ホリスティックライフ in 世田谷

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新城和博『ぼくの沖縄<復帰後>史』

2022-03-16 17:13:52 | 最近読んだ本
新城和博『ぼくの沖縄<復帰後>史』(ボーダーインク・ボーダー新書)

今年、沖縄は本土復帰50年を迎えます。
そろそろそういった関係の特集が組まれてもいいころですが、
相変わらずコロナ禍が続く上、ウクライナ情勢が毎日報じられ、
沖縄の入る余地がまだないようです。
5月15日が近付けば、増えてくるかと思われます。

ということで、沖縄気分で読んでみました。
ただし、この本は本土復帰40年の時に沖縄タイムスに連載されたものを
まとめたもので、10年の隔たりがあります。
それでも、1963年沖縄・那覇生まれの著者が、
小学生で迎えた本土復帰から40年、
沖縄と共に歩んできた道程を紹介しています。

1972年 ドルから円への通貨交換

それまでドルを使っていたものが本土復帰となり、
円への交換のため銀行に皆が詰めかけます。
昨日までドルを使っていたものが、今日は円となる、
想像がつきませんね。お店での表示も変える必要があるし、
通帳とか証書とか請求書とか、どんな感じで進んだのでしょう。
物の値段も慣れるまでは、価値がすぐに分からなかったこともあるでしょう。
ちょうど海外旅行に行った時、現地の通貨に慣れるまで時間がかかるように。

交換して初めて円を手にした時、1円玉にはびっくりしたそうです。
1セント硬貨と比べると軽いですからね。

国際通りの変遷、百貨店やダイエーの栄枯盛衰なども紹介されています。
現在、もうリウボウしか生き残っていませんからね。

1978年 ナナサンマル「7・30」

本土復帰となっても、1978年7月29日まで道路は右側通行でした。
本土と同じ左側通行になったのは復帰後6年経った7月30日。
これも一大プロジェクトですよね。
私は、なぜかそのことは、右側通行から左側通行になると
ヘッドランプを変えないといけない、
その部分だけよく覚えています。

7月29日午後10時から30日午前6時までの間に、
信号や道路標識、バス停など、すべて変更しました。
バス停が反対側になったことで変更となったことを実感する著者。
公共のバスは乗車口が変わるため、すべて買い替える必要があったとか。
確かにそうですよね。これにはびっくり。

ほかにも具志堅用高、断水、バススト争議、県民総決起大会、
安室奈美恵、ナビィの恋、ちゅらさん、沖縄サミット、美ら海水族館、
ゆいレールなど、年代順に紹介されていて、
復帰後の沖縄の歩みがよく分かります。

地元の出版社から発行され、地元の人向けに書かれていることもあり、
こちらは全く知らなかったようなこともたくさん出てきます。

米軍基地にまつわる様々な問題を抱えながらも、
したたかに(勝手に思っているだけ?)生きてきた人々。

沖縄関係の本を何冊か読んでみたいと思う今日この頃です。
コメント
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