27日、分かった。政府当局が拉致実行犯を名乗る脱北者から聴取したのは初めて。元幹部は、軍の工作機関による海上での拉致は60年代から80年代にかけて頻繁にあったとし、「若者だけを連れ去り、残る船員は船ごと沈めた」と証言した。事実なら、拉致・殺害の被害者は数十人規模に上る可能性があり、対策本部は調査を始めた。

 海上での韓国人拉致は知られているが、軍による海での日本人拉致についての具体的証言も初。

 元幹部によれば、青森県沖で80年代、5人前後が乗った漁船を襲い、30代男性を連れ去った。残りの船員らは船ごと沈めたという。

 海上保安庁によると、70年代から80年代にかけて、日本海で行方不明になった漁船は記録が残っているだけで18隻。80年10月には青森県沖で30~70代の6人が乗った漁船が戻らず、遺体で見つかった1人を除く5人と船体が発見されない事案があった。対策本部は、元幹部の証言と、こうした事例との類似点を精査するなど調査を進める。

 元幹部によると、海上での拉致は「対日漁民作戦」と名付けられ、「対南(韓国)漁民作戦」と並行して、62~85年まで繰り返し実行された。日本海側の元山(ウォンサン)近くなどを拠点に計約120人の部隊が編成されていたという。

 作戦に使われた工作船は、船体に漢字で「○○丸」と書かれた日本の中型漁船を装ったもので、十数人の工作員が乗船していた。4月~10月末に青森から九州の日本海側で2~5人ほどが乗った中小漁船を標的にしたという。

 手口は夜、無灯火で日本漁船に近づいて乗り移り、銃を突き付け船員を制圧。10~30代だけを工作船に連行し、高齢だったり、抵抗した乗組員は船倉や船室に閉じ込め、船ごと沈めて証拠隠滅を図ったという。

 元幹部は、「多い時期は年に3回、少ないときは2年に1回実行された」とし、事実なら拉致被害者は10人以上、殺害された人はその数倍に上る可能性がある。

 元幹部は「拉致した若者を教育し日本に再上陸させ情報収集などをさせる計画だった。被害者には大学を出た若者もいた」とも証言。81年に拉致し教育した日本人を日本に再上陸させたこともあったというが、いずれの被害者も消息は不明だという。

 元幹部によれば、拉致被害者を工作活動に従事させる計画は成果を得られず、85年には韓国に再入国させた韓国人被害者が警察に通報したため、対南、対日とも作戦を中止したという。


☆ すでに帰国された拉致被害者の方も聴取をし、護ってさしあげてほしい。
  いろいろきいている・・・。



拉致実行犯を初聴取 政府対策本部 未発覚、数十人規模か - MSN産経ニュース sankei.jp.msn.com/world/news/130… 日本で最初の拉致事件は特定失踪問題調査会によると第12玉栄丸が東シナ海で11名の乗員ごと消えている。昭和30(1955)年のこと


拉致実行犯を初聴取 政府対策本部 未発覚、数十人規模か(sankei.jp.msn.com/world/news/130…)…「元幹部は、軍の工作機関による海上での拉致は60年代から80年代にかけて頻繁にあったとし、「若者だけを連れ去り、残る船員は船ごと沈めた」と証言」

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5月27日は対馬沖で連合艦隊がロシア帝国バルチック艦隊に勝利した日、東郷元帥のご子孫、Kenさまへ

2013年05月28日 | 政治

日露、対馬沖海戦・人類の星の時間

                          No.857 平成25年 5月27日(月)
                               西 村 眞 悟

 本日、五月二十七日は、百八年前の日露戦争において、対馬沖で我が帝国海軍の連合艦隊と露西亜帝国のバルチック艦隊が雌雄を決する艦隊決戦を行い、連合艦隊が完璧な勝利をおさめた日である。

 その対馬の連合艦隊とバルチック艦隊の決戦海域を遙かに遠望できる対馬北端の岬の高台、上対馬町西泊の殿崎において、
五月二十六日午後十一時より日露両国の戦没将兵五千数百名の慰霊祭が、対馬歴史顕彰事業推進委員会の主催により、対馬全島から集まったの人々と対馬駐屯の陸海空自衛隊の出席のもとに行われた。
 
 慰霊祭は、国旗掲揚、海上自衛隊ラッパ吹奏そして黙祷によって始まり、神事を執り行い、海戦海域に向かって「海ゆかば」を二度斉唱し、約一時間で終わった。
 私は、この慰霊祭に出席し、次で午後一時から殿崎の近くの比田勝区民会館で記念講演をさせていただいた。
 その為、私と九州の同志は、前日の五月二十五日の夕刻に上対馬の比田勝に到着して対馬の慰霊祭主宰者同志と合流し、久しぶりに夕食を共にできた。

 日露戦争に於ける両国海軍の対馬沖に於ける艦隊決戦の世界史的意義は次に述べるが、その前に、この対馬に於ける記念行事は、国の関与なく完璧に対馬住民有志によって行われていることを記しておきたい。
 
 この殿崎の丘には、つとに西泊住民の努力によって連合艦隊司令長官東郷平八郎元帥の揮毫による「恩海義高(山ヘンに喬)」の石碑が建てられている。
 そして、近年、佐世保海軍病院に入院しているバルチック艦隊司令長官であるロジェストウェンスキー中将を見舞う東郷平八郎提督と幕僚の日本一の巨大なレリーフを掲げた「友好・平和」の石碑が民間有志によって建てられた。
 そして、その前で、平成十六年五月二十七日、ロゼストウェンスキー、東郷平八郎の両敵味方の提督の曾孫二人が招かれて握手をした。
 「恩海義高」の書は、海戦の翌日、四隻のボートに乗って殿崎にたどり着いた百数十名の負傷した敗残のロシア水兵を、上対馬の島民が手厚く救助し介抱したことを知って感激した東郷提督が揮毫したものだ。
 その意味は、「戦の海であった対馬が恩愛の海になった、その義は、何と気高いのか!」というもの。

 十年以上前になるが、イギリスでは、イギリスがナポレオンの艦隊を撃破したトラファルガー海戦(一八〇五年十月二十一日)二百周年を、エリザベス女王の御臨席のもとに開催しようとしていたのに引き替え、我が国では対馬沖海戦(一九〇五年五月二十七日)百周年を政府が祝おうとする動きはなかった。
 それではと、対馬で海戦百周年を祝おうとする動きを起こして、それを実現したのが、対馬を中心とする国民有志であった。
 特に対馬の有志の筆頭格になり、日本一の「友好・平和」の巨大レリーフを殿崎に建立した対馬比田勝の高士、武末裕雄さん、また慰霊祭事長で元自衛官の小松津代志さんらに、心より敬意を表する。
 私は、この日露海戦百周年記念事業の準備段階で対馬に渡り、始めて武末裕雄さんをはじめとする対馬の高士に出会い、以後親しくお世話になりながら、年に一度は対馬を訪れ、二千年にわたる国境の島である対馬の、海と険しい山に育つ人と歴史と自然と風土に日本の源像としての無限の愛着を感じている。

 さて、この対馬沖において百八年前の今日、五月二十七日に行われた日露両国の艦隊決戦の世界史的意義について述べる。

 「人類の星の時間」、
 これは、世界史の運命的な瞬間を作家のシュテファン・ツバイクが画いたドキュメントの表題である。
 その序で、ツバイクは次のように言っている。
「芸術の中に一つの天才精神が生きると、その精神は多くの時代を超えて生き続ける。
 世界史にもそのような時間が現れ出ると、その時間が数十年、数百年のための決定をする。そんな場合には、避雷針の先端に大気全体の電気が集中するように、多くの事象の、測り知れない充満が、きわめて短い瞬間の中に集積される。
・・・そして、一個人の生活、一国民の生活を決定するばかりか全人類の運命の経路を決めさえもするのである。・・・こんな時間は、個人の一生の中でも歴史の経路の中でも稀にしかない。
こんな星の時間・・・星のように光を放ってそして不易に、無常変転の闇の上に照る・・・。」


 そして、ツバイクは、一四五三年の西洋によるビザンチンの都奪還や一八一五年のナポレオンのウォーターローにおける世界的瞬間や一九一七年四月のレーニンを乗せてロシアに走る「封印列車」のドキュメントを述べている。

 そこで私は、五月二十六日、対馬殿崎に佇立して、
 二十世紀のアジア・アフリカを見渡した総体としての世界史にとって、「人類の星の時間」とは、
明治三十八年(一九〇五年)五月二十七日の対馬殿崎沖において展開されたという直感をお伝えしたい。
 まことに、その時、この海が避雷針の先端の如くなって世界の大気全体の電気をここに集中せしめ、
有史以来完璧な勝利を我が国にもたらして、二十世紀から現在に至る世界を決定した真の「人類の星の時間」となったのである。

 簡潔に書く。
 この対馬沖の日露決戦に我が国が敗北したならば、大日本帝国は滅亡した。
 これにより、白人ではない有色人種による唯一の独立自尊の近代化は挫折し、有色人種は優秀な白人諸国の植民地というくびきにのもとに生きるという近世以来の世界秩序が二十世紀も堅持されることが確実となる。
 
 この対馬沖決戦に我が国が勝利したが故に、我が国は、二十世紀中盤の大東亜戦争において、諸国民の平等と共存共栄の世界秩序と人種差別撤廃を掲げて戦うことができた。
 そして、我が国は、戦闘では負けたが、戦争目的では勝利した。我が国の戦いによってアジアを植民地支配する欧米の軍隊は駆逐され、アジア・アフリカの諸民族は覚醒し、欧米諸国の植民地継続は不可能となったからである。

 二十一世紀の現在の世界秩序は、諸民族の平等と人種平等である。この世界秩序を創ったのは、断じて欧米諸国ではない。
 二十世紀初頭から世界でたった一国で白人国家の侵略と戦い始めた有色人種の国である日本が、この現在の世界秩序形成の人類史的役割を担っていたのである。

 戦後秩序とは、この日本を悪を為したとして、その歴史的意義を封印する秩序である。
 対馬殿崎において、この戦後秩序の封印から自由になって決戦海域を大観したとき、まさに百八年前の五月二十七日、ここで「人類の星の時間」が起こったことを実感したのである。

 その「明治三十八年五月二十七日の星の時間」の経過を次に記して本稿を止める。
 日付けが二十七日に変わった頃、
東郷平八郎連合艦隊司令長官率いる我が連合艦隊は、朝鮮半島南端の鎮海湾に停泊し、ロジェストウェンスキー・ロシア司令長官率いるバルチック艦隊は、数日前ベトナムのカムラン湾を出発して消息を絶っていた。

(1)、午前4時45分、仮装巡洋艦信濃丸、旗艦三笠に打電、
 「敵艦ミユ456地点」、
 「敵航路北北東、対馬海峡ニ向カウモノノ如シ」
(2)、6時21分、連合艦隊司令長官大本営に打電
「敵艦ミユトノ警報ニ接シ連合艦隊ハ直チニ出撃之ヲ撃滅セント欲ス本日天気晴朗ナレドモ浪タカシ」
(3)、6時34分、旗艦三笠、及び40隻、鎮海湾を出港
(4)、午後1時55分、三笠にZ旗上がる
  「帝国ノ興廃此ノ一戦ニアリ各員一層奮励努力セヨ」
(5)、2時5分、連合艦隊三笠を先頭にして、北北東に敵前大回頭
(6)、2時10分、砲撃開始、敵との距離6000メートル
(7)、2時20分、敵戦艦オストラビア被弾、落伍
(8)、3時6分、敵旗艦スワロフ、オストラビア脱落、アレキサンドル三世火災、ロゼストウェンスキー司令長官人事不省
(9)、3時10分、オストラビア沈没
(10)、7時、アレキサンドル三世沈没
(11)、7時30分、ボロジノ、スワロフ沈没、
 東郷司令長官、主隊による戦闘終結を指令する以後、水雷艇、駆逐艦による追撃戦開始

  日本軍戦死者116名 
  ロシア軍戦死者5046名

 なお、百八年前のこの日、対馬沖で相まみえた日露の軍艦はそれぞれ一隻だけ、現在も日本とロシアに係留されている。
 それは、横須賀にある戦艦三笠とペテルスブルグのネバ河に係留されている巡洋艦アウローラである。
 アウローラは、対馬沖の戦域を離脱してマニラに逃れて武装を解除された。その後解放されて帰国する。
 そして、1917年にボルシェビキの支配下に入り臨時政府のおかれていた冬宮をネバ河から砲撃したので1923年に革命記念艦に指定されるという数奇な運命をたどった。(以上、平間洋一著、「日露戦争が変えた世界史」芙蓉書房出版参照)

                                     (了)


☆ シュテファン・ツヴァイクの詩集は昔ドイツ語で簡単な詩を読んでいました。
  美しいけれど刹那的で怖いイメージでさっそく遠のきました。この時代、厭世主義と耽美主義だったのかと思ったり。
  リヒアルト・シュトラウスのオペラは耽美であり古き良きヨーロッパの懐古、などと考え、しかもワーグナーのエッセンスも感じました。
  ツヴァイクは苦手です。
  私はこのような「英雄伝説」の美化は文学の世界において理解できますが、「死へのあこがれ」に通じるドイツの天才の芸術には辟易。
  東郷元帥は救国の士であり、このようなツヴァイクやホフマンシュタール、ワーグナーの思想とは無縁と思っております。  

☆ 名バリトン歌手、カップッチッリが師事したドナッジョのことを書いたサイト発見、全文イタリア語です。
ドナッジョの録音は見つかりませんでした。
http://www.treccani.it/enciclopedia/luciano-donaggio_(Dizionario-Biografico)/
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参議院議員 西田昌司氏「敢えて言おう、敵は自民党にあり」(超人大陸)

2013年05月27日 | 政治
参議院議員 西田昌司氏「敢えて言おう 敵は自民党にあり!!」



1.反日左翼は「三つの要求を手に入れたければ、百の要求を突きつけ­ろ、そうすれば相手は譲歩して三つ位、簡単に譲歩する」の精神で­動いています。

保守の政治家さんたちは、まじめすぎる、おとなしすぎる、優等生­すぎるきらいがあると思います。

西田議員のおっしゃる通り、右も左もガツガツ狡猾なまでに真剣に­議論することが、国民にも国家意識が芽生え、賢くなり、国力も上­がると思います。


2.健全な野党がいない、のですね。

維新の旧たち日や一部には相応の人達がいるように思いますが、

それだけでは足りない、ということでしょうか?

それにしても、我が国の国会には、

「自国の利益を護る」より「他国の利益を護る」人の何と多いこと­か。

中継を見ていて、ため息がでます。(橋下の中継)


3.まさに仰る通りです。 自民党のしてきた汚らわしいアメリカへの売国行為(長銀買収騒ぎ­や、郵政米営化や、円高デフレ放置など)をなんとかしてほしかっ­たから、 多くの国民はミンス政権交代に流れてしまったのです(僕は仕方な­く自民に入れましたが.)。 それにしても、アベノミクス、第三の矢ってなんでしょうか? また小泉政権再来的な政策(特区構想や医療規制緩和)をしている­と思います。 今日の産経1面にも、グローバル人材育成の名の下に、 英語力を重視した学校を造ろうという構想もあると書いてありまし­た。 TPPでも政府調達分野において、入札文書の英語化などの懸念が­ありましたが、 実に日本の植民地化は進んでいると思います。 穀物・資源(エネ・水)・通貨 そして言語 国にとって大事なものなのではないでしょうか? 今、オバマ政権は必死に日本を食い荒らそうとしているかと思いま­す。 そのために、わざと東アジアの紛争を煽っている様な気がします。 今はただ、僕ら政治素人には判らないレベルで、 安倍政権がすれすれの外交をして頂いていると、祈るしかありませ­ん。 インド、中東、ロシア訪問からそう推察します。 (以上、動画のコメント)


☆ 西田議員のお話に納得しました。
なかなか言いにくいことを発言、「敵は己の中にあり、敵は自民党の中にあり」
戦後自民党の総点検が必要と主張。
今まで正しいとされていた「平和憲法」では国民を護れない、など
西田議員の率直な意見をお聴きください。


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カレーラス若き日の歌 ヴェルディ「海賊」、売国「照屋」沖縄独立を糾弾

2013年05月26日 | オペラ
JOSE CARRERAS SINGS "IL CORSARO" BY VERDI

・・・2分50秒から「武器を、武器を」と連呼するカバレッタがある。字幕は「戦いだ」になっているが、正しくは「武器を」。

スペインというより「バルセロナ」出身のテノーレ、ホセ・カレーラスのコンサートより、

・・・詩人バイロンの落書きのあるエーゲ海の「スニオン岬」の遺跡

ヴェルディ作曲オペラ『海賊』、これはバイロンの詩をもとに、ヴェルディがオペラにしたものだが、まだ若い時代のヴェルディにとって、納得のいく作品にはならず、大きな作品としては『アッティラ』を待たねばならなかった。
その『アッティラ』にしてもヴェルディは、「祖国統一運動に熱狂した聴衆が支えたのであって、芸術としてはどうか」と悩みぬいた程だった。
しかし、これらのヴェルディ初期のオペラ作品は中期や後期の『運命の力』『ドン・カルロ』『アイーダ』のような重厚さはないが、初々しく聴いていて大変魅力ある名曲と思う。

エーゲ海の若き首領がトルコ軍と戦う意気を歌う、30代後半の若い日のホセ・カレーラスの歌が素晴らしい。

あとでカレーラスの歌うスペイン歌曲『グラナダ』が付け加えられている。

カレーラスも今はオペラを引退、70歳を過ぎ、すっかり老けてしまった。
このころは正統的な歌唱で聴衆を魅了、若々しさに溢れていた「歴史的な名唱」である。



ではこの動画をご覧ください。
社民党の売国奴、照屋議員の「沖縄独立」を糾弾、即時辞職決議案を求めたもの。

【民間防衛】5.21媚中社民党・照屋寛徳糾弾!国会前緊急行動[桜H25/5/22]

マスコミはこのようなことをどうして報道しないのか!




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中山なりあき議員のツイッターより(政治)

2013年05月26日 | 政治


中山なりあき 中山なりあき ‏@nakayamanariaki 5月23日
ロシアが橋下市長の慰安婦を巡る発言について、第二次大戦で日本の軍国主義と戦った全ての人に対する侮辱と批判。
日ソ不可侵条約を破棄して満州に攻めこみ大勢の日本女性を凌辱したのに、厚顔極まりなし。
しかし、全て日本国内の捏造記事から始まった事、仕掛けた人達はさぞかし満足している事だろう。


中山なりあき 中山なりあき ‏@nakayamanariaki 5月23日
元慰安婦と橋下市長の面会が急遽中止になった。支援団体側は、二人とも会いたくない、政治利用される心配もあると説明しているが、面談を申し入れて来たのもこれまで政治利用してきたのも先方側だった。橋下氏に強制連行の中身を鋭く追及されるのを怖れたか?
化けの皮が剥がれるところだったのに残念。


中山なりあき 中山なりあき ‏@nakayamanariaki 5月23日
橋下市長や西村議員についてコメントを求められることが多く、気を遣います。
西村議員の発言は最初のうちはよかったのですが、韓国人を見たら売春婦と思えと言い出した時はびっくり。
橋下市長は今日会う韓国からのお客様に同情はしても決して謝ってはもらいたくない。
もっと勉強して欲しいと願います。


中山なりあき 中山なりあき ‏@nakayamanariaki 5月22日
韓国の中央日報が日本への原爆投下は神の懲罰との記事を載せた。大阪では日本人かと確認して切り掛かった在日。
私が懸念する、日本人にはどんな悪い事をしても許されるという反日愛国教育がその成果を現し出した。
ロンドンではイスラム過激派の白昼テロ。教育次第で人は変わるもの。


中山なりあき 中山なりあき ‏@nakayamanariaki 5月22日
日本人同士で争ったのは明治10年の西南の役が最後。宗教に寛大な国民性で良かったと思う。
すぎやまこういち先生は日本には日本軍と反日軍がいると言われるが・・。考えるべきは外からの攻撃。原発も一発撃ち込まれたら終わり。
撃つぞと脅迫されたらどうする?治にいて乱を忘れず、国防が最大の福祉。







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