★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

小銭のブルース

2021年03月19日 14時13分27秒 | 徒然(つれづれ)
 子供の頃から財布を持ったことがない。
 子供の頃は財布に入れるお金もなかったから当然だが、学生時代、社会人になってからも、お札はズボンの尻ポケット、小銭はサイドやフロントのポケットに入れている。

 そのほうが出し入れも簡単だし、落とす心配も財布より少ないからだ。
 昔テレビや映画で、アメリカ人がお金を無造作にポケットから出し入れするのを見て、それに影響を受けたことも否めない。 

 別にそれで不便を感じたこともない。
 免許証や保険証、カードの類いは専用のカードケースに入れている。
 帰宅したら、お札はそのまま、小銭はポケットから出してトレイに入れている。

 その小銭を見ていると、ふと妙な気分になる。
 百円硬貨や十円硬貨に混じって、五円玉や一円玉もある。
 消費税導入以降、五円玉や一円玉がある意味で復活を遂げた。
 王将や吉野家でも料理の値段には端数があり、お釣りにそれらが入ってくる。

 子供の頃の遠い昔は、それらを握りしめて、僕たちの社交場、駄菓子屋に行ったものだ。
 その握りしめる感覚が、ポケットから出し入れする時にしばしば甦る。

 あの頃は一円を笑う者は一円に泣く、ということわざに真実味があった。
 実際に、一円玉を落として泣いている子もいた。
 当時は1円で2個買える「すずめのたまご」があったので、そんな子に分けてあげたものだ。
「すずめのたまご」は今も存在するにはするが、個売りではなく、数十個単位の袋入りになっている。

 60年以上も時が経つのに、その価値は下がっても、未だに形を変えず五円玉や一円玉が流通しているのには、ある種の感慨を覚える。
 それらは確実に日本経済の礎を築いてきたのだ。
 

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