1629年(寛永6年)荒川の瀬替えを行った伊奈忠治の墓所を訪ねた。JR鴻巣駅から線路沿いに大宮方面に戻って徒歩6~7分の所にあった。道の左側にお墓に通じる小道があり、その先には巨木の寺社林が聳えていた。
こんなお墓の方から入っていいいのだろうかと思いつつ中に入るとすぐ一段と高くなった石の囲みがあった。説明書きを見ると目的の伊奈忠次・伊奈忠治の墓所だった。
伊奈忠次・伊奈忠治夫妻の墓所
参拝の後本堂はどこだと当然の疑問に駆られ寺社林をくぐった。
かなり古びた本堂があった。山門を探すと遠くにそれらしきが見えた。敷地は広大で、幽玄な佇まいと言いたいところだが何となく寂れた雰囲気が漂っていた。
なんとなく荒廃した雰囲気の本堂
調べてみると天照山良忠院勝願寺。浄土宗の関東18壇林の一つという。
山門の額は栴檀林で浄土宗の学問所だったことからか
鷹狩で訪れた徳川家康が時の住職円誉不残の学徳の高さに感銘を受けて、不残に帰依し、随行した伊奈忠政らに勝願寺の檀家になるように命じ、寺に三つ葉葵の紋の使用を許可し、寺領30石を寄進したという。
仁王門の上に三つ葉葵の紋が見えます
家康の手厚い庇護を受けて隆盛を誇ったであろう勝願寺は明治に入ると2度の大きな厄災に見舞われる。明治3年の台風、そして明治15年の大火で全ての建物、仏像など全てを失ってしまう。
明治24年には本堂が復興され、大正9年に仁王門が再建されたが、全てがこれ以降のもので重文などの類は一つもない。これが寂れた雰囲気の原因だったのかなとも思わされた。