平成25年4月10日 衆議院 予算委員会 三宅博の質疑 (北朝鮮による日本人拉致問題)
三宅博先生が、古屋拉致問題担当大臣に「拉致・特定失踪者問題」に警察が事情調査・現場検分に入っていないことを冷静に話され、これで特定失踪者に対して警察が事情調査に入るという電話が古屋大臣から電話が関係者のところに入ったという。
何と言っても三宅先生の長年にわたる必死の実践は誰も一目置く存在、
「拉致問題」国民大集会ではただひとり、聴衆から大きく「激励」の声!!(そのすぐあとは有田議員に「帰れ!」の怒号)
長きにわたって毎月半分は全国の特別失踪者のことで熱心に活動され、伺っていて頭が下がる思いであった。
拉致被害者のかたは目に前に拉致犯がいるのを見た時、全身が凍る恐怖を味わっていたと伺った時、まだ拉致犯が国内にいるのがわかりながら
警察の聴取も検分もされていないことに驚き、怒りがこみあげた。
やまと新聞のインタビュー、
【動画】日本維新の会三宅博衆議院議員インタビュー 第三回「北朝鮮による拉致問題解決にかける想い」
・・・3分50秒あたりから、古屋大臣にプレッシャーを与え続けた国会での様子や
冷静に答える三宅議員の話、正鵠を得たものである。
地道な活動がやっと聞き入れられた、そして拉致された方々全員の帰国を祈っています。
でもこの「船ごと沈めた」という記事を見て、怒りが増します。
何という残酷なことを!!
拉致実行犯を初聴取 政府対策本部 未発覚、数十人規模か
産経新聞 5月28日(火)7時55分配信
■80年代「若者連れ去り、残りは船ごと沈めた」
脱北した朝鮮人民軍元幹部が軍の指令を受けて1980年代に日本海で漁船の日本人乗組員を拉致したと証言していることが判明し、政府の拉致問題対策本部が元幹部から事情聴取したことが27日、分かった。政府当局が拉致実行犯を名乗る脱北者から聴取したのは初めて。元幹部は、軍の工作機関による海上での拉致は60年代から80年代にかけて頻繁にあったとし、「若者だけを連れ去り、残る船員は船ごと沈めた」と証言した。事実なら、拉致・殺害の被害者は数十人規模に上る可能性があり、対策本部は調査を始めた。
海上での韓国人拉致は知られているが、軍による海での日本人拉致についての具体的証言も初。
元幹部によれば、青森県沖で80年代、5人前後が乗った漁船を襲い、30代男性を連れ去った。残りの船員らは船ごと沈めたという。
海上保安庁によると、70年代から80年代にかけて、日本海で行方不明になった漁船は記録が残っているだけで18隻。80年10月には青森県沖で30~70代の6人が乗った漁船が戻らず、遺体で見つかった1人を除く5人と船体が発見されない事案があった。対策本部は、元幹部の証言と、こうした事例との類似点を精査するなど調査を進める。
元幹部によると、海上での拉致は「対日漁民作戦」と名付けられ、「対南(韓国)漁民作戦」と並行して、62~85年まで繰り返し実行された。日本海側の元山(ウォンサン)近くなどを拠点に計約120人の部隊が編成されていたという。
作戦に使われた工作船は、船体に漢字で「○○丸」と書かれた日本の中型漁船を装ったもので、十数人の工作員が乗船していた。4月~10月末に青森から九州の日本海側で2~5人ほどが乗った中小漁船を標的にしたという。
手口は夜、無灯火で日本漁船に近づいて乗り移り、銃を突き付け船員を制圧。10~30代だけを工作船に連行し、高齢だったり、抵抗した乗組員は船倉や船室に閉じ込め、船ごと沈めて証拠隠滅を図ったという。
元幹部は、「多い時期は年に3回、少ないときは2年に1回実行された」とし、事実なら拉致被害者は10人以上、殺害された人はその数倍に上る可能性がある。
元幹部は「拉致した若者を教育し日本に再上陸させ情報収集などをさせる計画だった。被害者には大学を出た若者もいた」とも証言。81年に拉致し教育した日本人を日本に再上陸させたこともあったというが、いずれの被害者も消息は不明だという。
元幹部によれば、拉致被害者を工作活動に従事させる計画は成果を得られず、85年には韓国に再入国させた韓国人被害者が警察に通報したため、対南、対日とも作戦を中止したという。
☆ すでに帰国された拉致被害者の方も聴取をし、護ってさしあげてほしい。
いろいろきいている・・・。
拉致実行犯を初聴取 政府対策本部 未発覚、数十人規模か - MSN産経ニュース sankei.jp.msn.com/world/news/130… 日本で最初の拉致事件は特定失踪問題調査会によると第12玉栄丸が東シナ海で11名の乗員ごと消えている。昭和30(1955)年のこと
拉致実行犯を初聴取 政府対策本部 未発覚、数十人規模か(sankei.jp.msn.com/world/news/130…)…「元幹部は、軍の工作機関による海上での拉致は60年代から80年代にかけて頻繁にあったとし、「若者だけを連れ去り、残る船員は船ごと沈めた」と証言」
三宅博先生が、古屋拉致問題担当大臣に「拉致・特定失踪者問題」に警察が事情調査・現場検分に入っていないことを冷静に話され、これで特定失踪者に対して警察が事情調査に入るという電話が古屋大臣から電話が関係者のところに入ったという。
何と言っても三宅先生の長年にわたる必死の実践は誰も一目置く存在、
「拉致問題」国民大集会ではただひとり、聴衆から大きく「激励」の声!!(そのすぐあとは有田議員に「帰れ!」の怒号)
長きにわたって毎月半分は全国の特別失踪者のことで熱心に活動され、伺っていて頭が下がる思いであった。
拉致被害者のかたは目に前に拉致犯がいるのを見た時、全身が凍る恐怖を味わっていたと伺った時、まだ拉致犯が国内にいるのがわかりながら
警察の聴取も検分もされていないことに驚き、怒りがこみあげた。
やまと新聞のインタビュー、
【動画】日本維新の会三宅博衆議院議員インタビュー 第三回「北朝鮮による拉致問題解決にかける想い」
・・・3分50秒あたりから、古屋大臣にプレッシャーを与え続けた国会での様子や
冷静に答える三宅議員の話、正鵠を得たものである。
地道な活動がやっと聞き入れられた、そして拉致された方々全員の帰国を祈っています。
でもこの「船ごと沈めた」という記事を見て、怒りが増します。
何という残酷なことを!!
拉致実行犯を初聴取 政府対策本部 未発覚、数十人規模か
産経新聞 5月28日(火)7時55分配信
■80年代「若者連れ去り、残りは船ごと沈めた」
脱北した朝鮮人民軍元幹部が軍の指令を受けて1980年代に日本海で漁船の日本人乗組員を拉致したと証言していることが判明し、政府の拉致問題対策本部が元幹部から事情聴取したことが27日、分かった。政府当局が拉致実行犯を名乗る脱北者から聴取したのは初めて。元幹部は、軍の工作機関による海上での拉致は60年代から80年代にかけて頻繁にあったとし、「若者だけを連れ去り、残る船員は船ごと沈めた」と証言した。事実なら、拉致・殺害の被害者は数十人規模に上る可能性があり、対策本部は調査を始めた。
海上での韓国人拉致は知られているが、軍による海での日本人拉致についての具体的証言も初。
元幹部によれば、青森県沖で80年代、5人前後が乗った漁船を襲い、30代男性を連れ去った。残りの船員らは船ごと沈めたという。
海上保安庁によると、70年代から80年代にかけて、日本海で行方不明になった漁船は記録が残っているだけで18隻。80年10月には青森県沖で30~70代の6人が乗った漁船が戻らず、遺体で見つかった1人を除く5人と船体が発見されない事案があった。対策本部は、元幹部の証言と、こうした事例との類似点を精査するなど調査を進める。
元幹部によると、海上での拉致は「対日漁民作戦」と名付けられ、「対南(韓国)漁民作戦」と並行して、62~85年まで繰り返し実行された。日本海側の元山(ウォンサン)近くなどを拠点に計約120人の部隊が編成されていたという。
作戦に使われた工作船は、船体に漢字で「○○丸」と書かれた日本の中型漁船を装ったもので、十数人の工作員が乗船していた。4月~10月末に青森から九州の日本海側で2~5人ほどが乗った中小漁船を標的にしたという。
手口は夜、無灯火で日本漁船に近づいて乗り移り、銃を突き付け船員を制圧。10~30代だけを工作船に連行し、高齢だったり、抵抗した乗組員は船倉や船室に閉じ込め、船ごと沈めて証拠隠滅を図ったという。
元幹部は、「多い時期は年に3回、少ないときは2年に1回実行された」とし、事実なら拉致被害者は10人以上、殺害された人はその数倍に上る可能性がある。
元幹部は「拉致した若者を教育し日本に再上陸させ情報収集などをさせる計画だった。被害者には大学を出た若者もいた」とも証言。81年に拉致し教育した日本人を日本に再上陸させたこともあったというが、いずれの被害者も消息は不明だという。
元幹部によれば、拉致被害者を工作活動に従事させる計画は成果を得られず、85年には韓国に再入国させた韓国人被害者が警察に通報したため、対南、対日とも作戦を中止したという。
☆ すでに帰国された拉致被害者の方も聴取をし、護ってさしあげてほしい。
いろいろきいている・・・。

拉致実行犯を初聴取 政府対策本部 未発覚、数十人規模か - MSN産経ニュース sankei.jp.msn.com/world/news/130… 日本で最初の拉致事件は特定失踪問題調査会によると第12玉栄丸が東シナ海で11名の乗員ごと消えている。昭和30(1955)年のこと
拉致実行犯を初聴取 政府対策本部 未発覚、数十人規模か(sankei.jp.msn.com/world/news/130…)…「元幹部は、軍の工作機関による海上での拉致は60年代から80年代にかけて頻繁にあったとし、「若者だけを連れ去り、残る船員は船ごと沈めた」と証言」