還暦も過ぎ、定年退職もした現在、人生を総括してもおかしくない年齢に達した。
で、簡単に総括してみよう。
昭和29年9月9日から今日までが私の人生だ。
明日になれば明日まで、10年後まで生きていたらその時までが私の人生だ。
しかしおそらく今日を区切りにするのとなんら変わりはないと思われる。
これからのおまけのような残存人生で、それまでの人生になかった劇的な出来事が起こるとは到底考えられない。
私の誕生日以前にこの世界が存在したかどうかは定かではない。
歴史的にはたぶん存在したのだろうが、私自身の存在がなかったので体感はしていない。
記憶ではなく記録からその存在を認めるしかない。
私の死後も同様だが、これは記憶でも記録でもその存在を確かめる術はない。
誕生日以前の過去からの歴史や、私の死後、未来へと続く歴史は、私の人生にはなんの関連もない。
話が逸れたが、人生の総括だ。
一言で言えば平穏無事な人生だった。
これといって感動的なこともなかった。
もちろん細々とした嬉しいこと、楽しいことはあったが、感動のレベルまではほど遠かった。
逆に悲嘆にくれたこと、病気や生活に苦しんだこと、先の見えない悩みを抱えたこともなかった。
親の介護、子の非行、事故や大病、借金苦、失業などとは無縁だった。
まわりを見渡せば、みんなそれらのどれかの悩みを抱えている。
それがなかったということは、幸せだったということだろう。
平々凡々な人生のようでも、考えようによっては、極めて非凡な人生なのではあるまいか。
で、簡単に総括してみよう。
昭和29年9月9日から今日までが私の人生だ。
明日になれば明日まで、10年後まで生きていたらその時までが私の人生だ。
しかしおそらく今日を区切りにするのとなんら変わりはないと思われる。
これからのおまけのような残存人生で、それまでの人生になかった劇的な出来事が起こるとは到底考えられない。
私の誕生日以前にこの世界が存在したかどうかは定かではない。
歴史的にはたぶん存在したのだろうが、私自身の存在がなかったので体感はしていない。
記憶ではなく記録からその存在を認めるしかない。
私の死後も同様だが、これは記憶でも記録でもその存在を確かめる術はない。
誕生日以前の過去からの歴史や、私の死後、未来へと続く歴史は、私の人生にはなんの関連もない。
話が逸れたが、人生の総括だ。
一言で言えば平穏無事な人生だった。
これといって感動的なこともなかった。
もちろん細々とした嬉しいこと、楽しいことはあったが、感動のレベルまではほど遠かった。
逆に悲嘆にくれたこと、病気や生活に苦しんだこと、先の見えない悩みを抱えたこともなかった。
親の介護、子の非行、事故や大病、借金苦、失業などとは無縁だった。
まわりを見渡せば、みんなそれらのどれかの悩みを抱えている。
それがなかったということは、幸せだったということだろう。
平々凡々な人生のようでも、考えようによっては、極めて非凡な人生なのではあるまいか。