1974~76年の月刊「宝島」がマイブームだ。
朝のマクドや日中の書斎で、慈しむように少しずつ読みふけっている。
そうやって読んでいると、40年以上の隔たりがあるにもかかわらず、自然と感情移入というか状況移入している。
サブカルチャーメインの雑誌なので、当時の思想やトレンドが色濃く反映されている。
パソコンもスマホもない時代の、その情報の真偽のほどはさておき、若者にとっての数少ない情報源だ。
読者との距離感も近いし、誌面も手作り感や開放感が満載だ。
東大安田講堂封鎖解除からもはや6年、なんて文章に隔世の感を強くする。
オイルショックも終わり、経済ものちのバブル時代へと向かう踊り場状態だ。
いうなれば、明るい混沌の時代だ。
ミュージックシーンでは、ユーミンもデビューしたばかりで、Jポップはおろか、ニューミュージックという言葉さえまだ存在しない。
巷にはライブハウスよりまだまだジャズ喫茶が多かった時代だ。
宝島の誌面もジャズ至上主義からロック色を押し出し始めた移行期だ。
当時コアな読者であった私も、40数年の時を隔てて、再読するとは夢にも思っていなかった。
読後はポイ捨ての週刊誌感覚だったが、なぜか奇跡的に10冊だけ残っていた。
安易に捨てられない、心に引っかかる何かがあったのだろう。
そしてそれは大正解だった。
定年退職後の現在、タイムトリップの材料として大いに役立っている。
朝のマクドや日中の書斎で、慈しむように少しずつ読みふけっている。
そうやって読んでいると、40年以上の隔たりがあるにもかかわらず、自然と感情移入というか状況移入している。
サブカルチャーメインの雑誌なので、当時の思想やトレンドが色濃く反映されている。
パソコンもスマホもない時代の、その情報の真偽のほどはさておき、若者にとっての数少ない情報源だ。
読者との距離感も近いし、誌面も手作り感や開放感が満載だ。
東大安田講堂封鎖解除からもはや6年、なんて文章に隔世の感を強くする。
オイルショックも終わり、経済ものちのバブル時代へと向かう踊り場状態だ。
いうなれば、明るい混沌の時代だ。
ミュージックシーンでは、ユーミンもデビューしたばかりで、Jポップはおろか、ニューミュージックという言葉さえまだ存在しない。
巷にはライブハウスよりまだまだジャズ喫茶が多かった時代だ。
宝島の誌面もジャズ至上主義からロック色を押し出し始めた移行期だ。
当時コアな読者であった私も、40数年の時を隔てて、再読するとは夢にも思っていなかった。
読後はポイ捨ての週刊誌感覚だったが、なぜか奇跡的に10冊だけ残っていた。
安易に捨てられない、心に引っかかる何かがあったのだろう。
そしてそれは大正解だった。
定年退職後の現在、タイムトリップの材料として大いに役立っている。