足利事件のDNA再鑑定結果を報ずるテレビニュースを見ていてびっくりした。
弁護人の佐藤博史弁護士は鈴木宗男控訴審の弁護人だった。ちょっと癇の強そうなモノマニアックな顔は間違えようが無かった。
理論派の弘中惇一郎弁護士(三浦和義の弁護人)と正反対の感情論的とも思える独善的な弁護を繰り返しどうしてこの人がと思うような言動が多かった。
「当時のDNA鑑定は完全に誤っていた」と興奮した様子で報告したとか「科学者の憤りを感じた」そして「捜査関係者は反省しなければならない」などの感情的、断定的な新聞報道は鈴木宗男控訴審での数々の言動を思い起こさせた。
先日中学時代のクラス会があり弁護士の友人にこの話をした。
モノマニアックで独善的な弁論を滔々と続け傍聴者をはじめ検察官そして裁判長さえも辟易させ、ある時はこのまま続けさせるか否か裁判長が一時休廷を宣言して協議する(控訴審第7回公判)事もあり、どう考えても有能な弁護士のようには感じなかった事を話してみた。
彼は「弁護士は色々のタイプの人がいていいんだ。人格的に円満で人間味のある弁護士や理論派の弁護士ばかりではこのような再審の扉は開けないよ。思い込みの激しい人だからこそ今回の結果を得られたと思うよ」との返事だった。
そして6月4日の菅家さんの釈放、5日の朝刊を見て改めて友人の言葉を認識した。
1993年の秋に出会い、控訴審からの弁護人を務めてきたというから約16年間だ。そして菅家さんは無期懲役の判決を受けた90年の事件だけでなく79年と84年の同じような事件について嫌疑不十分で不起訴になっている。
長年の間菅家さんを信じ続けて再審請求を繰り返すのは単なる人格円満や理論派だけの弁護士では難しいだろうと納得した。
ちなみに佐藤博史弁護士は早稲田大学大学院法務研究科の客員教授で「弁護人の真実義務」の他再審請求に関する論文など著書もあるようだ。
今更ながら人を見かけや好悪の感情だけで評価すべきでない事を知らされ、佐藤弁護士への思いを新たにしたが、鈴木宗男裁判への適性となるとやはり疑問が残る。
鈴木宗男公判傍聴記を参照ください。