ホリスティックライフ in 世田谷

都会の中の田舎に住み、ウキウキ、ワクワク楽しく暮らす。
キーワードは、ホリスティックライフ。

沖縄本土復帰50年について考える

2022-05-10 18:38:17 | 日記
沖縄本土復帰50年。
5月15日まであと1週間となった途端、テレビで取り上げるようになりました。
有働さんのnews zeroでは櫻井キャスターが沖縄へ取材に行き、
嘉手納基地が見える「道の駅かでな」の屋上で
現地の20代の女性に話を聞き、複雑な基地問題について語っていました。
道の駅かでなには行ったことがあり、
当時はちょっと古い建物のイメージでしたが、
リニューアルしたようですね。

1972年に本土復帰した際、基地問題がそのままだったこともあり、
沖縄県民は、決して喜んでいたわけではないんですよね。
5月15日当日、当時の佐藤栄作首相は東京の式典会場で万歳!と言っていましたが、
当時の屋良沖縄県知事は東京へは行かず、
沖縄側の式典会場で基地問題が解決しないままの本土復帰について
語りました。
50年経ってもほとんど変わっていないという現実。

沖縄について考える時、
複雑な気持ちになります。前にも書きましたが。

今週、「ロックとコザ」(こちらで紹介)を読んでいます。
考えてみたら、本土復帰した1972年はベトナム戦争の真っ最中。
沖縄の米軍基地から兵士たちが次々とベトナムへ飛び立って行きました。

明日はベトナムの戦場へ行き、帰ってくることができるか分からない、
そんな米兵相手に、体を張って演奏していたロッカーたち。
双方とも命がけでした。
米兵たちはお金を使いまくり、ライブハウスやバーでは
箱や袋に収まりきらないほどドル紙幣があふれていた
という話はよく出てきます。

実際、顔なじみになった米兵がベトナムへ行き、
帰ってこなかったという話も紹介されています。

と、ここでさらに複雑な気持ちにさせることがあります。
それは、ベトナム側の立場で考えてみると、
そんな「お涙頂戴」の話ではないということ。
ベトナム中部の都市ダナンが気に入って、2年続けて行きました。
それよりずーっと前の話、大学でアジア地域研究を専攻していたこともあり、
ベトナム戦争について少しかじったことがあります。
エージェントオレンジが撒かれて、大変な被害にあったということ。
村まるごと全滅してしまった村があったということ。

すみません、話が違う方向に展開してしまっています。

とにかく今週は沖縄について考えます。
金曜日から沖縄行くしね~~~。そうなんです、沖縄行き!
北中城村とコザをめぐる予定です。EMホテル泊まってさ~~~。
楽しみだ~。

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