大学生の頃、金はなくても持て余すほどの暇はあるというあの時代、暇つぶしはラジオやステレオで音楽を聴くことだった。
ビートルズを筆頭にロックを中心とした洋楽全般を聴いていた。
当時はヒットチャートの曲はほとんど口ずさむことができたし、少々マニアックなバンドの曲も、喫茶店のスピーカーから流れてきたら曲名も言えたものだ。
それがいつの間にか、昔の曲は覚えていても、80年代以降の曲はからっきしわからない。
当時は仕事に追われて、落ち着いて音楽など聴く余裕がなかったからだ。
聴かないと興味も薄れる。興味が薄れると、もっと聴かなくなるという悪循環だ。
50代を過ぎた頃から、また音楽を聴くようになった。
しかし聴くのはやはり昔の曲だ。
時代の流れとともに、流行の変化のスピードは加速し、音楽に限らず何事も量産、短命の傾向になった。
記憶に定着するには種類が多過ぎ、サイクルが早過ぎるのだ。
もはや、私の脳内ライブラリには新曲は登録されないだろう。
過去の思い出とともに懐かしい曲を聴くしかない。
音楽の聴き方にはいろんなタイプがある。
好きなアーティストやジャンルの曲をひたすら聴く。
最新の曲を誰よりも早く聴く。
単にBGMとして聴く。
高価なオーディオセットで音そのものを追求する。
ライブやコンサートに足を運び雰囲気で聴く。
人それぞれだが、私の場合は70年代くらいまでの古い音楽を、レコードプレーヤーとかトランジスタラジオで聴きたい。
ステレオセットが普及する前の、大音量のロックが出回る前の時代の音楽の聴き方だ。
音楽を愛しむ、あるいは慈しむように、ラジオにかじりついて聴いていたあの頃の聴き方だ。
今やレコードプレーヤーもほとんどなくなり、トランジスタラジオも音楽を聴く道具ではなくなってしまった。
音質を追求するあまり、本来の熱さや味わい、心に訴えるメッセージというものがなくなってしまったような気がしてならない。
最近は、昔聴いていた音楽の、その前のルーツというべき音楽、ブルーズにハマっている。
行きつけのブルーズバーで聴いているが、JBLのでっかいスピーカーから戦前ブルーズが大音量で流れてくるのは、いかがなものかと思う次第である。
ビートルズを筆頭にロックを中心とした洋楽全般を聴いていた。
当時はヒットチャートの曲はほとんど口ずさむことができたし、少々マニアックなバンドの曲も、喫茶店のスピーカーから流れてきたら曲名も言えたものだ。
それがいつの間にか、昔の曲は覚えていても、80年代以降の曲はからっきしわからない。
当時は仕事に追われて、落ち着いて音楽など聴く余裕がなかったからだ。
聴かないと興味も薄れる。興味が薄れると、もっと聴かなくなるという悪循環だ。
50代を過ぎた頃から、また音楽を聴くようになった。
しかし聴くのはやはり昔の曲だ。
時代の流れとともに、流行の変化のスピードは加速し、音楽に限らず何事も量産、短命の傾向になった。
記憶に定着するには種類が多過ぎ、サイクルが早過ぎるのだ。
もはや、私の脳内ライブラリには新曲は登録されないだろう。
過去の思い出とともに懐かしい曲を聴くしかない。
音楽の聴き方にはいろんなタイプがある。
好きなアーティストやジャンルの曲をひたすら聴く。
最新の曲を誰よりも早く聴く。
単にBGMとして聴く。
高価なオーディオセットで音そのものを追求する。
ライブやコンサートに足を運び雰囲気で聴く。
人それぞれだが、私の場合は70年代くらいまでの古い音楽を、レコードプレーヤーとかトランジスタラジオで聴きたい。
ステレオセットが普及する前の、大音量のロックが出回る前の時代の音楽の聴き方だ。
音楽を愛しむ、あるいは慈しむように、ラジオにかじりついて聴いていたあの頃の聴き方だ。
今やレコードプレーヤーもほとんどなくなり、トランジスタラジオも音楽を聴く道具ではなくなってしまった。
音質を追求するあまり、本来の熱さや味わい、心に訴えるメッセージというものがなくなってしまったような気がしてならない。
最近は、昔聴いていた音楽の、その前のルーツというべき音楽、ブルーズにハマっている。
行きつけのブルーズバーで聴いているが、JBLのでっかいスピーカーから戦前ブルーズが大音量で流れてくるのは、いかがなものかと思う次第である。