奥さんに電話をしてお聞きしたところ2年前の3月に担癌で余命6ヶ月の宣告を受けたとの事でした。彼は就職してから間もなく名古屋に移り住んでいたので、5月に実家の親戚や高校時代のテニス部の同期にお別れに来たとのことでした。親戚の人たちにはその時話をしたようですが、我々にはそんなことはおくびにも出さず楽しいひと時を過ごして解散しました。なぜ気づかなかったのだろうと話を聞いてからは後悔しきりです。でも話をしないで彼の胸の中だけでお別れを言ったのは彼の美意識の他の何物でもなかったのでしょう。
そしてなおビックリしたのは死に臨んで戒名や告別式は不要。香典、線香、お花など一切お断りするように、もし送ってきても送り返すといってお断りするようにと徹底していました。そして遺体は献体したので2~3年後に戻ってきたら海にでも散骨しくれと言い残したようです。その上でハガキを作り、奥さんの手間が一切かからないよう用意万端整えて亡くなったとの事でした。
のこり花従容と逝く大空へ
人の世はおおきく変わる追分で
振り返り我が人生は八割か
名古屋第一日赤病院にて 中川康博 記 平成28年4月10日
上記は奥さんに頼んでお送りいただいた辞世の句です。