会社の机の上のフォトスタンドの家族写真、定期入れに入れた愛娘や愛息、奥さんの写真。
年賀状の家族や子供の写真。
最近はそんな写真を見かけることが少なくなった。
家族愛が薄れてきたとは思わないが、そんなことが恥ずかしいとか、プライバシーをパブリックに持ち込まないという風潮が蔓延してきたせいだろうか。
確かに大の大人が、奥さんや愛娘の写真に頬を緩める姿は、見ているほうが気恥ずかしくなることもあったが、それはそれでハードワークの中の一服の清涼剤でもあった。
それがサラリーマンの奮起を促したり、ひと時の気休めになるのであれば、それに越したことはない。
私自身は家族の写真を机上に飾るとか、年賀状に添えたことはない。
家族愛がないとか、そういうことに否定的とかではなく、単に価値観の違いだ。
そんな愛しき写真たちはどこへ行ったのだろうと考えていたら、みんな同じところにありました。
そう、携帯電話の画像データの中。それも人によっては膨大な枚数が。
かく言う私もiPhoneの中に、去年生まれた孫娘の画像が十数枚入っている。
そして、それを事あるごとにひとりで見ながら悦に入っている。
笑わば笑えだ。
年賀状の家族や子供の写真。
最近はそんな写真を見かけることが少なくなった。
家族愛が薄れてきたとは思わないが、そんなことが恥ずかしいとか、プライバシーをパブリックに持ち込まないという風潮が蔓延してきたせいだろうか。
確かに大の大人が、奥さんや愛娘の写真に頬を緩める姿は、見ているほうが気恥ずかしくなることもあったが、それはそれでハードワークの中の一服の清涼剤でもあった。
それがサラリーマンの奮起を促したり、ひと時の気休めになるのであれば、それに越したことはない。
私自身は家族の写真を机上に飾るとか、年賀状に添えたことはない。
家族愛がないとか、そういうことに否定的とかではなく、単に価値観の違いだ。
そんな愛しき写真たちはどこへ行ったのだろうと考えていたら、みんな同じところにありました。
そう、携帯電話の画像データの中。それも人によっては膨大な枚数が。
かく言う私もiPhoneの中に、去年生まれた孫娘の画像が十数枚入っている。
そして、それを事あるごとにひとりで見ながら悦に入っている。
笑わば笑えだ。