Man is mortal. 人はいつかは死ぬ。
若い時は余程、悲観論者でない限り、自身の死について考えることはないだろう。
人間、還暦も過ぎると、死というものを以前よりは身近なものと考えるようになる。
肉親や親戚、友人や知人、会社の人間の死を何度か目の当たりにすると、一層その感は強くなる。
私も例外ではない。
以前は死イコール無、あるいは恐怖の念が強かったが、今は人生の最後の通過儀礼として、淡々と受け入れられる気がする。
どう足掻こうと、それが不可避のものであるならば、死というものについていろんな考察をしてみるのも一興だ。
臨死体験というのがある。
死後の世界の手前まで行ったとか、幽体離脱したとか、その手の話である。
たぶん夢のなごりかオカルトの域を出ないが、現世が実在するのだから、ないと証明されない限り、死後の世界があっても不思議ではない。
自分の意識というものが存在して、それが自分以外の物事、延いては現実世界を認識している訳だから、自分の死は現実世界の終わりをも意味する。
意識自体が消失してしまうことがあるのだろうか。
意識が消える睡眠中でも夢を見る。
そして必ず夢は覚め、意識は戻る。
全身麻酔の昏睡からも覚醒する。
ということは、死んでもいつかは意識が戻るのだろうか。
それとも肉体に依存しない意識というものがあるのだろうか。
死後の世界があるとすれば、たとえば二次元から三次元、三次元から四次元というように、現実世界とは次元が異なる存在なのだろうか。
バカは死ななきゃ治らないというが、死後の世界も死ななきゃわからないということか。
若い時は余程、悲観論者でない限り、自身の死について考えることはないだろう。
人間、還暦も過ぎると、死というものを以前よりは身近なものと考えるようになる。
肉親や親戚、友人や知人、会社の人間の死を何度か目の当たりにすると、一層その感は強くなる。
私も例外ではない。
以前は死イコール無、あるいは恐怖の念が強かったが、今は人生の最後の通過儀礼として、淡々と受け入れられる気がする。
どう足掻こうと、それが不可避のものであるならば、死というものについていろんな考察をしてみるのも一興だ。
臨死体験というのがある。
死後の世界の手前まで行ったとか、幽体離脱したとか、その手の話である。
たぶん夢のなごりかオカルトの域を出ないが、現世が実在するのだから、ないと証明されない限り、死後の世界があっても不思議ではない。
自分の意識というものが存在して、それが自分以外の物事、延いては現実世界を認識している訳だから、自分の死は現実世界の終わりをも意味する。
意識自体が消失してしまうことがあるのだろうか。
意識が消える睡眠中でも夢を見る。
そして必ず夢は覚め、意識は戻る。
全身麻酔の昏睡からも覚醒する。
ということは、死んでもいつかは意識が戻るのだろうか。
それとも肉体に依存しない意識というものがあるのだろうか。
死後の世界があるとすれば、たとえば二次元から三次元、三次元から四次元というように、現実世界とは次元が異なる存在なのだろうか。
バカは死ななきゃ治らないというが、死後の世界も死ななきゃわからないということか。